テンプル騎士団 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!

1793年11月16日、時はフランス革命の真っ只中。
フリーメーソン系ジャコバン党員たちは、パリ・シテ島
のノートルダム大聖堂で、カトリック的祭壇を取っ払って、
「理性の女神」に対する礼拝式を行ったという。シテ島は
古代ケルト人の聖地であり、理性の女神とはケルト人が
崇拝した「黒マリア=マグダラのマリア」である。

 マグダラのマリアは、フランス・マルセイユ近郊の
サン・マクシマンに埋葬され、5世紀以後マルセイユの
カッシアヌ派の修道士が彼女の墓を守ったという。8世紀
に30だったマドレーヌ(マグダラ)寺院は、12世紀には
125に増え、うち50が黒マリアの聖堂を持っている。
その1つが、1134年に突如出現したゴシック様式で
建てられたシャルトル大聖堂である。シャルトルはケルト人
カルニュート族の支配地首都であり、聖なる泉を囲んで
ドルイドの秘儀を行った土地である。

 シャルトルのあるシャンパーニュ地方の騎士たちによって
結成されたのが、後にフリーメーソンと合流するテンプル
騎士団である。ゴシック建築はフリーメーソンが「全能の
建築士」と呼ぶ「太古から伝えられた叡智」抜きにしては
不可能だ。黒マリア聖堂は、ノルマンディ半島のモン・サン
ミッシェル寺院など、ほとんどがケルトの聖地に建てられて
いる。もはやこれは偶然などではなく、彼らが計画的に配置
した、ローマカトリック(バチカン)に対する挑戦状と言える。
 マリア像の原型は、エジプトの女神イシスが息子ホルスを
抱く母子像にあるという。マグダラのマリアはバビロニアの
地母神イシュタルに仮託される。この地母神信仰は、2万
5千年前の旧石器時代にも認められる「人間の心に本来
備わっている元型」のようなものなのだろう。

 シュメールのイナンナ、バビロニアのイシュタル、エジプト
のイシスなど、古代オリエントの地母神に共通するものは何か。
「女」という性別ではなかった。原初地母神は両性具有なのだ。
それは「死と復活」。大ピラミッドで行われたイシスの秘儀も、
アマテラスの岩戸隠れも、イエスとマグダラのマリアも、この
神話体系で1つになる。そして、死と復活のシンボルマークが
「渦巻き文様」なのである。マルタ島やクレタ島の渦、ケルト
の渦、日本の巴紋などに見られる。

 イエスが最も伝えたかったメッセージは、誰もが知っている
十字架上での死と、その後の復活である。「自らに死して自らに
生まれよ。創造の秘儀である」という事なのだが・・・そして
そのドラマの最重要キャストがマグダラのマリアである。
 ところがローマカトリックで彼女は、ほとんど抹殺されている。
「父と子と聖霊/原罪/神の国と悪魔の国」という3点セット
が出来上がったのは、4世紀アウグスチヌスの時代。父性神格の
反自然神話にすりかわってしまった。異なる神話的自我が
出会う時、双方とも渾身の力で排除しようとする。ローマ
カトリックとフリーメーソンが天敵なのは当然と言える。

 ところで、ローマカトリックが聖母マリアを処女懐妊とし、
マグダラのマリアを排除して隠したかった情報とは、一体何だった
のだろう? ダビンチコードの如く、イエスがマグダラのマリア
を愛し、子供までつくった・・・という事だろうか?
どうもそれだけではないようだ。

 フリーメーソン思想の中核はヘルメス思想やグノーシス思想
なのだが、そのグノーシス派でイエスは「後家の子」と呼ばれて
いた。 まずい・・・これはまずいぞ・・・何だかわからない?

遠くシュメールの時代、神のお告げを告げる巫女(ダム)が
ジグラッド最上階にあるマール(寝室)に登って横たわり、
特殊な二股のベッド(ナードゥ)に寝て、東に向かって下半身を
開く。朝日が彼女の女性器を照らして、見えない男祖神サグ・
ギク(黒い頭)と交わった時、神の言葉を口走るという、秘儀
マムダカというものがあった。これが神聖娼婦の始まりと
されている。
 ここまで書けば察しはつくと思うが、女神信仰の伝統がある
民族には、神聖娼婦の慣習があった。女神の神殿で見知らぬ
男と交わって出来た子を「神の子」と呼んでいたのである。
何も聖母マリアがそうだったとまでは言わないが、おそらく
ローマカトリックの信者は、絶対に受け入れないだろう。
そりゃ、隠したくもなるだろうさ・・・
 
 余談ながら、天照大神の別名はオオ・ヒルメ・ムチ。
ピル・メはシュメール語で太陽神。ヒルメ、ウズメ、サルメは
シュメール語で巫女という意味だという。マ・ダムの語源
も巫女というわけだ。

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