「研究者」というもの。 | 零細企業の闘魂日記

【東大43論文に改ざん・捏造疑い 元教授グループ】
http://www.asahi.com/national/update/0725/TKY201307240640.html
『東京大学の調査委員会が、分子細胞生物学研究所の加藤茂明元教授(54)のグループの論文について、改ざんや捏造(ねつぞう)、もしくはその疑いがあると認定し、計43本は撤回が妥当と判断していることがわかった。ほとんどが、実験結果の証拠にもなりうる画像の不正だった。加藤元教授は撤回に応じるという。これだけ多くの論文が改ざん・捏造とされたのはきわめて異例だ。』
 
『加藤元教授は国内を代表する分子生物学者で、有名雑誌に多数の論文を発表してきた。数々の研究プロジェクトも進め、一連の研究には20億円以上の公的研究費が投じられている。改ざんなどが指摘された論文には20人以上の研究者が関わっており、こうした論文で得た博士号などの学位が取り消される可能性もある。』

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事実だとすれば、学者・研究者の風上に置けない連中である。
図表にあるのはタンパク質かDNAの電気泳動像であろう。
現れては都合の悪いバンドを消したか、別の画像に差し替えたのは100%明らかだ。
 
調査報告の文言は、何に遠慮しているのか?
「悪意がある改ざんである可能性が高い」。
日本語の勉強からやり直せ。
 
当然、これら一連のインチキ研究、捏造データ、改竄論文で博士号を得た者の学位は剥奪すべきである。ただし擁護するわけではないが、加藤茂明元教授が直接、このような不正に関与したかどうかは分からないし、慎重にならなければいけない。多くの論文をファーストネームで加藤茂明元教授が執筆したものとは思えないからである。
 
 
これまで断片的にしか語らなかった私自身の研究経緯を記す。
二十数年前、私は微生物によって炭化水素、つまり天然ガスを生産させる研究を行っていた。そして、赤色酵母の一種に飛び抜けた生産能力があることを見出し、小胞体に存在する一連のチトクロームP-450電子伝達系がそれを担っていることを突き止めた。
 
その証明をするには、電子伝達系に関与する酵素をそれぞれ精製し、in vitro(生体外)で本当に天然ガスをつくり出すのかどうかを検証しなければならない。これを『再構成』 という。
 
また酵素を精製すればタンパク質のN末端を解析することによってクローニングが可能になり遺伝子を特定できる。すなわち他の微生物に遺伝子導入し効率よく天然ガスをつくらせることも、あるいは酵素を固定化しバイオリアクターの製造も夢ではない。
 
ところが、菌体外酵素などとは異なり、チトクロームP-450をはじめとする一連の酵素は、親水基と疎水基からなっており、疎水基はリン脂質に埋め込まれるように存在しているのである。各酵素を失活させず精製するのは当時の技術ではかなり難しく、疎水基を保持したまま可溶化する条件や、プロテアーゼによって分解されないようにする工夫が必要であった。
 
氷点に近い低温かつ短時間での作業が求められる。
下のメモ書きはそのスキームの一部である(まだこんなものが残っていた)。


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「10/5~10/10」の記述があるが、これはこの期間、休むことなく作業することを示している。徹夜の連続だ。
 
結果的にチトクロームb5、b5レダクターゼ、チトクロームP-450、P-450レダクターゼの4つの酵素を精製することに成功した。これらの成果は、海外の査読付き論文に掲載された。
 
そしてin vitroにおける再構成に軸足を移し、推定したとおり小胞体のチトクロームP-450電子伝達系で天然ガスが生成されることが証明できた。
 
この時点で私の論文は3報を超えており、さらに1991年3月、モスクワで開催された国際学会での発表につながった。教授は博士論文としてまとめるよう強く勧めた。だが、私はまだ研究成果に満足できなかった。in vitroで証明したものの、生成される天然ガスの量が予想より低すぎたからである。まだほかにも関与する酵素があるのか、再構成の条件が適切ではないのか、検討する余地がいくつも残っていた。
 
私は結局、数本の論文を書いたが、ついに博士論文は書かなかった。
やがて企業に就職したものの、教授、助教授ら研究室の教官は就職先のトップに会談を申し入れ、掛け持ちで良いから私に研究の続きができる環境を与えてほしいと交渉してくれた。企業側は大らかなもので、すぐに決裁された。
 
ところが、仕事は厳しく時間の余裕がない。月日が経っていくうちに母が瀕死の交通事故に遭い、それをきっかけに私は退職を決意。京都に戻った。
母の回復を見届けたあと、九州の企業に就職。ここで私はキノコと出会った。
指導者はなく独学であるが、キノコという生物は非常に面白い。生産管理課と研究所主任研究員を兼ねて日々、仕事に励んだ。微生物と同様、キノコも菌類なので、人間の休みには合わせてくれない。それでも新しい知見を得ることのほうを優先した。
 
生化学や培養工学の知識が大いに役立ち、いくつかの新発見や発明ができたのだが、生産管理課にも席があった私には、この企業がキノコ事業を続けていくのは絶対に無理だと確信するほどの赤字を出していることを知っていた。やがてキノコ事業の縮小と数年後の撤退が方針として決定した。
 
平成8年(1996年)、移籍し現在の会社の共同代表となった。
このころの私は、自分で言うのもおこがましいがいろいろな方面で冴えていた。栽培が不可能と言われていた菌根菌のキノコの実用的栽培に成功したことを皮切りにつぎつぎと特許を取得した(『菌根菌の子実体の人工栽培方法』 特許第3821320号)。
 
ベンチャー企業における研究成果を、短兵急に学会や論文で発表することは御法度である。なによりまず知的財産権としなければ意味がない。
 
またこれも栽培が不可能と言われていた、あるキノコの栽培技術を確立し、実際に自社栽培場で栽培を開始した。これは日本のほか国際特許出願をし、出願したすべての国で特許を取得した。ざっと見積もっても総額40億円以上の売上をもたらせた。
 
他方で微生物の研究も続け、内分泌撹乱物質(通称:環境ホルモン)のひとつと言われる、「フタル酸エステル」を短時間で完全に分解する細菌を発見。分解に関与する酵素を精製し遺伝子配列を特定した。これは特許出願後、学会・論文発表に至った。
 
『フタル酸エステルを消失させる能力を有する細菌』(特許第4124397号)
『フタル酸モノ-2-エチルヘキシルエステラーゼおよびその使用』(特許第3960613号)

  
キノコについては栽培技術の開発だけではなく、キノコの工業的利用研究も並行した。
『きのこ色素の藻類成長抑制作用を利用した新規防藻製品の開発』のテーマで競争的研究助成金を受けている。

 

キノコ菌糸を栄養源に成長するオオクワガタの幼虫の研究も行っている。

『クワガタムシの幼虫飼育用キノコ菌床』(特許第3355151号
 

この特許技術や資材、その他必要な備品等は、すべて無償で身体障害者授産施設に供与した。

  
さまざまな分野の研究に手を出したが、キノコ業界では一応、名が知られるようになり、付き合いも多かったため複数の大学から博士号の打診があった。もはや私は一研究者でいられる立場ではなく、会社の代表者でもある。取締役会に諮られ、博士号を取得するよう決議された。
平成14年(2002年)のことである。
 
論文は某大学の農学部に提出し博士号を授与された。
 
後日談だが、私はあれほど博士号の取得を勧めてくれていた恩師に引け目があり、このことをいつ報告しようかと思っていた矢先に、恩師から電話を受けた。
 
「なんで、黙ってたんかい!そやから、はよ論文をまとめて博士号を取るように前から言うてたやないか。ワシに相談してくれたら良かったのに、水くさいやっちゃで、ホンマに。今回は農学やろ?アンタとワシらには師弟関係があるんや。もともと工学部の出身なんやさかい、もう一発、踏ん張ってつぎは工学で学位を取れ。そやないとワシらの格好がつかんやないか」。
 
言葉は悪いが、これが不肖の弟子への祝福と激励の表現なのである。ありがたいことに常に私は人に恵まれてきた。陰に陽にさまざま形で世話になり続けている。
 

現在はますます私が研究に割く時間はなくなってしまい、日進月歩の時代に取り残されてしまった感がある。しかし、もう他界された学生時代の指導教授は「学究の徒というのは、あれがない、これがないなどと言い訳をしない。素手でも何かに好奇心を持ち、自ら学ぼうとするものだ」とおっしゃっていた。

 

前述の電話を頂戴した恩師は、当時、現在の私より若いバリバリのやり手の助教授だったがすでに名誉教授となり古稀も迎えられた。だが、いつも私を見守ってくださっている。先生の目の黒いうちには約束を果たそうと思う。

 

最後に、研究者を目指す若い方々に一言、二言。

研究に取り組むときは、‘自分にできないはずがない’と言い聞かせるぐらい絶対の自信を持つことである。ここがぐらついているようでは、とても成功などおぼつかない。

 

‘できそうなこと’‘できそうでないこと’は、紙一重であり、個人の主観にすぎない。ならば、‘できそうでないこと’を目標に置くべきである。前言と矛盾するように思えるかも知れないが、実験や研究は何度失敗しようと、挫折しようと許されるものだ。最初から‘できそうなこと’と分かっていることを成しても大した成長は期待できない。