②乗数効果
限界消費性向と乗数効果はケインズ経済学の基盤を成す理論です。
限界消費性向とは、増えた所得からどれくらいの割合を消費するかを言います。
乗数効果とは、政府や企業が投資をした場合、国民の平均の限界消費性向(国民の総所得に対する限界消費性向であり、国民の限界消費性向の平均ではない)に対して一定の法則をもって、その投資額の何倍かのGDPが拡大する現象を言います。
日本人の平均の限界消費性向は0.7と言われています。つまり、日本では増えた所得を1.0とすると、その内0.7を消費に使っていることになります。残りは貯蓄であり、貯蓄は、税金、社会保険料といった強制によるものと、まだ余裕があれば預金が出来ますが、その自由意思によるものとの合計です。
そこで、乗数効果は次のように発生します。
政府が例えば1兆円をまるまる公的資本形成として支出すれば、まず、それを請け負う民間企業において生産(売上)が1兆円増加します。
そして、請け負った企業の売上は仕入費、賃金、利益に分配されます。
売上はすべて仕入費、賃金、利益を通じて個人の所得となります。個人の所得になった後、貨幣の次の回転が始まり、貨幣の回転が続くことによって、生産の総量が、最初の政府支出の何倍かに増大します。
政府支出に対してどれほどGDPが増えるかについては、限界消費性向と乗数効果の理論を用いて次のように計算します。
公共投資などの場合、用地取得費に支出された分はGDPにカウントされませんので、1兆円から用地取得費を差し引いた分が、生産に対応する所得つまりGDPにカウントされる所得として、GDPの増加を計算するスタートになります。
しかし、ここでは、乗数効果の定義を知るために説明するのですから、用地取得費等は考えないで、1兆円をまるまる公的固定資本形成として支出したものとします。
すると、最初の請負企業Aは、1兆円の生産を行い、売上1兆円を得ます。請負企業Aが売上として得た1兆円は、株主の利益、労働者の賃金、下請け企業への支払いに分配され、さらに、下請け企業においても、株主の利益、下請け企業の労働者の賃金、孫請け企業への支払いというように分配されて行き、最後はすべて個人の所得になってしまいます。このときに最初の請負企業Aの仕事関連で所得を得る者たちを国民Aのグループと呼びます。
限界消費性向をcとすると、所得1兆円を得た国民Aのグループは、所得の1兆円から、企業Aの仕事とはまったく関係のないc兆円の生活関連の消費支出を行います。
国民Aのグループがc兆円を支出したときは、そこに必ずc兆円の所得を得る一定の国民Bおよびそのグループがいます。
さらに、国民Bおよびそのグループは自分の所得c兆円に限界消費性cをかけたc^2(cの2乗)兆円を支出します。このようにお金が次々に回って行くと、その都度、回転しつつあるお金を得るために生産が起こります。
最後は、c^n兆円(n→無限)となります。この全ての段階の合計が、GDPとして拡大した数値です。
つまり、
⊿Y=1+c+c^2+c^3+・・・+c^n(n→無限、^nはn乗を意味します)
よって、政府支出が1兆円(公的固定資本形成が1兆円)であるときのGDPの増大分⊿Yは、初項1、公比cの無限等比級数の和となります。したがって、無限等比級数の和の公式から、
⊿Y=1/(1‐c)
この政府支出(公的固定資本形成)1単位に対する倍数である1/(1‐c)を乗数または乗数効果と呼びます。これがケインズの乗数効果です。
ここで注意しておかなければならないことは、政府から第1項で支払われるお金1兆円は元請企業に支払われるのですが、元請企業から下請企業に仕入れ費が支払われることが第2項なのではなく、下請企業、孫受企業、仕入先の全てに支払いが完了し、最後にお金が株主と労働者に行き着くところまでが第1項だということです。
つまり、全て個人所得になるまでが第1項です。全て個人所得になった後、初めて第2項が始まります。だから、公比cは家計の限界消費性向となっているのです。
全て個人所得になるとは次のようなものです。まず、元請企業は「売上」を「仕入費+一般管理費+利払い+人件費+利潤」に分配します。「人件費」は個人所得です。「利潤」も本来株主に配当されるものですから個人所得になります。
「仕入費」、「一般管理費(光熱費等)」、「利払い」は他社に支払いますが、他社も受領した金額をすべて同様に分配しますから、全て行き着くところ個人所得になります。
最後は地球から掘り出した地球資源になりますが、地球資源の代金もまた、地球に支払われるということはなく、掘り出した企業に支払われます。そして、全て同様に個人所得になってしまいます。
ここまでが、第1項です。
以上のように、第1項は全てのお金が個人所得になってしまうまでを言います。
そして、個人所得になったときに、税金や社会保険料を支払わなければなりません。この税金や社会保険料を支払った残りに、少し使わないで残して置こうという余裕があれば、それも外した残りの消費に使える割合が限界消費性向です。
しかし、貯蓄出来無い階級は残して置けるものはありませんから、大抵、税金や社会保険料を支払った残りはすべて消費に使い、所得に対するその割合が限界消費性向になります。
だから低所得者に対して減税すればするほど限界消費性向は高くなり、たちまち経済成長は実現するのです。
第1項から第2項に至るまでのスパンというのは、いろいろな意見があると思いますが、大体3~4か月はかかるのではないかと思われます。
そうすると、乗数効果の計算式「Y=1+c+c^2+c^3+・・・+c^n(n→無限)」において、貨幣は、初年度にはせいぜい第3項のc^3ないし第4項のc^4までくらいしか行き着かないのではないかと思われます。
そして、政府が初項の公共投資で支払った貨幣が全ての回転を終えるまでに数年かかり、目に見える程度の支出と生産のほとんどの回転を終えたときに、乗数効果によるGDPの増加分となるのです。
そのときのGDPの増加分⊿Yは、乗数効果の定義から「⊿Y=1/(1‐c)」ですが、このことから判るように、乗数効果は限界消費性向cの値によってのみ決定します。
この公式にc=0.7を代入すると、Y=1/(1‐0.7)=3.33・・・となります。
これは、全額固定資本形成となる公共投資を1兆円支出すれば、GDPは3.33兆円増えることを意味しています。
近年では、公共投資を1兆円増やしたとしても、この内、0.1~0.2兆円は用地取得費に使われるので、公的固定資本形成の代金に使われるのは0.8~0.9兆円くらいだと言われ、公共投資の乗数効果は3.33にならないとか言われたりしますが、そういう乗数効果の定義の仕方が正しいというわけではありません。
そこで、例えば、用地費用で幾分使われたとして、公共投資増加分の1兆円の内、a兆円が実際の工事費用(公的固定資本形成)に使われるものとします。
すると、政府支出総額1兆円に対する乗数効果の計算式は、
Y=a+ac+ac^2+ac^3+・・・+ac^n(n→無限、^nはn乗を意味します)。
よって、政府支出1、公的固定資本形成がaであるときのGDPの増大分⊿Yは、初項a、公比cの無限等比級数の和となります。無限等比級数の和の公式から、Y=a/(1‐c)。
政府支出1兆円の内0.2兆円が用地取得費に使われるので、公的固定資本形成の代金に使われるのは0.8兆円だったとすると、初項a=0.8、公比c=0.7として、GDPの増加分は3.33×0.8=2.66ということになります。
しかし、この場合、公共投資1の乗数効果は2.66であると表現するのは、乗数効果の定義の仕方の間違いですが、たまに、そんなことを言う政治家や経済学者もいます。
その人の乗数効果の定義がそうなっているのなら、ここでは、あえて訂正はしないでおきます。用地取得費等を含めた公共投資1兆円に対する乗数効果という言い方があっても、ことさら反対する必要もないでしょう。
減税についても、公共投資と同じような乗数効果がありますが、減税の乗数効果は、増税のときのGDPの減少率を租税乗数と呼ぶので、マイナスの租税乗数として表します。
一般的な話では次のとおりですが、実際は少し様子が異なるものと思われます。
例えば、1兆円の減税を行えば、減税しただけのお金がそのまま家庭に残り、限界消費性向にしたがって支出するわけですから、1兆円の減税分から支出される金額は「1×c」兆円、つまり、0.7兆円となります。だから、初項を0.7とし、あとは無限等比級数の和と同じ計算式で、減税の乗数効果はY=0.7/(1‐0.7)=2.33となるというのです。
しかし、この減税の乗数効果は、公共投資のときの乗数効果の計算とは限界消費性向の値が異なって行きますので、この比較は間違いです。
低所得者の限界消費性向は所得から税金を差し引いた残りが全て消費に使われますから、減税した分だけ限界消費性向は高くなります。
限界消費性向が0.75になったとすれば、減税の乗数効果はY=0.75/(1‐0.75)=3.00になります。
実際、公共投資の乗数効果は、所得だけが増えるという話で、それまでの生活習慣の中で 限界消費性向に準じて、増えた所得を支出に回すと言う話ですが、単年度の景気対策の公共投資ではなかなか限界消費性向は上がりません。公共投資が数年間継続するとか、永久に続くとか思われるのなら上がる可能性は高まるでしょう。
しかし、減税の場合は、限界消費性向を上げ、確実にそれだけ乗数効果も上がります。しかも、税制は永久に続くことが前提ですから、国民の気持ちに変化が起こり、限界消費性向は継続的に上がって行きます。
だから、公共投資の乗数効果が、減税の乗数効果より高いなどということは一般論としては言えません。
ケインズは、所得再分配政策の内容(低所得者や貧困層に対する減税、社会保障など)によって、国民の平均の限界消費性向を高めることが出来るし、金融制度における利子率の操作などによっても、民間投資を誘導し、消費者の心理を変え、同様に限界消費性向を高めることが出来ると言っています。
すなわち、ケインズ経済学においては、限界消費性向も乗数効果も、政府政策によって変化させることが出来るのです。
新古典派経済学の授業では、限界消費性向が定数として扱われ、それゆえ、どん経済政策も役に立たないと教えられますが、ケインズ経済学では、限界消費性向を変化させることが、あらゆる経済政策の目的なのです。