建物固定資産税が信用創造を不可能にし

 

 地方の田舎町では地価の下落が三十年間以上止まりません。

 この地価の下落の恐ろしさは、中小企業経営者ならほとんどの者が実感しているものと思われます。

 つまり、資産価値が下がることで、担保となるべき資産価値を喪失し、既存の債務まで債務超過となり、金融機関から融資を受けることが出来ず、倒産の危機が訪れるのです。

 このことは、とりわけ中小企業経営者なら誰でも身に染みて感じています。

 考えても見て下さい。買った後、価格が下がり続けるものを、資産として買い入れる者がいるでしょうか。そして、価格が下がり続けているものを、担保として積極的に評価する金融機関があるでしょうか。

 地方において、東京とまったく同額の建物固定資産税を負担すれば、当然ながら、収益力の弱い地方では地価下落が止まらなくなります。そして、由々しきは、そのことによって地方では担保が失われ、長期投資のための融資は行われなくなることです。

 これが、財政政策をいくら行っても地方の企業の長期投資を誘導することが出来ない理由です。

 そして、当然ながら、担保力が無くなって行くような状態では、金融機関は融資しませんから、金融緩和政策も効果をもたらしません。

 そもそも、地価下落政策を採っておいて、同時に金融緩和政策を行うこと茶番です。

 しかし、中小企業経営者は大抵がお人好しですから、過去の地価に頼った繁栄は間違いであったのだから、現在の状況も身から出た錆であり、今後も望んではならないのだと自分に言い聞かせています。

 なぜなら、経済学者やマスコミがそう言っているからです。

 日本の経済学者やマスコミはと言えば、伝統的なマルクス主義者が多く、土地の保有はブルジョアジーが地代によってプロレタリアートを搾取するための手段だから、地主が滅びることは良いことで、地価の下落は歓迎すべきことであるというスタンスを持っています。

 そのため、誰であろうと公共の場で地価の上昇を歓迎する発言をすると、経済学者やマスコミから、土建屋だとか、利権屋だとか言われて袋叩きにされるという状況で、いまや、政治家でさえ地価の問題を口にしようとはしません。

 あるいは政治家は大抵が東京が大好きであり、東京のことにしか関心がありませんから、単に、地方の地価にも関心を持っていないというだけかも知れません。

 東京の地価はすでに底入れし反転することもあるような状況であり、地価の下落が続いているのは地方だけです。

 しかし、地方の田舎町地価の下落という災厄こそが、東京にとっても日本全体にとっても、景気回復の妨げとなっている元凶なのです。

 一般的な見方をすれば、金融機関が土地には融資しないという金融機関の姿勢が、地方の地価の下落を引き起こしているとも言えるし、逆に、地価が下がるので、金融機関が土地に融資しようにも、ほとんど融資出来ないのだとも言えます。

 このように、物事にはスパイラル現象があって、どちらが先とは言えないケースが多いのですが、現在の日本の場合は、はじめに地価の下落が先行しているという因果関係が存在しています。

 なぜなら、固定資産税重税化を初めとし、BIS規制などの自民党政府の政策のどれもが、明確に地価の下落を誘導しているからです。

 アメリカは、1989年から1990年までの日米構造協議、1993年の日米包括経済協議、1994年から始まる年次改革要望書のいずれにおいても、日本の地価を下げるよう要求していました。

 そして、日本政府は、遂に屈し、1994年に固定資産税評価額を引き上げることにより地価を下落させる政策を実行したのです。

 地価を下げる政策の筆頭に挙げられるものは、1994年から実施された固定資産税の重税化です。中でも、とりわけ建物固定資産税の重税化が、地価にとって決定的に致命的なものとなりました。

 なぜなら、建物固定資産税の評価額いま建てるといくらかかるかの再建築価格であるため、東京や大都市の中心市街地でも地方の田舎町でも、同じ規模の建物なら評価額同一となり、税額も同額であり、それゆえ、大都市の中心地が、その水準の建物固定資産税を持ちこたえるような収益力を持っていたとしても、地方の田舎町は、その水準の建物固定資産税を持ちこたえられないからです。

 外国でも建物に課税されているから、日本でも建物に課税することは問題ないという反論があるのですが、EUの多くの国で採用されている建物にかけられる固定資産税は賃貸価値を課税標準としたり、空室に対する緩和措置があったりし担税力に配慮されています

 アメリカでは固定資産税は所有者に課税されていますが、課税標準は土地建物を一体とした流通価格です。低い収益力しかない不動産は価値も低くなりますから、課税標準額も低くなります。

 とはいえ、外国の固定資産税が正しいと言っているのではありません。所得ではなく、建物の外形に課税されている限り、アメリカもEUも十分に悪質な課税であることに変わりはありません。それでも、担税力を考慮し、賃貸によって挽回出来るよう配慮されていますから、日本よりはマシであると言っているのです。

 だから、アメリカやEUではなんとか切り抜ける方法があります。

 日本の政治家や経済学者は、アメリカやEUにも、日本の固定資産税と同じものがあると言いたがりますが、日本の建物固定資産税の悪質さはレベルが違います。

 課税標準を再建築価格つまり建築費にするなどというのは狂気の沙汰なのですが、驚くべきことに、日本の政治家や経済学者はそのことに関心を持っていないのです。

 そもそも論で言えば、所有者に課税するという考え方は、「所有者が自ら無償で利用出来る」という意味における「所有」の定義を揺るがすものです。というのは、住宅が国民の夢のマイホームであり、最も信用できる財産であるのは、その場所に、建物が朽ち果てるまでほとんど無償で住み続けることが出来るからです。

 住宅を貸して家賃を生活資金の一部に使うことも出来ますが、賃貸による所得があった場合には、そのとき初めて、それが余力であると判断された場合に、所得税という税金をかければ良いのです。

 土地に関しては、インフラの整備によって価値のほとんどを国家が創り出していることから、国民の意思としてその所有権を制限するということがあっても仕方ないのですが、建物については、建物の所有権を制限すべきとするような意見は、かつて主張された試しはなく、したがって、建物の所有権を制限しようという話がかつて持ち出されたこともありません。

 それにも関わらず、建物の方より一層重い固定資産税がかけられているのですから、建物固定資産税はそうした覚悟のない税金であると言うしかありません。

 同様に、機械類や自動車の保有も制限されるべき理由はないことから、機械類にかかる固定資産税も、自動車にかかる重量税も覚悟のない課税であり、廃止すべきものであるということを付言しておきます。

 自動車が道路を占有する運行を制限したいのなら、ガソリン税だけで、その目的は達せられるはずです。

 平成12(1996年橋本内閣時代経済審議会「第分野における構造改革」第 土地・住宅Ⅱ具体的提言において、土地有効利用の観点から建物に対する固定資産税等を、土地・住宅の流通促進の観点から土地・建物取引への各種の課税(不動産取得税、印紙税、登録免許税等)を、撤廃すべきであるという建議が行われたのですが、これは、課税すべき理由のないものに関して、それを糺そうという趣旨で行われた勇気ある建議でした。

 しかし、政府自身、政党、マスコミのあらゆる部署から無視されました。まことに残念なことでした。

 この時、この問題に取り組んでくれる政治家または経済学者一人でもいたならば、日本の経済的なあらゆる景色は今とは全く変わっていたでしよう。

 

 

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