岸信介研究その2 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

岸は1939(昭和14)年10月帰国し、官僚の
トップである商工次官となる。1941年10月、
東条内閣に非議員の商工大臣として入閣し、物資
動員の全てを扱う。東条英機の懐刀と呼ばれる
側近中の側近と呼ばれた。そして12月8日大東亜
戦争開戦。翌年第21回衆議院議員選挙で初当選。
この頃までは日本軍も岸本人も上潮だった。

1942年6月ミッドウェー海戦大敗。翌年2月
ガダルカナル島撤退。5月アッツ島守備隊全滅。この
頃から、東条と岸は戦争継続を巡って対立し、蜜月
時代が終了する。商工省は軍需省となり、大臣は東条
が兼務。岸は次官へ降格させられる。この対立が、
A級戦犯容疑の岸の命運を左右したのかもしれない。

1944(昭和19)年7月サイパン陥落。東条内閣
総辞職。11月からサイパン島のB29による本土
空襲が始まる。1945(昭和20)年3月11日に
岸は反東条の「護国同士会」結成。8月15日終戦。
岸は山口でA級戦犯容疑で逮捕され、巣鴨プリズンに
収監される。49歳。

状況からすると死刑が濃厚だった。いつ処刑されるか
わからぬ不安に押し潰され、悲観して自殺する者も
あった。男の人生に必要なのは「闘病と投獄」と言った
のは誰だったか? 艱難汝を珠にす。岸はここで
14歳年下の児玉誉士夫と利害関係を超えた、肝胆
相照らす仲になる。満州時代に面識はあったかも
しれないが、己の思想や志を深く語り合うのに、獄中
は絶好の場と言えるだろう。

1948(昭和23)年12月24日、東条英機ら7名
がA級戦犯として処刑された翌日、岸は釈放され、
3年4ヶ月の獄中生活を終える。1951(昭和26)
年9月、吉田茂を全権とするサンフランシスコ講和
会議~対日講和条約+日米安全保障条約調印。岸は
その翌年にに公職追放解除となった。


面白いほどよくわかる太平洋戦争―日本の運命を決めた「真珠湾」からの激闘のすべて (学校で教えな.../太平洋戦争研究会
¥1,365
Amazon.co.jp

ペタしてね