日本における今後のキリスト教伝道について、書きたいと思います。

何度か書いている通り、日本におけるキリスト教信者は、全人口の1%程度という状態が長く続いていると言われています。

我々、クリスチャンは、福音書に書かれている大宣教命令を知っています。そして、教会では、今もこの大宣教命令は続いていて、

福音を多くの人に伝え、伝道しましょうと言われます。

しかし、そのように皆が思い、伝道してきたはずですが、一向にクリスチャンは増えません。

何度も書いている通り、イエス様のことを知らない日本人に福音を伝えないとという発想では、クリスチャンは増えないと思います。

何度も書いている通り、日本には既に紀元前にユダヤ教が、そしてかなり古い時代に古代キリスト教が伝わっていて、それが神道や仏教に取り込まれたことを理解しないと伝道は厳しいと思います。

先日、動画で、古神道の方が話しているのを視聴しました。彼がいうには、神道の人たちは、古代キリスト教と神道は深いつながりがあったことを誰でも知っているというのです。

ローマ帝国 コンスタンティヌス帝がキリスト教を国教としたのが313年。そこから、キリスト教は異端認定が始まり、分派も起こってきました。

ユダヤ民族の末裔と言われる秦氏が登場するのが紀元200年頃。西洋でキリスト教が力を持ち、広範に広がる前に、日本に古代キリスト教が秦氏により持ち込まれていて、大きな影響(もしかすると影響どころではないかもしれません)を与えていたのだろうと思います。

私が教会でこういう話をすると、異教に与する者だとか、偶像崇拝だという人が後を断ちませんが、大きな勘違い、認識違いがあると思います。

そして、日本という国が世界の他の国と違うと言われている点を考慮しなければなりません。縄文時代は、16000年続いたと最近の研究ではなっています。

16000年争いなく平和な‘国‘があったということです。和を以て貴しとなす、聖徳太子の17条憲法の一文ですが、縄文時代から続く、この精神こそが、

外からの文化、宗教、習慣を取り込み、日本という国を争いを是とする他国とは一線を画す国にしたのだろうと思います。太平洋戦争も日本は負けた、

でも東南アジアなど西洋の植民地化状態にあった国々を独立に導いた功績があったのだという学者もいます。

フランシスコ・ザビエルが残した手記でも、日本には既にキリスト教が入っていたと書かれているそうです。でも、私たちが習う歴史はザビエルが日本に初めてキリスト教を伝えた人となっています。大きな間違いです。ザビエルが来る1000年以上前に古代キリスト教が入っていて、その精神が日本の宗教、文化、習慣に溶け込んでいることを認識しない限り、日本における伝道はずっと厳しいままと思います。問題は、何故、その事実が隠されているか、ではないでしょうか。

日本の国の成り立ちに関わってくる問題かもしれません。天皇家は2600年続く世界最古の王朝です。なぜ、2600年も続いているのでしょうか?天皇家は、ダビデ王家の末裔で神に守られてきたからという人もいます。京の都、平安京は第二のエルサレムとして建設されたという人もいます。祇園祭りはシオンの祭りであるという人もいます。隠されていることが明らかになる日が来るのか、その日が来たら、日本におけるキリスト教の位置付けが変わると私は思います。


私は、クリスチャンですが、浅草に住んで25年になります。クリスチャンになって10年くらいです。

浅草に住んでいると普通にお祭りに接します。もちろん、お神輿が嫌いという人もいっぱいいますが、

神輿を担ぐこと、祭りを楽しむことが、普通です。

私も普通に祭りに参加してます。積極的かどうかは別にして、神輿も担ぎます。

しかし、先日、クリスチャン仲間から、神輿を担ぐのはいかがなものか?と注意を受けました。


異教だと、偶像崇拝だと。


この意見に、二つの観点から反論したい。


一つ目は、地域行事に参加することは偶像崇拝なのか?という点です。

確かに神輿、祭りは神社の氏子による祭りで、神道行事であることは否めません。

しかし、地域生活に密着にしたものであり、これを否定することはその地域に住めないということになります。

地域行事に参加することが偶像崇拝というのは、あまりに過剰反応と思います。


二つ目は、神社は、異教なのか?という点です。

何度か書いている通り、日本における仏教、神道は、イエス様の教えが入ったものと私は考えています。

西周りのキリスト教をキリスト教と思い込んでいる人たちからすると、仏教も神道も異教となります。

しかし、325年のニケーア公会議、431年のエフェソス公会議で、異端とされたキリスト教を受け継ぐ教えは本当に異教なのでしょうか?

歴史を紐解くと、ニケーア公会議はローマ皇帝の意向を大きく踏まえたもの、エフェソス公会議も、時の皇帝、教皇の意向を踏まえたもの。

政治、権力そういったものによる異端認定。大事なのは、イエス様の教えを大事にすることではないでしょうか?

時の権力者の都合の良いようにされた、いくつかの公会議により、異端、偽書とされた聖典がいくつもあります。トマスの福音書などもそのひとつ。

トマスが開いた東回りのキリスト教は異端なのでしょうか?前にも書いた通り、イエス様は、弟子たちに大宣教命令を発しました。

世界中の人たちに福音を伝えよ、という命令です。あたり前に弟子たちは、西に、東に、伝道、布教を行ったはずです。

西に行ったペテロやヨハネそしてパウロの伝えたキリスト教のみがキリスト教で、東に行ったトマスたちが伝えたのはキリスト教ではない、

などということはあり得ません。638年唐の太宗皇帝はキリスト教の一派である景教を国教にしました。200年?(諸説あります)程度で廃れたようですが、

それでも200年程度唐の国教であり、他の地域に伝播したことは否めません。

何人かの学者がいうように大乗仏教は、キリスト教のいいとこどりをして、大衆に受け入れやすくしたものという指摘は無視することはできません。

しかし、日本の歴史の中で、神道がある程度固まってきたのが、2から7世紀ぐらいと考えるなら、ユダヤ人、古代キリスト者たちが他の渡来人に混ざり、

日本に来て、文化形成に加わったとすると神道にはイエス様の教え(古代キリスト教と言えるかも)が大きく入っていものと思われます。

その視点で考えると神道を異教とし、神輿は偶像崇拝とすることには無理があると思います。

そもそもユダヤ教も神道も御神体がありません。ないということを理解して言っているのか、疑問に思います。

神道の神殿もユダヤ教の神殿と同様、御神体がなく、依代があるだけです。神輿も依代(神が一時的に宿るところ)の一つ。偶像ではありません。

神輿は、契約の箱を模したものと主張する人たちも多くいます。それを異教だ、偶像崇拝だ、とする考えに同意できません。

前にも書いた通り、日本にキリスト教を伝えたのは、ザビエルではありません。ザビエルはカトリックを日本に伝えた人であることは間違い無いでしょう。

でも、ユダヤ教、古代キリスト教は、紀元前、5、6世紀までに伝わっていたはずです。

たった1%しかクリスチャンがいない日本、キリスト教を知らない人たちに伝道しなければというのであれば、

日本にいつイエス様の教えが届き、溶け込んでいるかを理解しない限り、日本でキリスト教を広めることは難しいでしょう。

皆さんは、キリスト教はいつ日本に伝えられたか、と聞かれたら、何と答えますか?

普通の答えは、イエズス会のフランシスコ・ザビエルが、1549年(天文18年)8月15日に鹿児島に上陸して、伝えたと教科書に書かれている通りのことを答えるでしょう。でもそれは本当でしょうか?確かにザビエルは、1549年にカトリックを日本に伝えたのは間違いのない事実でしょう。

でも、キリスト教あるいはイエスの教えが日本に伝わったのは、もっと、もっと、前のはずです。何を根拠に?と疑う人はいるでしょう。

新約聖書を読んだことがある人であれば、大宣教命令をご存知のはずです。大宣教命令は、いつ出されたのでしょうか?AD30年ぐらい、イエス様が天に上られた時です。つまり、今から約2000年前です。そんな前に、イエスの弟子12使徒+パウロをはじめとした最初のキリスト者は、伝道を宣教を始めたのです。

おかしくないですか?イエス様は、全世界に福音を伝えよと言ったのです。初代ローマ教皇と呼ばれるパウロ、そして、ヨハネ、パウロなどは、西に宣教に行きました。これがカトリックの形成です。さらにカトリックから派生したのが、1483年に生まれたマルティン・ルターが説いたプロテスタントです。ちょっと誤解を与えるような言い方をしてしまいました。1054年に派生した東方正教会がありました。しかし、この大きく分けて3つがキリスト教なのでしょうか?

大宣教命令に従って、東に行ったものはいなかったのでしょうか?いましたよ。トマスであり、バルトロマイです。トマスとバルトロマイは、インドにまで行ったとされています。南インドにはトマスが開いた教会があると言います。AD100年以前の話、つまり2000年程度前の話です。

このトマス等の宣教・伝道は、当時の小乗仏教に大きく影響を与え、大乗仏教を生み出したとも言われます。トマスの教えの流れかは詳細が不詳ですが、AD600年頃中国が唐の時代の第二代の太宗皇帝は、景教を国教にした皇帝です。景教は、キリスト教です。原始キリスト教、イエス様の教えを汲む教えです。

ローマ帝国がキリスト教を国教にしたのが392年、そこから200年程度で中国でキリスト教が国教立ったのです。最澄、空海が遣わされた遣唐使は、唐の時代に言ったのです。その時の唐の国教はキリスト教だったのです。空海が開いた高野山金剛峯寺には、マタイの福音書の写しがあるそうです。誰が持ち帰ったのでしょう?

空海です。最澄は旧約聖書を持ち帰ったと言われています。トマスの教えが仏教を変えたように日本にもち込まれた仏教は、イエス様の教えが色濃く刻まれたとても仏教とは言えないものだったはずです。神道も同じくです。八百万の神を祀る神道と一神教であるユダヤ教、キリスト教は相入れないとよく言われます。本当にそうでしょうか?イエス様が大宣教命令を発したのがAD30年ぐらい。神道が形づくされたのは、早くて400年ぐらい。多分にイエス様の教えが刻まれたと考えるのが普通ではないでしょうか?秦氏という日本に渡ってきて、色々な文化・文明をもたらしたと言われています。古墳時代、飛鳥時代にすでに秦氏によって、イエス様の教えが伝えられ、取り込まれたいたと考えるのが自然です。日本は色々なことを取り組み文化です。前にも書きましたが、最初に聖書を読んだ時、一番聖書的な民族は日本民族だと感じました。そうなのです。日本人に広く伝わる神社・仏閣、神道・仏教にはイエス様の教えが叩き込まれているのです。

そこに西周りのキリスト教が伝来して、果たして、根付くのでしょうか?なぜ、日本はクリスチャン率が1%なのでしょうか?なぜ、伝道・宣教で苦しんでいるのでしょうか?東回りのキリスト教、イエス様の教えを無視しているからです。日本にはイエス様の教えが刷り込まれているのです。そう考えて、伝道・宣教することがとても大事だと思います。