③固定資産税が自治体の手離せない財源という作り話

 

 固定資産税が自治体の手放せない財源であるかのように見えているのは、これは法律で自由自在になることなのに、あえて、自民党政府がそうしているからにすぎません。

 かつて、地方交付税が自治体の手離せない財源でした。そして、それが自然に受け入れられていました。

 なぜなら、地方自治体は国家の一機関であり、財政も国家の端末にすぎないので、地方自治体の財源に関するすべての責任は国家が負うべきものだからです。これは今も変わりません。変わったのは、自民党政府がウソを言い始めたことです。

 国民が現実的に存在する形式は自治体の住民という形式であり、中央政府がリアルな国民としての自治体の住民対して施すべき所得再分配政策の代理執行が自治体であるからには、地方交付税がそのための財源となることは当然のことです

 ところが、小泉政権の三位一体改革によって、地方交付税は削減され、その代わりに住民自身が自治体の財源の不足分を穴埋めしなければならなくなりました。

 これは、それまで、自治体が中央政府の代理業務を行っていると承知していた者にとっては驚天動地の出来事であり、信じられないことでした。中央政府の役割のサボタージュが始まったのです。

 住民自身が自治体の財源の不足分を穴埋めをさせられた最初のイチャモンが固定資産税の重税化です。

 そして、国際投資家による独占を推進する新自由主義者たちから、固定資産税は地方の手離せない財源だなどとプロパガンダされるようになったのです

 すなわち、国際投資家による独占を推進する新自由主義者たちとその番頭の自民党が、「固定資産税は地方の手離せない財源」にしたということであり、これは、税収の矛先が富裕層から(地方の土地持ちの)中間層に付け替えられたことを意味し、地方貧困化政策、そして、国民貧困化政策を行うことが決定されたということです。

 その詳細は次の通りです。

 固定資産税は徴税側にとって都合の良い税金です。何らかの価格という外形だけ決めれば、税額の計算が簡単に出来て、ごまかしに悩むことがありません。また、固定資産は持ち運びが出来ないので、海外に逃げられることもありません。そして、何よりも、税収額が安定しています。

 とはいえ、同じ固定資産税でも、土地の課税標準は流通価格ですから、景気変動によって地価が下がれば、税収も下がります。

 ところが、建物の課税標準は再建築価格(今建てればいくらかかるかの建築費)ですから、物価スライドによって実質的な税収を不変のものとすることが出来ます。

 だから、政府は、安定的な税収を得るために、土地固定資産税よりも建物固定資産税の方を重要な税金としたのです。

 そう断定するのには次の理由があります。

 政府もさすがに固定資産税は重い負担になることを理解していたので、予め、国民からの批判をかわすために住宅に関しては特例措置を講じました。

 ところが、特例措置の内容は、小規模住宅用地の特例「200平方メートル以下の住宅敷地部分については土地固定資産税の課税基準を6分の1に減額し、200平方メートルを超える部分については3分の1に減額する」という変なものになりました。

 なぜ、わざわざ、住宅(建物)の課税標準額ではなく、敷地(土地)の方の課税標準額を減額するようなネジレタ方法にしたのでしょうか。住宅(建物)を減免してやれば、住宅に対するダイレクトな減税となったし、計算も簡単であったはずです。

 それにも関わらず、敷地(土地)の方を減税する特例とした理由は二つあります。

 第一の理由は、建物の再建築価格は大体全国で均等ですから、建物の課税標準額を減額にすれば、減額幅も全国で均等になります。しかし、それでは、東京に住む者は面白くありませんから、東京に住む者が得をするよう工夫したのです。

 そこで特例の内容を、建物敷地となっている土地の課税標準額を6分の1に減額にすることにすれば、地価の高い東京に住む者は、地方に比べて圧倒的に大きな減税措置を受けることが出来ます。現に、その結果、住宅(建物と土地の合計)にかかる固定資産税額は、東京と地方で大差はなくなっています。

 第二の理由は、固定資産税が重税化された1994年当時、地価の下落政策が決定されており、いずれ、土地固定資産税の税収は減ることが予想されていましたから、土地固定資産税に軽減措置を適用していた方が長期的には減額幅が小さくなるからです。

 よって、以上の二つの理由から、わざわざ建物敷地となる土地の方の課税標準を減額することにしたのです。

 すなわち、政府にとって、土地固定資産税よりも建物固定資産税の方が、東京の負担を地方並の負担に下げることが出来るし、将来に渡って、安定的に税収を稼ぐことが出来るために都合の良い財源とされたのです。

 ちなみに、新築住宅の特例がありますが、これは3年間限定であり、国民が住宅を建てるときに、固定資産税がさほど高くないと思わせるためのものです。

 住宅会社は将来予想される固定資産税額を説明するときに曖昧に説明します。そして、住宅を購入した者は、新築から3年後に固定資産税の納付書が届いた時に驚くのです。このように、固定資産税の負担感については官民共謀する詐欺まがいのテクニックが横行しています。

 そして、現在、『地方自治体にとっては、固定資産税とりわけ建物固定資産税は、安定した財源として手放せない財源である』と鐘や太鼓を鳴らして宣伝されているのです。

 しかし、そもそも、自治体の財政は、中央政府の財政政策の端末であるのに、その財源の責任を自治体に被せるのは見当違いと言うべきものです。

 固定資産税が、地方の独自の財源であると見るのも間違いです。

 あらゆる財源は、中央政府の財政の形式の一つであり、固定資産税も、国家が制定し、地方に「独自の財源」と銘打って押し付けているものにすぎません。

 基本的に、自治体の行政サービスである社会保障・安全保障・インフラ・文化活動・防災・被災者の支援等の「国民に普遍的に行われるべき行政サービス」はすべて中央政府の責任で行うべきものであり、あらゆる財源に関する権限は国家の手の内にのみあります。

 ゆえに、自治体の税収にその財源を求めることは、あり得ない芝居がかった行為です。

 よって、もし、自治体の基礎部分において財政赤字が存在するならば、それは中央政府が自治体に対して、赤字化するような政策を行っていることの結果であり、国民から見れば明らかな中央政府の失政(政策手段の間違い、または、政策目的の間違い)なのです。

 中央政府が財政の考え方を間違い、デフレ不況の真只中で頑固に緊縮財政を推進している中で、自治体の財政に対する責任を中央政府から切り離せば、自治体が中央政府の失政のツケの責任を被ることになります。

 今、自民党が、地方の自主性が必要とか言い、自治体の自主財源として安定的な税収を制度として与えなければならないとするのは、中央政府が財政に関する全ての責任を自治体の責任であるかのように見せかけ、お金の流れを止めるためのものにすぎません。

 自民党政府が緊縮財政政策を継続するために、近代税制の大義名分を捨て去って、地方自治体に「安定財源」を与えた最大のものが「建物と機械にかかる固定資産税」です。

 逆に、地方住民の側はといえば、景気循環によって収支で損失が発生し、自分の企業が成り立たなくなっていようと、安定した税金を支払わなければなりません。安定財源とはそういう意味です。つまり、税収の安定は納税者の犠牲によって成り立つのです。

 このようにして、地方自治体は、愚かな自民党政府の財政均衡主義によって、理不尽かつ不条理に、国家が責任を持つべきマクロ経済政策から切り離されてしまいました。

 したがって、地方財政もまた企業のように税収を確保しなければならなくなったのです。

 これは全く理屈の通らないですが、中央政府にそう仕組まれてしまったので、地方自治体としてはそうしなければならなくなったのです。

 というより、地方自治体の首長も議員も職員も、自分たちの生活が安定している限りは、中央政府と対立するようなリスクを取ろうとしませんから、むしろ、積極的に中央政府のこれらの体制変革に協力し、地方貧困化政策および住民貧困化政策に協力したという方が当たっているでしょう。

 これは、まったく、反対者は誰もいなかったという記録を見る限り、地方自治体の首長も議員も職員も、喜んで、時の自民党政府に協力したのです。

 もともと、地方自治体の首長も議員も、自分を助けてくれる市町村職員の給与が守れるのなら、住民が不幸になっても構わないというスタンスを持っています。

 だから、市町村職員の給与が守れるのなら、中央政府に対してこの間違いに異議を申し立てることなどせずに、中央政府と結託して地方住民の負担を増やすことに賛同したのです。

 それによって、「地方」貧困化政策は、すなわち「住民」貧困化政策となり、そのため、地方自治体の首長・議員・職員だけは、住民より裕福な生活が出来るようになりました。

 いまや、地方自治体も、中央政府よりも率先して、財政の危機を根拠に住民からの安定的な税収を正当化することに躍起になっている始末です。

 そして、その結果、あらゆる税収の中でも、建物・機械・土地等にかかる固定資産税は最も手堅い税収として重宝されているのです。

 しかし、自治体住民から取る税収が、手堅く安定的で重宝であればあるほど住民は苦しめられ、貧困への道を辿ることになります。

 

 

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