ケルト巴 | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!


 新潟県佐渡島の音楽集団「鼓動」。その大太鼓には
左三つ巴紋が描かれている。太鼓は宇宙と響きあう神器で
あり、巴は生々流転する命の渦巻きの象徴である。
 巴紋の起源は、応神天皇の238年に新羅から加羅を経て
渡来した秦氏が創建した、宇佐八幡宮の神紋だった。それが
全国の八幡宮で用いられるようになったのである。他にも
鹿島神宮・香取神宮・熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智
大社などが巴紋を神紋としている。

 さらに起源を遡ると、新羅が交易していたローマ帝国領
に至る。ドナウ川流域ルーマニア平原のダキアから、新羅
王室に贈られた宝剣に「ケルト巴」と呼ばれる三つ巴紋が
刻印されている。ケルトの渦は、7世紀アイルランド修道院
の「ダロウの書」や「ケルズの書」にも見られる、ケルト
精神の中枢である。

 ケルトとはローマ帝国以前、ヨーロッパ全域を支配して
いた先住民族だった。ギリシャ人が異文化集団(バルバロイ)
を総称してそう呼んだもので、単一の民族名ではない。
ハンガリアのダルダニ族、イタリア北部のボイイ族、スイス
のヘルウェティイ族、フランス中部のハエドゥイ族、
南フランスのウォコンティ族、ブルターニュのウェネティイ族、
イギリスのイケニ族など、多様な部族集団だった。
 そもそもは、馬の原産地とされる黒海北岸のキンメリア族
が、隣国スキタイ人に圧迫され、トルコのアナトリア高原や、
西のハンガリア平原に移住したのが始まりとされる。
BC800年頃には、東ヨーロッパに鉄の武器を使う「ハル
シュタット文化」を形成する。

 彼らは金髪で背が高く、羊毛製のマントを着て、チャック柄
のおしゃれなズボンをはいていた。金属メッキしたバックルや、
洗練されたデザインの装身具を身に付け、女性はマニキュアや
頬紅などの化粧をしていた。
 広大な畑には大麦・小麦・ライ麦・オート麦・えんどう豆・
インゲン豆などを栽培し、牧草地には牛・羊・山羊・豚・馬
などを家畜として飼育していた。普段は自家製のビールや
蜂蜜酒を飲み、祭りなどには輸入物のワインを飲んだ。豚肉
をハムやベーコンに加工し、チーズやヨーグルト、バターなど
の乳製品を作り、鹿や猪、野鳥や熊の肉も食べた。川や湖や
海のあらゆる魚介類を調理したし、豊かな森には野生の果物
や木の実も豊富にあった。石鹸も作り、樽をつくる、木材
加工技術にも優れていた。

 交易品はハルシュタットの岩塩や、鉄と青銅のインゴット、
陶器や毛織物。これらを地中海産のワインや金銀琥珀、
ガラス製品などと交換した。交易ルートとしてドナウ川・
ライン川・ローヌ川・ロアール川・セーヌ川などが用いられ、
航海術に優れたフェニキア船団と協力して、遠くアフリカや
インドとの貿易も行った。
 ケルトには独自の精神文化が存在した。ここで再び三つ巴
が登場する。3は古代世界における神聖数で、ケルトでは
3人の地母神や3面頭の神が在る。彼らは魂の不死を信じて
いた。この世で肉体は滅んでも、魂は新たなる肉体を得て
転生する。この生々流転の象徴が「3つの渦巻き」なので
ある。

 彼らは木にも動物にも虫たちにも、ありとあらゆるものに
聖霊が宿ることを鋭敏に感じ取り、聖霊たちと交感した。
大河の源流にある泉は特に重要で、母なる地母神の力を
宿した聖所だった。地母神は牡牛に化身した。
 大岩や巨樹も聖なるものだった。南フランス・オー
ヴェルニュ地方のピュイ・アン・ヴァレには、2つの巨大な
奇岩がある。ここはロアール川の源流に位置するケルトの
聖地だった。奇しくもその岩は、熊野の神倉神社の御神体
「ごとびき岩」を連想させる。日本でも縄文杉や羽衣の松、
薄墨の桜など、樹齢数百年の古樹は御神木であり、泉には
弘法大師空海の信仰などが重なる。ケルトの信仰は日本人
にとってわかりやすく、直接精神の深い部分で響き会う。
三つ巴紋は、そうした絆の象徴なのかもしれない。

 ケルトの神話や精神を統括し、指導教育しているのが
「ドルイド」と呼ばれた僧たちだった。彼らは瞑想に
よって宇宙の創造主と交感する能力を持つ祭司であり、
学者・思想家・教育者であり、政治的助言者や裁判官の
立場にもあり、薬草の知識に長じた医者であり、詩人・
音楽家・芸術家・占い師でもあった。

 ドルイドの天文学・自然科学・医学の知識は、BC
2965年前後にイギリスのストーンヘンジを築いたと言わ
れるミノア人(クレタ人)の叡智を受け継いだものである。
ミノア人も魂の不死を信じ、渦巻きをその象徴とした、
牡牛を地母神として祀る人々であった。
 紀元後、ローマ帝国とキリスト教徒が勢力を拡大し、
ゲルマン人の大移動などもあって、ケルトの人々は
アイルランド、ウェールズ、スコットランド、フラ
ンス・ブルターニュ地方、スペイン・ガリシア地方へと
追いやられる。薬草や癒しの知識に長じていたドルイド
の女祭司を、キリスト教徒は魔女として抹殺していった。
ドルイドの精神や感性は魔術かオカルトと低俗視され、
彼らの高度な文明は「野蛮人の先史文明」として歴史の
闇に葬り去られた。そして現在ケルトの聖地には、
キリスト教徒の大寺院が建てられている。


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