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徳川家康がつくった最強部隊とは 戦国最強 本多忠勝 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説2

大河ドラマ「どうする家康」の放送に先駆け、徳川家康の歴史について解説。今回は家康を支えた重要な家臣・徳川四天王の本多忠勝【中編】
また家康がなぜ野戦に強かったのか、その理由について解説。それは武士団の編成の凄さがあったから。

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松本潤主演 新たな徳川家康像とは!天下人へ導いた四天王とは 本多忠勝 前編 大河ドラマ「どうする家康」歴史解説1

大河ドラマ「どうする家康」の放送に先駆け、徳川家康の歴史について解説。第一回は家康を支えて重要な家臣・徳川四天王について。本多忠勝、酒井忠次、榊原康政、井伊直政の4人はなぜ四天王と呼ばれるようになったのか?それは家康と豊臣秀吉による激戦、小牧長久手の戦いがきっかけとなった。動画では四天王の活躍についてシリーズで紹介していく。

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承久の乱 後鳥羽上皇の誤算 尼将軍北条政子の言葉「鎌倉殿の13人」歴史解説㊼

打倒北条義時を掲げ、後鳥羽上皇は全国の武士たちに院宣を出すが、従う武士たちは少なく承久の乱は失敗に終わった。この時、関東武士たちを一つにまとめるため、北条政子は鎌倉幕府の御家人たちにある言葉を送った。その様子が吾妻鏡に記されている。今回の動画では承久の乱の一部始終と尼将軍と云われた北条政子について紹介する。


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後鳥羽上皇の院宣 北条義時ら御家人たちの密談 承久の乱へ 「鎌倉殿の13人」歴史解説㊻

鎌倉幕府三代将軍の実朝の死後、宮将軍という形で朝廷から将軍になる人物を選ぶこととなった。この頃、後鳥羽上皇は幕府から政治的な権力を取り戻そうと考えていた。そして打倒北条義時を企て、院宣を全国に出した。ところが…。