岸信介研究その5 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

関東軍の731部隊が、GHQに生物化学兵器の人体
実験資料を引き渡す交換条件として戦犯免責したように、
児玉も児玉機関に関する秘密情報を提供するCIAとの
取引きによって、1948(昭和23)年末に釈放された。

1958(昭和33)年に、児玉はロッキード社の秘密
代理人となり、岸首相に「F104スターファイター
戦闘機はいらんかね?」と持ちかけた。戦闘機や旅客機
は単価高いからなぁ・・・儲かるよなぁ!!
児玉は同様の働きかけを、韓国・朴大統領に対しても
行っている。韓国は児玉が少年期を過ごした地であり、
旧関東軍と児玉機関で培った人脈によって、勝手知ったる
地だった。

池田内閣+朴政権発足2年目の1965(昭和40)年
に日韓基本条約が成立し、国交が正常化する。5億ドル
という韓国国家予算の2倍規模の対日賠償資金供与が
行われた。岸は伊藤忠の瀬島龍三や椎名悦三郎などの
いわゆる「満州人脈」を軸にした「日韓協力委員会」
を立ち上げて、韓国利権に喰らいついた。

「5億ドルもあれば、援助金のピンハネや開発資金の
キックバック(礼金=賄賂)、融資に絡むリベートなど、
政治家にとっても美味しい裏金が作り放題なんだよ」
と、児玉の霊が言ってますが・・・

1968(昭和43)年1月、世界基督教統一神霊協会
(統一教会)創始者の文鮮明は、「共産主義は神と人類
の敵」として、反共政策を推進する「国際勝共連合」を
結成した。この動きに呼応して児玉は、笹川良一を名誉
会長、統一教会会長の久保木修巳を会長とする日韓組織を
立ち上げた。この組織は代々統一教会幹部+信者によって
運営されているので、事実上下部組織に位置づけられて
いる。

統一教会は1964(昭和39)年7月5日に宗教法人と
して認可され、国際勝共連合の梶栗玄太郎が教区長と
なった。そして協会本部は渋谷区南平台(松涛)の岸邸隣
に設けられた。岸・笹川・児玉が有力支援者である統一
協会は、その後も自民党有力支持母体となっている。
岸派~福田派~三塚派~森派の流れで、つい最近まで
そんなもんだろうな・・と思っていたけど、いつの間
にか民主党の支持母体になってた。どーなってんの?
鳩山・一郎さん!!

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