③東京一極集中をもたらす悪しき公共投資

 

 悪しき公共投資とは、優先順位の低い公共投資のことを言っているのではありません。たとえ優先順位が低いからといっても、悪しき公共投資であるとは言えません。

 東日本大震災で露呈したことは、小泉構造改革以来、公共投資を削り続けて来た結果、日本が災害にひとたまりも無いような脆弱な国土になってしまったということです。

 福岡県朝倉市の豪雨災害も、小石原川ダムが完成していれば被害を軽減出来たという意見もあります。それが正しければ、政府が公共投資の予算を削って来たので、何十人もの死者が出たことになります。

 また、中央自動車道笹子トンネルの天井板崩落事故など、耐用年数超過によるインフラのダメージが顕在化しています。

 直ちに着手しなければならない、国民の安全保障に関わる公共投資が眼前に山積しているのです。

 薄気味悪いのは、政治家やマスコミの誰も、防災や安全保障に関わる公共投資のサボタージュを指摘しないことです。

 愚かな政府が続いたために、もはや、現在の日本は先進国とは言えない状況になりました。

 これらの防災に関わる公共投資のサボタージュを放置して、無駄な道路や施設を造ることは国民感情としても受け入れられないでしよう。

 しかし、そのような喫緊の公共投資先が見当たらない場合は、どのような贅沢な施設を造ろうとも問題ありません。

 手当たり次第に作れば良いのであり、それでも、なお、悪しき公共投資であるとは言えません。

 また、天下り先になるとか、政治家の利権になるとかの問題もありますが、あくまでも、天下りは天下りの問題であり、利権は利権の問題であって、その施設の事業効果とは別の問題です。

 これらは、その公共投資の停止ではなく、天下り禁止や利権の監視によって解決すべきであり、その監視がうまく行かないので、その国民のための施設を廃止してしまというのは本末転倒です。

 だから、ここでいう悪しき公共投資とは、そのような、優先順位が低いとか、欠陥があるとかのことではありません。

 悪しき公共投資とは、周囲にマイナスの事業効果(被害)をもたらす公共投資を指しています。

 公共投資はどのようなものでも、大抵のものは、国民にとってプラスになります。

 実際のところ、公共投資がマイナスの事業効果をもたらすケースは東京一極集中しかありません。

 すなわち、東京一極集中に誘導する公共投資、または、東京一極集中を補強する公共投資のことです。

 それ以外に悪しき公共投資などは存在しません。ただし、公共投資によって災害が起こるということがありますが、それは技術力の問題であり、公共投資そのものの問題ではないということは、念のため言っておきます。。

 考えの足りない経済学者等によって、公共投資の大都市集中は最も高い事業効果を持つと説明されていますが、公共投資の大都市集中によって、当の公共投資の事業効果を上回る損失、つまり、東京一極集中の裏側で起こる地方の疲弊という国土および国民生活を揺るがす悪影響が発生していることに気が付かないのは不思議です

 現在の日本の公共投資は各地方の人口に比例するように割り振られています。

 大都市であるほど、一種の浸透圧が存在しているかのように、人口の集中圧力が働いているのに、その上に、人口の一極集中を追認するように公共投資が割り振られたのでは、人口の集中は止まりません。地方に人口を返したければ、地方への公共投資を人口比以上に割り当てるべきなのです。

 そもそも、繁栄する地域と、衰退する地域の差がどこにあるのかというと、インフラによる利便性という事業効果と、その地域に、公共投資からもたらされる乗数効果的な繁栄が存在するか否かによります。

 地方への公共投資が減り、または、地方からの税金の回収が強化され、地方に住むことが不利になれば地方は衰退します。

 また、地方への公共投資が増え、地方の税金が緩和され、地方に住むことが有利になれば地方は繁栄します。ごく単純なことです。

 地方は自分で金を稼げとか言う人がいますが、では、大都市は自分で金を稼いでいるのでしょうか。

 東京が発展したのは、徳川幕府が立地し、江戸に公共投資を集中し、そこにインフラと貨幣が集中したことに始まります。

 また、いわゆる交通の要所が栄えるのは最初に誰かがそこに道路を作ったからです。道路がよその土地を通っていたら、そこは交通の要所とはならなかったはずです。他所にバイパスが通ったために衰退した町や通りはいくつもあります。

 東京の発展は、はじめに公共投資ありきなのです。

 自民党の「地方創生」では完全に期待を裏切られました。石破茂地方創生大臣は、『それぞれの地方に、人口なのか、出生率なのか、観光なのかといったことで何を達成したいのか目標を出し、それらを達成するためのプランを出してもらい、地方ごとに総合戦略を立ててもらう。・・・そのような自治体の努力に対して、政府としてどのように協力出来るかを考える』と言っています。そして、『そうした地方の努力が無ければ、地方の再生はない』と言っています。

 つまり、地方に対する補助金による調整は、これまでも当たり前のことであったのに、そして、ここ数年間に渡って地方への補助金が削られて来たことが問題となっているのに、石庭茂氏は、今までの政府のやり方に輪をかけて、「これからは地方には補助金はやらないが、努力するならばやっても良い」と言っているのです。

 これでは、地方創生ではなく、地方切捨てです。石庭氏は自分で何を言っているか判っているのでしょうか。

 千数百個もある地方自治体のいくつが、自民党の「地方創生」政策の基準を満たすことが出来るのでしようか。

 天才でもなければ思いつかないようなアイデアを出させて、地域間で競争させようというのは、政府のやるべきことではありません。

 そんなことで地方が復活することは絶対にありません。地方が疲弊している問題は、一つや二つの地方自治体の特殊な問題なのではなく、千数百個もある地方自治体全ての普遍的な問題なのです。

 地方が復活するかどうかは地方に選択させる問題ではありません。地方は復活したいに決まっています。問題は「地方が復活したいかどうか」ではなく、「政府に地方を復活させる気があるかどうか」です。

 全ての通貨発行権と立法権は国家が独占しているのであって、地方は復活のための能力(通貨発行権)も権限(立法権)も持っていません。

 それゆえ、地方を復活させるかどうかは、まさに中央政府の一存にかかっています。

 もし、地方に責任があるとすれば、市長や地方議員の誰も、地方を疲弊させる政策を続けている中央政府を批判しないというただその一点においてのみです。

 ちなみに、ふるさと納税という愚策について触れて置きます。これは、国民が応援したい自治体を選択して住民税を納税出来るというシステムです。

 しかし、政府という国民全員によって国家主権が委任された者が、その責任を捨てて、納税先を個人の選択にまかせるなどということがまかり通っていることが信じられません。

 自治体は国の一部なので、自治体の盛衰は国すなわち国民全体が決めるべきものです。

 予算が余っている自治体と、予算が足りない自治体が乱雑に存在していること自体が政府の無能をさらしているのですが、その上に屋上屋を重ねて、ふるさと納税などという気持ちの悪い仕組みを持ち込んでいることを、誰もおかしいと思わないのでしようか。

 

 

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