④強制貯蓄という用語の正しい使い方

 

 強制貯蓄という言葉はハイエクなど新古典派経済学者たちが使っていた経済用語で、「完全雇用が長期均衡の状態として存在している場合に起こる貯蓄(標準貯蓄)に対する、実際の貯蓄の過剰分である」としています。

 ハイエクなど新古典派経済学者たちは、労働者たちの望まない失業状態が存在することは認めず、したがって、常に完全雇用状態にあるという立場ですから、完全雇用が長期均衡の状態として存在している場合」というのは決まり文句のようなもので意味はありません。実際は、貯蓄が増えるのは完全雇用からかけ離れた状態にあるからです。

 そして、日銀の黒田総裁が、ハイエクの真似をして、コロナ禍で消費に回せなかった資金について強制貯蓄という現象が起こっていると言っています。

 しかし、ケインズは、強制貯蓄と言う言葉を一笑に付し、「お金の量の変化は金利への影響を通じて、所得の量と分配を変えるので、こうした変化は間接的に、貯蓄金額の変化をもたらすであろうが、こうした貯蓄量の変化は、通常の経済活動に伴う貯蓄額変化とまったく同じで、強制とは言えない。」と言っています。

 新古典派は、経済現象を何でも自然現象であるかのように言い、抗えないものであるかのように、そして、そこに介在する人間の意志や感情が存在してはならないかのように分析しますが、そうした姿勢は大体間違っています。

 黒田総裁が、コロナによって強制貯蓄が起こっていると言っているのは、消費が増加しないことの政府の失政を弁解するためです。むしろ、スタグフレーション(本質はデフレ)からのやむを得ない消費の減少を、ことさら、「強制貯蓄」という人をびっくりさせるような言葉を使って弁解しているだけなのです。

 事実は、誰もコロナ禍から貯蓄を強制などはされていません。政府があまりにも体たらくで、輸出企業ばかりを大事にし、円安によるスタグフレーションで国民が困っているにも関わらず、驚くべきことに、自民党はこの状況下でも低所得層にお金を分配しようとしないので、消費したくても出来ないという現象が起こっているだけです。

 ケインズは、新古典派経済学者のばかばかしい強制貯蓄という理論を否定し、無意味な概念として、ゴミ箱に捨て去っています。

 しかし、「強制貯蓄」とは、言い得て妙であり、新古典派経済学とは逆の方法で重宝に活用できる言葉になり得ます。

 つまり、自然的な必然という無責任な言葉としてではなく、新古典派政府の強靭な意思を表すぴったりの用語としての「強制貯蓄」という言葉を活用出来ます。

 すなわち、筆者は、ここで明確に、税は強制貯蓄そのものであると定義したいと思います。

 「強制貯蓄」=「税」

 ケインズは、消費と貯蓄の定義をするときに、消費されなかった残りが貯蓄であると言っていますから、この定義はケインズ的です。

 税金を支払うときは、一旦、その分の消費は差し控えられ(貯蓄され)、その後、消費に使われることなく、納税されます。ゆえに、納税は貯蓄の一部です。

 ケインズは、貯蓄されたものが将来消費に使われるということは予想されないし、また、消費されると予想することも根拠がないと言っています。

 そしてまた将来の消費の増加は、所得の増加や、物価や金利といった情勢の変化によって起こるのであって、富裕層の貯蓄増加して富裕層が『それじゃあ少し使おうか』などと心変わりすることによって起こるものではないとも言っています。

 貯蓄を消費に使われなかったものと定義すれば、何らかの理由で、消費を思いとどまったものもすべて貯蓄としなければなりません

 まさに、何らかの理由、つまり、納税や社会保険料で取られるという理由で、消費を思いとどまるものだから、「強制貯蓄」=「税」とすることは、ケインズの言う通りです

 このように、「所得=消費+貯蓄」という定義において、貯蓄の一部である「強制貯蓄」という用語が、自由意志によって行われる「貯蓄」と区別されて、政府からの強制によって行われる「税金・社会保険料」を表すことは、余りにも、正当なことです。ゆえに今後は、たとえ新古典派経済学が駄々をこねたとしても、世界の経済学会では「強制貯蓄」とは税金および社会保険料を指すものであるという解釈が主流となるしかないでしょう。

 ただし、この場合、強制する者は自然ではなく、政府であり人間そのものです。

 ちなみに、「所得=消費+貯蓄+租税」という定義の仕方もありますが、租税が貯蓄から独立しているので、これはケインズ的定義ではありません。

 この定義では、消費性向は「消費」、貯蓄性向は「貯蓄+租税」に分配されるものを表します。

 消費しようとする動機の高まりになるものとは、言い換えると、消費性向および限界消費性向の高まりとなるものということですが、一時的な政府支出や特例措置ではなく、将来に渡って安心感を与えてくれる制度的な枠組みであることの方が重要です。

 制度的な枠組みとは、税制、社会保障、雇用、国民の生活圏への政府支出の姿勢、金融制度などが国民に使い勝手が良いものとして継続することなどが前提となるものです。

 消費税増税は、最も消費性向および限界消費性向を下げるものです。

 増税などの強制貯蓄(税金および社会保険料)の影響は低所得層、中間層、富裕層で異なります。

 低所得層は、すでに強制によって奪われた所得の残りを全て消費に使っていますから、増税は間接的・精神的な理由からではなく、直接的・物理的に消費を減らします。

 中間層は自由意志で行っている貯蓄行為を減らすか、消費を減らすか、選択する余地を持っています。しかし、普通に考えて、節約の姿勢を採るものと思われます。

 富裕層もまた、貯蓄行為を減らすか、消費を減らすか、選択する余地を持っていますが、貯蓄行為を必要以上に行っているので、貯蓄行為を減らし、消費を減らすことはしないでしょう。

 だから、低所得者や中間層に対する増税は、景気低迷の根源的な原因になります

 ケインズは、いろいろな経済現象について、人がやったことなのに、あたかも、自然現象であるかのように語る新古典派の言い回しに腹を立てていました。

 貯蓄の強制性とは、政府が、権力をもって、膨大な税金や社会保険料で没収するために、一旦貯蓄させ、納税するまでの間の貨幣の貯留状態を言うのであって、それゆえ、強制と言う言葉がぴったりなのです。

 税金そのものを強制貯蓄と言っても、納税のための一時的貯蓄を強制貯蓄と言っても同じことです。

 

 

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