年の瀬や | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

時は元禄15(1702)年12月13日、江戸・両国橋。
俳諧師の宝井其角(きかく)は、町人・脇屋新兵衛と出会った。
脇屋は子葉と号する俳人でもあった。其角は大川(隅田川)
を見ながら
「年の瀬や 水の流れも人の身も」
と発句を詠んで、子葉の下の句を待った。彼は
「あした待たるる その宝船」 と返した。

子葉は俳人として、本所松坂町の吉良邸にも出入りしていた。
明日14日は吉良邸で茶会が開かれ、必ず吉良上野介は屋敷
にいる。その情報を旧赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助に伝えた。
子葉も赤穂藩金奉行を務めた浪士の一人であり、大高源吾
(忠雄)と言った。脇屋新兵衛とは世を忍ぶ仮の名だった。

赤穂47士は吉良邸に討ち入り、上野介の首を挙げる。
大高は泉岳寺で、僧の求めに応じて

「山をさく 刀もおれて 松の雪」 と詠んだ。あとは
あの世へ行くのを待つばかり(松の雪)と・・・

源吾は大石主税などと共に、松平隠岐守の屋敷にお預けと
なった。年が明けて屋敷の庭に梅が咲く2月4日切腹
享年32歳。

「梅で呑む 茶屋もあるべし 死出の山」が辞世の句
である。


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