③日本の中小企業金融不振の原因は、流動性の罠ではなく、自民党が行った金融制度の変更にある

 

 投資家階級は富裕層を形成します。富裕層は、不況期あるいはデフレ期において、投資や消費などの支出を将来に回したほうが有利になると考え、資産を現金や銀行預金で持とうとします。これを「流動性選好」または「投機的貨幣需要」と言います。

 ケインズは、貨幣保有の動機は大きく分けて、「取引動機」と「投機動機」の二つがあると言っています。

 取引動機による貨幣保有とは、いままさに使用しようとしてお金を持っているという意味でそれはさらに所得動機、事業動機、用心動機の3つに分類されます。

 所得動機は、所得を手に入れてから消費や投資で何かものを買ったりするまで手元に置いておくことです。

 事業動機は、つなぎ資金として、所得が入るのが判っていても、貨幣を支払ってしまわないで保有しておくことです。

 用心動機は、不意の支出のために用心して持っておくことです。

 これらの取引動機に対して、投機動機は、まったく異なる意味を持っています。

 投機動機による貨幣保有とは、消費や投資を将来に回し、今は貨幣の形で持っていたほうが有利という考えから、今は使用しない持っているという意味です。

 「流動性選好」または「投機的貨幣需要」は、お金を今は使わないで持っておくという行為を指し、その心理面を「投機動機」と言います。

 ただし、保有者には動揺や躊躇というものがあり、完全な決心があるわけではありません。しかし、不完全であるにしても、経済の全体的な趨勢に対して、貨幣の保有動機の異なる区分が、それぞれ異なる影響を与えるという視点は重要です。

 国民の「流動性選好」または「投機的貨幣需要」が高まれば、これは消費しないということですから、企業は仕入れをしたり、雇用したりする新規投資を躊躇し、減少させます。

 すると、仕入れをしたり、雇用したりする新規投資は労働者に対する所得の分配でもありますから、労働者には所得が入らなくなり貧困化します。

 これが、先進国で貧困が生まれる理由です。

 中央銀行があわてて金融緩和を行い、金融機関が過剰資金を手に入れることで、中小企業や個人に融資しようとしても、デフレ不況の状況では、企業は軽々にお金を借りて投資しようとしません。これを「資金需要がない」と言います。

 一般的に「資金需要がない」という状況は、企業が「自らの意思」としてお金を借りようとしないという意味です。

 金融制度が健全であっても、景気循環によって今デフレであったとすると、中央銀行が金融緩和を行い、金利を下げても、誰も融資を受けて投資しようとしない状態が発生します。

 別の言い方をすると、金利が一定の水準に達すると、それ以上いくら金利を下げようとも、それ以降、金融緩和の効果がなくなります。この状況を「資金需要がない」と言い、あるいは「流動性の罠」の状態にあると言います。

 「流動性の罠」とは自然現象のように金利が一定の線より下がらないようになることだと説明される場合もありますが、金利は金融機関の収支の関係から人為的に決めることが出来るので、むしろ、これ以上金利を下げたら見合わないという金融機関の判断から、金利引き下げが停止すると言うべきでしょう。

 金利の場合は、物価や賃金とは異なり、債権者の意志によって際限もなく下げることが出来るので、この人為性によって、下方硬直性が存在するとは言いません。

 日本は1990年代から「流動性の罠」に陥っているのではないかと言われています「流動性の罠」の解決方法として、積極的な財政政策から為替介入までありとあらゆる方法が提案されているのですが、決め手になるものは無いとも言われています。

 しかし、現在の日本においては、「流動性の罠」の説明にばかり熱心になる前に、この状況は「流動性の罠」と言えるかどうか、現状の分析を考え直して見たほうが良いように思われます。

 「流動性の罠」ではない場合は、「流動性の罠」から脱出する方法論を振り回しても、何の役にも立たないからです

 経済学には、国や時代によって異なる制度の違いを無視して理論を作り上げる慣習がありますから、経済学の一つの学説のみで、何にでも「資金需要がない」とか「流動性の罠」という視点を持ち込むと、自国の特殊性に気が付かず最も重要な現状分析を間違うことになります。

 「資金需要がない」という表現は、あたかも、企業が自分の意思としてお金を借りようとしないという意味に捉えられがちですが、金融機関からすれば、企業に借りたい気持ちがあろうとなかろうと、条件に合わなければ貸しません。

 これらは、金融機関にとってはどちらも同じことですから、金融機関はいっしょくたに「資金需要がない」で片付けてしまいます。

 しかし、経済学者までもが、金融機関の言いなりで「資金需要がない」で片付けるというのでは、知恵が足りないと言わざるを得ません。

 いま、日本の経済学者や経済評論家はすべて、金融緩和をしても「資金需要がない」という表現で片づけてしまい、間接金融の制度で何が起こっているのか考えようとしません。

 そして、あろうことか、自称ケインズ派まで、金融政策はあきらめて積極財政を採用すべきだと言っているのです。

 その上、ご丁寧に、財政政策だけで全て解決すると言うのですから、頭が悪すぎると言うべきでしょう。

 一方、新古典派は、金融政策が効果を上げられないのは、規制緩和や民営化の構造改革が進んでいないからだと言っています。

 つまり、どちらも、金融緩和が効かないのは金融制度に問題があるからだとは言っていません。金融制度の検証はおざなりにして、別の方法を考えようと言っているのです。

 ましてや、金融緩和が効かないのは資産制度やBIS規制に原因があるからだと言っている者は皆無です。

 確かに、「流動性の罠」の場合は、脱出する方法としては、民間が投資しないことへの対抗政策として政府が積極的な財政政策を行い、景気回復の断固とした意思を示すことで解消して行きます。

 しかし、それは「流動性の罠」ある場合に限り効果のあることであって、流動性の罠でない場合は効果がありません。

 「流動性の罠」の定義の最も重要なところは、民間が自らの意志でお金を借りないというところにあるのであって、「流動性の罠」でない場合は、自らの意志とは異なる部分で融資が妨害されているということですから、いくら、民間の気持ちを変えたところで、民間は希望通りに投資を増大することは出来ません。

 今の日本の場合は、借り手の動機に問題があるのではなく、金融機関が中小企業や国民に貸そうとしても制度的に妨害されるという、貸し手のシステムに原因があるのですから、定義から言って、これは「流動性の罠」ではありません。

 中小企業はお金を借りたがっています。中小企業は当座の資金が枯渇していても、将来に希望を持っていて、今を何とか食い繋ぎたいと思っています。しかし、金融機関が頑として貸さないのです。これが、日本の現状です。

 喫緊で、国の消費税と市町村の固定資産税において、中小企業の滞納がますます増加していることから、市町村の納税窓口では納税ファイナンスを提案しています。

 そして、納税者もまた、出来ることなら、お金を借りてでも納税し差し押さえを免れたいと思っています。あるいは、不動産を売ってしまいたいとか、不動産の物納で納税したいと思っていたりします。

 しかし、現在、金融機関は不動産を担保に取るものの、高く評価することはありませんから、事実上、不動産担保で融資が行われることは無く、また、不動産価格が下がり、多くの国民において、不動産価格よりも債務残高の方が多い債務超過の状態になっていますから、不動産を売っても債務は返済出来ません。

 金融機関としても、担保となるべきものを探していますが、日本政府が地価下落政策で日本国民の担保力を破壊する政策を慣行していますから、有効な担保を見つけるのはほとんど不可能です。

 仮に、金融機関の経営者が犠牲的精神を発揮して、担保を当てにせず、国民と運命を共にするほどのリスクを負って融資しようとしても、BISの用心棒である金融庁によって妨害されます。

 このように、日本の現状は、「流動性の罠」の定義とは程遠く、中小企業の投資の意欲は、資産制度と金融制度という二つの拘束着を着せられ、身動き取れなくなっているということなのです。

 

 

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