②金利は貯蓄の必然ではない
ケインズが新古典派の金利論を否定する理由は、新古典派による富裕層の貯蓄を肯定的に見る金利論が国民を不幸に導いて来たからです。
新古典派は「金利は、投資と貯蓄を均衡させるものであり、富裕層の貯蓄が増えれば、金利が下がり、投資のチャンスが到来する」と言っています。
これは、富裕層が儲けたいだけ儲ければ、それによって金利が下がるので、再び富裕層だけでなく中小事業者も投資をするようになり、景気は良くなると言っているのです。
ケインズは、貯蓄の増大によってデフレとなり、資本の限界効率が下がり、投資家が投資を控えるので、それでも債権者は借りてもらいたいから金利を下げるのであって、貯蓄の増大そのものではなく、資本の限界効率が下がっていることが金利低下の原因であると言っています。
金利は資本の限界効率による利益を捕食する捕食者の立場にあり、前のセクションで述べた通り、資本の限界効率が上がれば、それを追撃するように金利も上がり、資本の限界効率が下がれば金利も下げざるを得なくなるというだけであり、金利は二次的な存在にすぎません。
例えば、アフリカのサバンナで、餌のガゼルやシマウマが増えると捕食者のライオンが増え、ガゼルやシマウマが減るとライオンの数も減るといったイメージです。
だから、世の中の金利が下がりつつあることは必ずしも喜ばしいことではありません。なぜなら、そのとき、世の中の資本の限界効率が、金利に先行して下がっているからです。
逆に、政府が果敢に資本の限界効率を上げるための積極財政政策を採用し、資本の限界効率が上がるならば、たとえ金利が上がろうとも、投資家は金利の上昇をものともせず、投資を決意します。
これが、ケインズの主張であり、その主張を行うためには、新古典派の、富裕層の貯蓄を増やすことが景気回復の最も有効な方法であると言う、新古典派独特の貯蓄や金利に対する理論を否定する必要があったのです。
ちなみに、ケインズの立場は、IS−LM分析とは完全に反対の立場にあります。ヒックスがIS−LM分析をケインズモデルと言って発表したときに、直ちにケインズはヒックスに対して、所得と金利が一意的な関数になっているのは間違いであると、反論する手紙を出したほどです。
それにも関わらず、いまだに日本の大学でIS−LM分析をケインズモデルと言って教えているのは驚愕すべきことです。
おそらく、1949年、GHQが敗戦後の日本の経済政策を新自由主義に誘導するために送り込んで来た新古典派の経済学者であるシャウプが、ケインズ理論を貶めるために、日本の大学教育の場に故意に低級なIS−LM分析をケインズモデルとして教えるよう要求したものであろうと思われます。
しかし、そうであったとしても、驚くべきは、21世紀の現代に至るも、日本の大学ではそのことを是正することなく、いまだにIS−LM分析をケインズモデルとして教えていることです。日本の知性の現場の体たらくは嘆かわしいと言う以外にありません。
ケインズはまず、新古典派の、資本の限界効率と金利をいっしょくたにし、投資と貯蓄の関係について漠然と論じる態度を批判しました。
ケインズは、新古典派の金利論の特徴として次の2つを挙げています。
①金利の定義がはっきりしていないということ。物価と金利の区別すらついていない。
②金利は、投資と貯蓄を均衡させるものであると考えられているが、投資と貯蓄の均衡というものが何を指しているものか判らない。
新古典派の金利論では、商品の価格が需要と供給の均衡点で決まるように、金利もまた市場の作用で、投資量と貯蓄量とが等しくなるような水準で決まると言っています。
そうすると、新古典派には資本の限界効率という視点はありませんから、貯蓄が増えれば金利が下がるということを頼みに、景気を回復させたければ投資家の貯蓄を増やせば良いということになり、現に新古典派はそう言っています。これでは投資家の巨大な貯蓄が救世主になってしまいます。
マーシャルが、『利子は、ある市場において資本の使用に支払われる価格であるが故に、その利子率において、その市場における資本の総需要が、その率で提供される総ストックと等しくせしむる均衡へと傾くのである』と言っていること、
カッセルが、『投資は「待つことの需要」を構成し、貯蓄は「待つことの供給」を構成し、利子とはその二つを等しくするよう機能する「価格」なのだ』と言っていること、
フラックスが、『我々の議論全般の論点が正しいものであるなら、貯蓄と(資本を利益のある形で活用する)機会との間に自動的な調整が働くことは認めなくてはならない。・・・(中略)・・・純金利がゼロ以上である限り(中略)貯蓄はその有益性の可能性を超えてはいないのである』と言っていること、
ワルラスが、『明示的に、それぞれの可能な金利に対して個人が貯金する金額があり、また新資本的資産に投資する金額があって、この二つの総量はおたがいに等しくなる傾向にあり、金利がそれを等しくさせる変数である』と言っていること、
ケインズは、彼らの全てはきっちり新古典派の理論におさまっており、貯蓄と投資を等しくさせるものが金利であると言っているのであると、指摘しています。
これらの新古典派の経済学者たちの理論に対して、ケインズは「現実世界では、金利は貯蓄しただけでは生まれない」と言っています。
例えば、タンス預金も貯蓄ですが、タンス預金に金利は付きません。銀行預金もタンス預金と同類であり、預金金利は預金の目的ではありません。預金金利がいくら低くても預金者は銀行に預金します。
好景気な時の預金の争奪戦は、法定準備預金制度からもたらされる融資可能額を拡大するためのものであり、そのとき、預金金利を上げるのは、出来るだけ多くの預金を獲得し、法定準備預金額を増やした方が利益が上がると判断するからで、融資による利益に牽引されるものです。
投資しようとする企業に、銀行預金から融資された場合はじめて金利が生まれます。
つまり、金利が投資に影響を与える事態が生まれるのは、個人の貯蓄の増大ではなく、銀行が中小事業者や投資家に融資しようとする場合だけです。
さらに、投資に一意的に影響を与えるものは「資本の限界効率−金利」なのであって、「金利」単独ではありません。
ケインズ経済学においては、この「資本の限界効率」と「金利」の切り分けによる分析が重要な視点になります。
ただし、「資本の限界効率−金利」は、実質金利とは異なる概念です。実質金利は物価だけを勘案し、「金利の上昇率−物価の上昇率」で表現したものであり、また、投資家の意欲ではなく、統計的な現象面を表現したものにすぎません。
ケインズも、金利が、所定の所得の下で、消費性向および貯蓄性向に影響を与えることを否定していません。
しかし、その影響の種類は、冒頭で述べたとおり、あくまで、「資本の限界効率」が増大した場合に、政策的または計略的な「金利」が別の要因として景気に影響を与え、あるいは、投資が減少傾向になったときに、人々の弱気が起こって来るという関係があるだけです。
金融機関の融資しようとする姿勢は、まず、政府の財政政策からもたらされる「資本の限界効率」を予想することから始まり、政府の金融政策からもたらされる「政策金利」を勘案して、決まります。
そして、さらに、ケインズは次のように続けます。
『伝統的な理論を教わった者は、専門の経済学者でさえも、貯蓄をしたら、それは自動的に金利を引き下げるような行為を実施したのだ、という発想を抱いています。逆に、投資行為が追加されるたびに必然的に金利を上げるとも思われています。
これは今日ですら、新古典派経済学だけでなく一般的な信念にさえなっています。
しかし、事実は、いくら投資が増大しても皆が失敗していたのでは金利は上がりません。この分析からも、こうした説明はまちがっているはずだとすぐに判るはずです。
金利が上がるのは、投資の増加によるものではなく、投資が成功するであろうという予測、つまり、資本の限界効率が上昇しているときであって、現在の投資がどんなに大きかろうと、そのことが金利を上げているのではありません。』(山形浩生氏訳)
投資がさかんに行われているという現状ではなく、「投資が成功するであろうという期待」が大きい場合、すなわち、「資本の限界効率」が高い場合にのみ金利が上がります。
そして、景気に陰りが見え、資本の限界効率が下がった時には、その時点で投資家が投資を手控えるので、金融機関が投資家の動向を読み取り、金利を下げます。
例えば、政府の財政支出が行われても、それのみによって自然に金利が上がるのではなく、政府の財政政策が妥当であり、国民の消費性向または限界消費性向を上げると思われ、投資家が「投資が成功するであろうという期待」を持ち、すなわち「資本の限界効率」が上がったときに、それを追撃し、金融機関や債権者は金利を上げるのです。
消費性向または限界消費性向を上げる財政政策とは、法人税や所得税などの担税力に課税し、消費税や固定資産税といった外形標準に課税される税金は廃止または減税し、医療費や福祉費などの給付の拡大、長期的な雇用を創るための公共投資の拡大といった、金利とは無関係の要素で、低所得者および貧困層にお金を分配する、いわゆる、所得再分配政策のことです。
つまり、財政政策の目的の一つである経済成長政策の要点としては、限界消費性向を上げるために低所得者および貧困層にお金を分配することであり、すなわち、財政政策が投資を誘導する手段は「金利」ではなく「雇用」であると言っているのです。(財政政策のもう一つの目的は国民の平等です。国民を平等にする財政政策によって経済成長が達成されます。)
そして、それは、経済成長政策の目的は「雇用」を介して「資本の限界効率−金利」に影響を与えることに存在することを示しています。
政府がまともな財政政策を行えば、直接的に低所得者や貧困層がお金を持つことが出来るようになるだけではなく、民間においても、「資本の限界効率−金利」が上昇し、そのことによって、投資家が生産量を増大させようとすることからもまた、雇用や賃金の増加をもたらします。
だから、ケインズは、財政政策が投資を刺激するときに、必然として増えるものは、「金利」ではなく「雇用」であるとした方が、この話はもっと判りやすくなると言っています。