岸信介研究その3 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

岸が日本社会党に入党しようとして、強硬な反対に遭い
渋々自由党に入党した事はすでに述べた。だが吉田首相
の「軽武装・対米協調路線」に猛反対して自由党を除名
される。そこで1954(昭和29)年11月、鳩山一郎
を担いで「日本民主党」を結成し、自らは幹事長に就任
する。翌年保守合同で自由民主党結成で、初代幹事長。

この鳩山政権誕生の裏側で、湯水のように使われたのが
児玉誉士夫の「児玉資金(海軍の秘密資金)」だった。
このエピソードを知っていると、文京区の鳩山御殿が
違った角度から見えてくる事だろう。

では右翼活動家にして暴力団錦政会(後の稲川会)顧問・
昭和の政財界の黒幕だった児玉誉士夫について書こう。
児玉は1911(明治44)年2月18日、福島県安達郡
本宮町に生まれた。8歳の時、朝鮮の親戚の家に預け
られ、京城商業専門学校卒業とある。8歳といえばまだ
まだ父母の愛情が恋しい時期であり、長じて後その心の
空白を、権力や金力によって埋めようとしたのだろうか。

また日韓併合によって朝鮮半島が日本領だったとはいえ、
さまざまな局面で日本人による朝鮮人差別の現実に遭遇
し、複雑な心情と、日本人としての自意識を養っていった
ものと思われる。

児玉は帰国後、右翼の大立者・頭山満に出会い、その人
と思想に傾倒して私淑。18歳の時、赤尾敏創設の右翼
団体「建国会」に加わり、昭和天皇に対する直訴を企て、
半年の投獄。その後も、井上準之助蔵相脅迫で投獄。
斉藤首相暗殺+皇道派クーデターが発覚して懲役3年半
など、20代の大半を獄中で過ごした。

人生の転機は、笹川良一が結成した「国粋大衆党(国粋
同盟)」に参加した事に始まる。児玉は笹川の紹介で、
1938(昭和13)年、海軍航空本部の嘱託となり、
1941年に上海で「児玉機関」の運営を開始する。
児玉機関は、タングステン、ラジウム、コバルト、
ニッケルなどの戦略物資を買い上げ、海軍に納入する
独占契約を結んだ。さらに鉄・塩・モリブデン鉱山を
管轄下におさめ、農場・養魚場を確保して食料を調達。
毒ガス・細菌兵器等の秘密兵器工場の運営やヘロイン
の取引きは、悪名高い731部隊や里見機関と地下水脈
で繋がっている。

終戦時の児玉上海資金は、現在の時価相当で3750
億円とされているが、米内光政海相の了承を得て、児玉
が掌中にした。その後児玉は、A級戦犯容疑で巣鴨プリ
ズンへ収監されたのである。この時児玉35歳。

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