レーナ・マリアとゴスペルシンガーのミニコンサートに行ってきました。場所は母校の西南学院大学のランキンチャペル。このランキンチャペルは最近建て替えられて素敵なものになっています。
学生時代には建て替える前の古いチャペルで西南大ESSの英語劇の最後の公演に脇役の一人として参加した歴史がありますし、キリスト教系の大学なのでチャペルの時間は単位のための出席が義務付けられていました。
私は英語とキリスト教をアメリカ人宣教師の人格的に素晴らしい先生方から教えていただいたので、その高潔な人格に導かれてキリスト教というものを素直に聞いていた時期があります。
しかし、そのころからアメリカ人のキリスト教の先生の説く神様と日本人の牧師さんの説く神様がどうしても同じに思えずに、洗礼を受ける決心がつきませんでした。
大人になりその違いを神道や仏教を深く掘り下げて考察し、やっとその違いがはっきりとわかるようになり、目覚めました。
神道の奥深さです。すべてのものを包み込むその深淵な神秘性を理解するには穢れのない神社で神様と直接交信することに限ります。
その場所は、有名な神社でなくてもいいのです、自分と縁の深い神社にたたずみ自然に座っていればその声がまたは感覚がわかると思います。
私はおかげさまで宗像大社の沖津宮という選ばれた人しか入れない聖地に5回も受け入れていただき、その感覚を体感できました。
話が大幅にずれましたが、このレーナマリアさんはスウェーデン人で生まれた時から両腕なくと片足が半分の長さでした。
でも、いろんなものに挑戦し続け、ソウルパラリンピックをはじめとする障碍者水泳大会で数々のメダルを獲得します。
小さい頃は、庶務の仕事やドラックの運転手になりたかったそうですがかなわず、代わりに与えられた美声を活用してゴスペルシンガーとして活躍されています。
西南大のチャペルですから音響は素晴らしく、一言声を発せられた瞬間にその声に見入ってしまいました。
これこそ天の声、心が洗われていくのがわかります。
いぜんならここで終わっていたのですが、今はその声が天照大神様の声に聞こえてくるのです。
彼女は英語で歌っているのですが、その歌声は頭で理解するというよりも心に染み入ってくる声でした。
一曲目は「日本が好きだ」という内容の曲であり、大変好感が持てました。そして二曲目は「音楽ありがとう」というような曲で、彼女が歌うとその外見でみたら一目で苦労をしたろうなということが感じられますが、歌う表情、話す言葉には一言も恨み節は入らず、堂々とそして気高く美しい態度で話し、歌われます。
そこには不幸という言葉はありません。不便かもしれませんが、彼女は「人より慣れるのに時間がかかりますが、できないことはありません。」と言われます。
その明るさが自分の声が神様から与えられた「ギフト(贈り物)」と理解し、感謝しているからだと思います。
人間この世に生を受け、何らかの役割があると思っています。彼女は人より少ない手と短い脚しかありませんが、それを引いても有り余る美声と前向きに生きる勇気を持っているから聞いている歌声が心に自然と這入って来るのでしょう。
日本人の神様の概念はよく「自然」という表現をします。
森、滝、山、高い木、大きな石などいろんなものがご神体として祀られていますが、それらは神という概念を理解するためのテレビの受像機のようなものだと思います。
神は自然そのもの、つまり地球そのものであり、私たちをつつみ育んでおられます。私たちは地球の一部ですがそれは神の一部であると考えられます。
だから、美しいものを見る時に、できるだけ自然に近いものを探すのです。
たとえば盆栽というものがありますが、盆栽は宇宙を自然をその小さな中にいかに自然に表現できるかで優劣が決まります。
韓国の俳優を見て、きれいだけどどこか不自然なのでどうしても感情移入ができないと同じです。つまり好きになれません。
自然な美人は見ていても楽しいのですが、本当にもてる人は表面の美しさではなく、内面の美しさを表現できる人だと思っています。
ちょっと遊びで連れまわすなら、整形でも性格が悪くても美人だったらいいですが、一生連れ添うなら心のきれいな人がいいでしょう。
女性なら、どんなにハンサムな人よりも生活力がありいざとなったら命を懸けて自分や子供を守ってくれる人を探す方が幸せになりますよ。
また話が大幅にずれてしまいました。
レーナマリアさんの歌声を聴いてこんなことを考えていました。妄想しすぎでしょうか。
終わった後にレーナマリアさんと一緒に来ていたアメリカ人と話していると、彼はビリーグラハムというアメリカでもっとも有名な宗教者のグループの一員として来ていました。
3月に彼女のコンサートも含めて大きな大会があるそうですが、私はつい彼にアドバイスをしてしまいました。
「そういう御大が来られるのなら、ぜひ靖国神社に参ってほしい。宗教者として国家のために命を捧げられた人々の御霊を慰めるのは普通のことではないか」といったのです。
彼は「おうそれは面白い考えだ」と好意的でした。
しかし、私はその後にこう言ったのです。
「しかしそれをすると日本のキリスト教団体の上層部が反発するよ」と。
彼は不思議そうな顔をしていました。どうして国家のために命を捧げた人を祀る宗教施設に自分たちが行くのを反対するのかというのです。
彼はまだ日本に来て間もなく、別の会社から転職して今の仕事についている好青年です。
これがアメリカの宗教を信じる人たちの普通の感覚だと思っていいと思います。
靖国神社を政治問題にしている中韓両国と日本国内にいる売国奴たちの思惑により、神聖な靖国神社が穢されているのです。
偽物の街宣右翼のために本当の右翼が怖い存在を思われているのと同じ陰謀です。
玄洋社の頭山満翁は人間的にも大人物で、自分を捨ててまでも国家にために動かれた大人物ですが、いまだに大部分の人は怖い存在と誤解をしています。
私はこういうブログをほぼ毎日書いて、確信犯を翻意させることを目的としておらず、その連中から惑わされている普通の日本人に当たり前の国際感覚と日本人としての矜持を持ってもらいたくて書いています。
だから私はCHINAを否定しません。朝鮮を否定しません。もちろんアメリカも否定しません。
彼らにも悪いところがたくさんありますが、良いところも認めるからです。
生きるために嘘をつかねばならないお国柄で長年育ってきたら、嘘をつくことが悪いことだと思わなくなるのは当たり前でしょう。
でも、許せないのは日本人として生まれてきて、自分たちのご先祖様や神様や国旗を侮辱されて黙っている日本人、ましてやそれに加担する売国奴たちです。
中韓は自分たちの利益のために日本の悪口を言っています。それが利益にならないようにすれば、彼らは口をつぐみます。誰もお金を払ってくれなくなるからです。
日本海を東海へと呼称変更を訴えているバカもいますが、片山さつき議員が言うように、日本もきちんとそれに一度は国際社会で韓国の言い分がでたらめだということを主張するべきです。
レーナマリアさんの歌声が天照大神の声に聞こえるのは私だけでしょうか?
神様の存在を身近に感じれば感じるほどその感覚が強まっています。