②金融検査マニュアルの置き土産

 

 「金融検査マニュアル」は、金融機関の自己資本比率に関する国際基準であるBIS規制を守らせるための、日本独自のマニュアルですが、政府がその役割を終えたと判断したことにより2018年度で終了しました。

 しかし、その金融検査マニュアルの目的であるBIS規制が終了したわけではありません。

 日本の地価が十分に下がり切り、間接金融(信用創造)の機能がほとんど停止したことを確認し、BIS規制による監視だけでも十分だと判断したので、BIS規制を徹底するための指導手段であった金融検査マニュアルを止めたというだけのことです。

 金融検査マニュアルによると、かつて間接金融において頻繁に行われていた融資が不良債権と見なされるようになっています。

 例えば、貸出条件緩和債権といって、返済年数が延長されるような条件変更や借り替え融資を行うと、たちまち要管理債権となり、貸倒引当金が発生し、金融機関の自己資本比率が下がってしまうようになっているのです。

 これは、考えるとオカシナことで、条件変更や借替融資を行うということは、返済計画がデフレ環境に合わなくなったので、それを環境に合うように返済計画を長期返済に変えようとするものですが、そうすると、企業の存続確率は高まるのですから、その時点で貸倒引当金を発生させる必要は無くなるはずなのです。

 しかし、金融検査マニュアルの検査基準によって、このような言いがかりが行われ、金融機関がどのようにその企業の将来を信じようとも、金融機関としては、返済計画の変更(リスケジュール)以上の救いの手を差し出せなくなるのです。

 竹中平蔵氏は経営不振に陥った中小企業をゾンビ企業だと言い、ただちに市場から退場すべきだなどと言っています。つまり、すぐに潰せと言っています。金融機関がそれに従わず、中小企業の可能性を肯定的に評価し、助けようとした場合、今度は金融機関が潰されます。

 竹中平蔵氏はゾンビ企業を潰していけば、優良な企業だけが残り、労働者はゾンビ企業から優良企業に再雇用されるので、労働者にとっても良いことだと言うのです。

 しかし、現実は、職を失った労働者は悪い労働条件でブラック企業に再雇用され、あるいは日雇い労働者となるのみです。

 デフレ不況の中では多くの企業が経営困難に陥ります。その度に、赤字企業を潰していけば、日本の中小企業のほとんどは潰れてしまいます。そうすると、残る企業は大企業だけになります。これが竹中平蔵氏の望む日本の未来像です。

 小泉純一郎氏はこのような竹中平蔵氏を政治の世界に引き込み、経済政策を丸投げしました。

 小泉純一郎氏はその結末が日本の中小企業や内需企業を壊滅させることだということを熟知していたものと思われますなぜなら、いくら偏屈な者であろうと、首相となったからには、そして特に経済政策については、アドバイスをする人間は跡を絶たないほど存在していたはずだからです。

 中小企業が生きていけないのならば、低所得層がいつかは会社や商店を持ち、金持ちとなって行く成功物語への庶民の夢が消えてしまいます。成功物語は庶民の夢であるだけでなく、生き甲斐でもあります。

 救済融資によって、貸付を受けた中小企業はこれから頑張って生きて行くのであって、いまは不振に陥っているとは言っても、将来、景気が良くなった時に日本や国民にとって必要な企業でないと誰が言えるのでしょうか。

 必要だった企業が潰されてしまって、いざというときに生産能力が無くなって困ったという事例は、実際に、現在の日本に起こっていることです。

 公共投資が削減されて来た結果、建設業は不動産や機械の売却、熟練労働者の解雇、長期投資の手控えなどを行い、自分の能力を縮小して来ました。その結果起こったことが、政府や自治体の公共投資に対して受注出来るだけの能力を持たない建設業の供給制約です。

 新古典派経済学では好況期には過剰な投資が行われ、国民は商品を浪費しているので、不況によって、それらが整理されることは良いことだなどと馬鹿げたことを言う者がいます。

 すると、不況によって潰れる企業は、そもそも過剰な存在であり、無駄な商品を作っている部門であるということになります。

 しかし、何が過剰で無駄なのかの定義は不可能です。好況期に国民がやっていたことは、月一度はおいしいものを食べるとか、服を一着余計に作るとか、中古車から新車に乗り換えるとかだったのですが、それらは無駄だったのでしょうか。

 または、それらを供給していた企業は過剰な投資をしていたとでも言うのでしょうか。

 今、日本人は、デフレ不況で食費切り詰め、服もスーパーなどで安い服しか買わず、中古車にしか乗れなくなっていますが、これが無駄な浪費を整理した結果の正しい姿だとするならば、日本の国民が豊かな生活を送ることは、過剰で無駄だということになってしまいます。

 金融機関が融資を継続する判断をしたということは、その企業は生存し続ける可能性が高い、または債権を回収出来ると見たと言うことです。

 それなら、その金融機関の自主的な判断を尊重すべきなのです。ましてや、その結果が悪いほうに出ると決まったわけではなく、まだ金融機関に実際に赤字が発生しているわけでもありません。

 貸倒引当金による赤字は、金融検査マニュアルの制度上で発生しただけであり、いうなれば、でっち上げであり、実体ではありません。

 実際、実体経済においては、赤字の企業に貸し付けても企業は立派に再生し、金融機関に立派に利益をもたらした例は多いのです。というよりも、ほとんどの企業がそういう起死回生の物語を持っています。

 日本型の中小企業や町工場は、金融機関と二人三脚で発展して来たと言っても過言ではありません。その中小企業や町工場の可能性を捨ててしまうことに、国民にとってメリットがあるとは思われません。

 銀行の自主性を認めてやりさえすれば、日本の金融機関は、町工場や個人商店を汗だくになって訪問しながら、けっこう企業の将来性を見抜く能力がありました。もちろん、土地担保が必須であったことは間違いありませんが、資産の査定を含め、中小企業の能力を熟知していたということでもあります。

 そういうことによって、金融機関は地域の中小企業の発展に貢献していたのです。

 これまでの日本の金融機関の姿勢は、中小企業や国民と共に生きていこうというものでした。

 多くのリスクを中小企業と分かち合い、地域の中小企業を育成して、お金を借りてもらい、少々の金利をもらって生きていこうというスタンスだったのです。まことに健全な姿勢を持っていました。また、こうした土壌が日本の産業の強みにもなっていました。

 本来の金融機関は、果敢に地元経済と運命を共にするほどのリスクを負い、産業や国民経済の資金の循環を担当するという重要な役割を持つものです。

 また、そういうことでしか、金融機関も生きられなかったわけです。そして、それゆえに金融は国民経済の一翼を担っていると認めることもできたのです。

 それが、なぜ、日本の金融機関は金融庁が監督しなければ、間違いばかりを犯す、ダメな存在と見なされるようになったのでしょうか。

 これは、やはり、金融機関の方向性を、中小企業への融資を止めさせ、投資信託へ向けさせるようとするための口実としか考えられません。

 そのクーデターは、まず、日本政府をして故意にバブルを起こさせ、そして、故意にバブルを潰させて、マスコミに金融機関が土地資産を担保として融資していたことから起こったと非難させ、同時に、土地で儲かった成金に国民の批判の目を向かわせ、最後には、政府が実力行使をして、総量規制、BIS規制、固定資産税の重税化というお仕置きを行うという三文芝居で行われました。

 この金融機関や土地所有者が悪者だったと言う勧善懲悪に単純化されたストーリーは、勧善懲悪単純なストーリーが好きな国民に受け入れられました。

 日本国民は町内の成金に鉄槌を下して留飲を下げるようなことが大好きだからです。

 金融検査マニュアルが長年続けられたことで、現在、金融機関は、中小企業や個人商店へのプロパー融資をあきらめ、投資信託ばかり行って、自分さえ金が稼げれば良いという意識に変えさせられています。

 そして、日本の金融機関は、いまや、中小企業や個人商店へのプロパー融資をしなくても、別の方法で稼ぐ体質に変化してしまいました。

 金融検査マニュアルはそのように躾ける鬼軍曹のような役割を持っていました。その成果で、すっかり、金融機関からは中小企業や個人商店へのプロパー融資をしようなどという気持ちはなくなったのです。

 これが、金融検査マニュアルの置き土産であり、竹中平蔵氏の置き土産です。

 実際のところ、世の中では、すでに金融検査マニュアルが中小企業融資の弊害になっていることはありふれた議論になっていたのですが、ところが、驚くべきことに、金融機関自身がこうした議論に同調していません。

 なぜなら、政府からそれに見合うだけの優遇を受けているということもありますが、中小企業への融資を妨げる強力な障害が、金融検査マニュアルの他にもう一つあったからです。それが地価の下落です。

 地価が下落していれば、どんな企業も資産を失って行き、事業が失敗した場合に引き換えに出す担保が無くなります。

 中小企業への融資には、経営者の資質や事業の将来性も重要ですが、やはり、最終的に担保が必要なのです。

 しかし、長年続けられた固定資産税(特に建物の固定資産税)の圧迫による地価下落の結果、いまや、日本人はその担保を持ちません。

 すなわち、1994年に固定資産税が重税化され、将来に渡る地価の下落が決定されたときに、いち早く、金融機関も中小企業への融資をあきらめており、したがって、改めて、1999年に金融検査マニュアルが導入されたときには、融資の当てになる担保力はすでに破壊されていたので、誰も騒がなかったのです。

 

 

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