昨年末からポチポチ作った恒例のもでりんぐ
今回はF-toysとWCCの零戦各種
明日まで経過観察なんで、どこにも行けないし大量生産してみよーかと思います
(↑clickで説明ページへGO!)
海軍機動部隊とともに日本軍快進撃の原動力となった航空隊です
欧米が恐れる Zero Fighterを操るベテラン搭乗員はもとより新人搭乗員もメキメキと頭角を現し連戦連勝 誰もが認めるエース集団
しかし ラバウルに展開後は本格的に米軍と対決することてなり、戦力を損耗していきます
新郷 英城 大尉 零戦21型 V-117号
開隊当初の飛行隊長
終戦まで活躍され、戦後は 航空自衛隊の将官に。
尾翼のVは 台南航空隊を表す略号
開戦当初は赤フチ付白文字で描かれていました。
胴体の帯の色で中隊を、本数でランク分けしています。
笹井 醇一 中尉 零戦21型 V-138号
ラバウルのリヒトホーヘンと言われた海兵出身のトップエース
開戦直前に配属、メキメキと空戦技術を向上させスコアも急増
しかし 昭和17年8月26日に未帰還
最終階級は少佐。公認記録として27機撃墜
海兵同期から軍鶏と呼ばれた典型的な戦闘機乗りだったそうです
坂井 三郎 一飛曹 零戦21型 V-128号
大陸戦からのべテラン搭乗員
笹井中尉が率いる中隊の先任搭乗員として活躍昭和17年8月7日の空中戦で頭部を撃たれ重傷を負いますが単機基地に帰還します。
総撃墜数は64機 最終階級は中尉
大空のサムライの著者です
西澤 廣義 一飛曹 零戦21型 V-171号
日米両軍を通じてのトップエース
昭和17年4月に台南航空隊へ転じ、11月本土へ戻る間に30機を撃墜
特にガダルカナル航空戦初日には、敵機6機を撃墜の大活躍
西澤 廣義一飛曹 零戦22型 U1-106号
昭和18年5月に再びラバウルへ進出
10月の本土帰還まで多数撃墜を記録
当時の司令官から武功抜群と記された軍刀を授与される等、絶対的な信頼を受けていました。
しかし彼も 昭和19年10月26日、フィリピン方面で輸送機で移動中、敵機に撃墜されてしまいます。
不死身のエースも輸送機上では…
公認記録は87機撃墜 最終階級は中尉
有田義助 二飛曹 零戦21型 V-141号
昭和17年2月頃からジャワ方面で本機に搭乗していたようです。
報国第439號(第六大林組號)は建設会社の大林組が献納したもの
有田二飛曹は昭和17年5月1日、本機で出撃し未帰還になりました。総撃墜5機
前田 芳光 三飛曹 零戦21型 V-110号
昭和17年4月28日 ラエ基地に展開し、作戦従事中に被弾、不時着した機体
のちに豪軍に捕獲され各地で展示されちゃいます。
前田三飛曹は無事に救助されましたが、昭和17年8月28日未帰還となりました
稲野菊一 大尉 零戦32型 V-190号
3空の分隊長から転じ、当時最新鋭の32型にも搭乗
本機はニューギニア ブナ基地で修理不能機として破棄され米軍に接種されました。
こちらはWCCの製品…ちょっとクォリティが
零戦21型 V-179号 阿波製紙號
ニューギニア ラエ基地で米軍に接種された機体
零戦32型 V-187号機 洪源號
同じく米軍に接種されました。
32型の主翼の角型 カッコイイ
零戦32型はWCCのみで出来はイマイチ
新規販売してもらいたいです
台南空のエースパイロット
後列中央が笹井中尉、右が坂井上飛曹
前列右が 大田二飛曹、左が西澤一飛曹
攻撃から帰ってきて談笑する台南空の搭乗員たち
一番手前の長身が西澤一飛曹
ラバウル~ガダルカナル間 約1000km
片道3時間、空戦10数分、
トータル7時間近くものフライト
緊張状態により疲弊していくのは当然のこと…
ラバウルは赤道よりチョイ南にあり
常夏の基地です
隊員は半袖・半ズボン、翼上にはヤシの葉です
当時世界最強と言っても過言ではない台南航空隊
日本海軍の戦略に翻弄され、当時20歳前半の優秀な搭乗員を次々と失ってしまい、ラバウルは「搭乗員の墓場」と化してしまいました