拉致という言葉よりも「袋かぶせ、人さらい」事件と呼ぼう | 井上政典のブログ

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 歴史ナビゲーターの井上政典がお贈りする祖国日本への提言です。
 
 ご意見は賛成反対を問わずどんどん書いてください。

 ただし、社会人としての基本的なマナーは守ってくださいね。

 昨日 元拉致担当相 参議院議員 中山恭子先生の講演をお聞きしました。
 
 これは、先週の日曜日まで6週にかけて放送を担当した、スタジオ日本 日曜討論番組を支える会の年末総会および新会員歓迎会の目玉企画でした。

 テレビ等でわかっているつもりでしたが、本物の中山恭子先生は本当に品のある素敵な大和撫子でした。今「ナデシコ」ブームで、女性であれば「ナデシコ」と命名しますが、この中山先生の上品さを見るととてもそれが安っぽい言葉に落ちたなと思うのは昨日講演にこられた50名ほどの皆さん全員の意見だと思います。

 演題は「あの日、あの時」で、5人の拉致被害者が初めて帰ってきてそれを返すかどうかのせめぎあいの場面を語っていただきました。

 当時、小泉訪朝で5人生存、その他は死亡または未入朝(朝鮮国内に入っていない)と北朝鮮側から言われ、そのままを被害者家族に伝えたのが、敗戦後の日本の外交の形だと批判されました。

 北朝鮮からそのように言われても、確認もせずただ伝えるだけです。そこには国家の威信も何も存在しない戦後の日本の外交があるのです。さらに、未だに帰国できない被害者を残したまま、北朝鮮と国交正常化を進める「愚」、これが敗戦後の日本の外交の姿ですと嘆かれました。

 というのも、その際にどうして返さないのですかと聞かれた時に「国家の威信です」と言われた時に、「国家」という言葉が戦前の国家体制や軍国主義や全体主義を思い起こされると大変な非難を浴びたそうです。たった10年ほど前ですが、こういうことがあったそうです。でも、その後藤原正彦先生の「国家の品格」という本が大ヒットし、国家という言葉に対し、なんら違和感も持たせないようになり、いまは普通になりました。

 ご主人の中山成彬氏も麻生内閣の時に、日教組を批判して大臣就任直後に辞任しました。その時は「日教組批判」が命取りでしたが、今回は日教組批判で堂々と選挙に勝ちました。

 その際に送りつけられたFAXなどに書いてある言葉が本当にどうしてこんなことが書けるのかと思うくらいひどい言葉が書いてあったそうです。わたしもこのブログが炎上した時に感じたことと同じで、とても親近感をもちました。普通の日本人の感覚では書けない言葉の羅列です。

 日本の中で徐々に変化していることが感じられます。

 その後、拉致問題の7分のビデオを見せてもらいました。どうして拉致問題が起こったのかという外国に向けて、いろんな言語でナレーションがいれてあります。

 その際に、どうやって拉致をしたかという方法を描いてありました。被害者に襲いかかり、猿轡をかませ、ボディバッグ(死体をいれる袋)に押し込み、ボードで沖合に待つ高速の出る工作船に載せ換え北朝鮮に連れて行かされました。

 13歳の少女が屈強な男たちからそんな目に遭わされてどれだけ恐ろしかっただろう、どれだけ苦しかっただろうと思うと、目頭が熱くなってきます。懇親会の時に話していると、ほかの方々も同じことを感じておられました。

 それではどうして北朝鮮は、日本人を拉致したのか、それは、1945年に終戦となり朝鮮半島はソ連とアメリカに分断されて占領されました。1950年から53年まで朝鮮動乱が始まりました。その間日本は7年間の占領政策が終わり、1952年に独立を回復しました。朝鮮戦争の真っ只中でした。

 南北朝鮮両国は休戦になりましたが、南を凌駕したい北朝鮮は、たくさんの工作員(スパイ)を送り込んでいましたが、どうしても北と南の言葉の訛りや風俗習慣の違いで発覚してしまうために、日本人になりすました工作員を送り込もうとしたのが拉致問題の真髄です。

 日本の普通のというよりも、きちんとした家庭で育った人達を選び抜いて拉致しています。その厳しく躾けられた日本人としての生活習慣を北朝鮮人の工作員が一緒に暮らして学び取るのです。

 これがわかったのは、大韓航空機爆破事件でした。日本人親子が爆弾を仕掛け、大韓航空機が爆発墜落しました。その犯人を探している時に蜂谷真由美という日本人とその父親が逮捕されました。その父親役は毒薬を飲み死亡、娘役を捉えて初めて北朝鮮の工作員が日本人になりすまし、工作したことがわかったのです。

 この蜂谷真由美こと金賢姫という北朝鮮人で、その教育役が田口八重子さんという拉致被害者だということがわかりました。

 ほとんど拉致被害者は一般の人と隔離され、この事件が発覚した時も誰も知らなかったそうです。

 この話を一緒に聞いた関家具の関文彦社長は、この「拉致」を評して、こんなわかりにくい言葉ではなく、「袋かぶせ、人さらい」と呼んだほうが良いと言われました。

 その意は、もっと日本人に普通の生活をずたずたにされた人たちがいることを理解させるためには難しい言葉ではなく、簡単に状況がわかる言葉を使わねばということです。

 私たちは、拉致問題いや「袋かぶせ、人さらい問題」をもっと身近にそして自分のことのように考えなければならないということです。安倍政権が誕生して、いままでおざなりにされてきたこの問題の一刻も早い解決を大いに望みます。