イエス・キリスト | 歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

歴史エッセイ集「今昔玉手箱」

本格的歴史エンターテイメント・エッセイ集。深くて渋い歴史的エピソード満載!! 意外性のショットガン!!


 イエスがいつ生まれたのか、今となってはあまり重要
とは思えない事柄だが、12月25日というミトラ教の
冬至祭りの日などではなかっただろう。マタイによる福音書
第2章によると、東から来た博士たちは「ベツレヘムの星」
を見て、キリストが生まれる事を知ったとある。

 この星はいかなるものであったのか。むろん諸説ある。
一説では、紀元前7年9月15日、木星と土星が魚座で
重なったものだという。真偽の程は不明だし、だからどうした
と言われても「うーむ」と唸るしかない。

 イエスという人物の風貌がどのようなものだったかに
ついては、少し興味深い資料がある。ローマのユダヤ代官・
ポンティウス・ピラトのサインがある「尋ね人布告」という
文書で、ユダヤ人の歴史家・ヨセフス(AD37~100)
が著作に残したものである。

「この頃、これを人間と呼ぶことが許されるならば、魔術的
力を持つ人間が出現せり。この人物を一部ギリシャ人は神の子
と呼べり。しかしこの人の弟子らは、真の予言者と呼べり。
この人物は死者をよみがえらせ、すべての疾病を癒すと言われ
たり。この人の性格と形は人間なり。普通の外見、大人、皮膚
あさぐろく、背低く3キュービット(約153センチ)ほど、
せむしで、顔長く、鼻長く、両の眉くっつきたり。それ故、
同人を見ると恐がる人もいたり。髪の毛まばらで、これを
ナイリタス人にならい真ん中から分けていたり。あごひげ
ほとんどなし
(コリン・ウィルソン著「世界残酷物語(上)青土社刊」)

 この文書の筆者は、イエスを目撃し、何ものなのかと疑問
を持ちながらも、外見を見たままに描写しているようだ。偏見
や観念的記述は見当たらない。もしこれが本当なら、イエスは
「一本眉」だった事になる。一本眉とは、池波正太郎著
「鬼平犯科帳」に登場する盗賊の通り名を、つい連想してしまう。
罰当たりだろうか。

 外見がどうあれ、イエスが奇跡的能力で病人を癒し続けて
いた事は間違いない。イエスに癒され、イエスを支持・崇拝
した人々は、アム・ハーレスという一般民衆だった。
 イエスが登場する以前、モーゼの律法は神官層である
サドカイ派と、律法学者のパリサイ派が保持していた。
両派は特権階級であり、神に選ばれた者
だと信じていた。律法もろくに知らないアム・ハーレスの
如き連中は、単に選ばれない者ではなく、呪われた存在だった。
ユダヤ社会の政治的実権は、パリサイ派のシモン・ベン・
シャタッハが握っていた。

 そこにイエスが現れ、山上からアム・ハーレスに向かって
「天国においてあなたがたの受ける報いは大きい」などと、
パリサイ派の解釈を根底から覆してしまう。イエスは存在
そのものが革命だった。特権を否定されたパリサイ派の宗教
貴族が、怒らないわけがない。イエスはいつ誰に殺されても、
おかしくなかったと言える。
 案の定、イエスはパリサイ派の祭司長や律法学者に嘲弄され、
ローマ総督・ピラトによって政治的反逆者の罪名を与えられ、
十字架で磔にされた。イエスは両腕の尺骨とぎょう骨の間に
釘を打ち込まれ、両足を重ねて釘づけにされた。出血はあまり
ない。呼吸困難と血液循環不全に陥り、その結果「窒息死」に
至る。福音書によると、この間6時間余り。途方もない苦痛で
あっただろう。

 イエスの刑死は、紀元30年頃となっている。紀元30年
にはエジプトで、プトレマイオス朝の女王・クレオパトラが
自殺している。エジプトはローマの属領となった。古代
ギリシャ世界が終わり、キリスト教世界が始まる象徴的な
年となった。
 イエスに関する最古の文書は、パウロの書簡であるとされて
いる。パウロはユダヤ教徒として、初期キリスト教徒を弾圧
した人物である。だがシリアのダマスカスへ行く途中雷電に
打たれ、イエスの絶対的支持者になったという、極端な人物
である。

 そのパウロ書簡「テモテへの手紙・ヘブライ人への手紙・
テトスへの手紙」は、どうやら完全に偽者らしいと判明した。
「エフェソの信徒への手紙」なども真偽が疑わしいという。
 パウロ神学の根幹である「原罪」や、十字架上での贖いと
しての死とかは、偽手紙を作成した者たちの思想である可能性
が高いという。やれやれ、ややこしい話である。こういう時は
「原罪なんて知らないもんねぇ」と、日本人に戻る事にしよう。


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