カムイ・シモリ | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

♪川は流れてどこどこ行くのぉー♪ 

私たちはおおむね、川というのは山奥の上流から多くの
支流を集めて、下流へと流れて海に注ぐものだと認識
している。だがアイヌはまったく逆の世界観を持っている。
つまり川の女神は、海から山に向かって上ってゆくと
考えていた。女神は子(支流)を産みながら次第に年老いて、
その魂は山に還ってゆくと。だから鮭は溯上するのではなく、
山に向かってゆくのだ。山(ムイ)は神々の聖域だった。
ムイはモイからモリ(森・杜)に転じた。

日本最古の神社は、イザナミノミコトを祀った熊野の
「花の窟(いわや)」だと言われる。本来社殿はなく、巨岩
(窟)自体が御神体である。起源は縄文中期と言われる。
熊野はアイヌ語でカムイ・ヌップ。神の野=神々の住まう
神聖な地域という意味である。この他京都・大江山の
元伊勢・皇太神社や亀岡市の元出雲・出雲大神宮など、
縄文に起源を持つ神社も、社殿はなく御神体山自体が本殿
だった。鎮守の森も森自体に意味があった。

アイヌの神の国(カムイシモリ)には、さまざまな神々が
棲んでいた。コタンコロ・カムイとして一段神格が高い
シマフクロウ。森の守護神・キムン・カムイ(ヒグマ)。
鷲・鷹・狐も、トリカブトや毒キノコも、シャチやクジラ
や亀も、丸木舟・臼・食器・家も、海・火・水・津波・雷
地震も、ありとあらゆる存在や現象が八百万の神であり、
神々は集団で存在し、自分の持ち場や役割を分担していた。
神の国に鳩しかいないような、貧相で陳腐な宗教とは根本的
に違うと言っていい。

だから動植物は神々が人間のために、この地上に降ろして
くれた神々の子であり、殺して食べる行為は、仮の姿から
神々に生命を戻すことだった。だから貝塚というのは、
魚貝類を処理した後、感謝して神送りした祭壇であり、
ゴミ捨て場などではないのだ。

アイヌの信仰では「場所」もまた生ある者だった。この
信仰はアイヌ縄文の古層から、涸れることの無い泉の如く
現代に受け継がれている。地鎮祭がそれである。現代文明
の最先端と誇らしげな六本木ヒルズも、最初は土地の霊に
鎮まり給ふ、神官のお祓いと鍬入れの儀式から始まるので
ある。


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