皆様こんにちは。

 

さてこれは50過ぎたわたしが

 

「ゴールイン」

 

という言葉を聞いて思う事と

 

若い娘さんのそれとは

 

もうまったくもって

 

意味合いが違うのだということを

 

痛感します。

 

若い頃、ゴールイン!というと

 

「結婚」だったり

 

「希望の職業、肩書に就くこと」

 

だったりするでしょう。少なくとも

 

わたしはそうでした。

 

 

しかし50を過ぎた頃から

 

いかに美しく人生の幕を閉じるか

 

それがゴールインであることを

 

意識し始めます。

 

これを縁起でもない!という

 

人がいるかもしれません。

 

しかしわたしは縁起でもないとは

 

思わないです。

 

ある程度、理想の人生の幕の閉じ方を

 

決めておくというのも

 

人生をよりよく生きるための

 

たしなみではないかなと感じます。

 

 

 

ちなみに

 

今のわたしの理想のゴールインは

 

あの憧れの

 

ココシャネルのような幕の閉じ方です!

 

こちらはウィキペディアより

 

~1971年1月9日(土曜日)、彼女は普段通りに春のカタログを準備し、午後に長めのドライブに出た。そのすぐ後に気分が悪くなりベッドに早めに入った[36]:196。彼女はメイドのジャンヌに最後の言葉として「人はこんなふうに死ぬのよ(C'est comme cela que l'on meurt)」と語った[57][49]。1971年1月10日、30年以上居住していたホテル・リッツで死亡した[58]。葬儀はパリのマドレーヌ寺院で執り行われた。彼女のファッションモデルたちが最前列の席に陣取り、棺は白い花(ツバキ、クチナシ、ラン、ツツジ)そして少量の赤いバラで飾られた~~

 

 

 

 

 

わたしの憧れポイントは

 

まさに「死ぬ間際まで仕事をしていた点」

 

 

これね、なぜそう思うかというと

 

もちろん、それぞれの生き方というものが

 

あってそのどれかを

 

否定するとか

 

そういう気持ちは一切無いのですが

 

 

わたしの性格上

 

年を取って何か病気して

 

点滴につながれたまま

 

ただただ延命させられる・・・

 

みたいなことになったら

 

もう精神的にダメだと思うんです。

 

 

また老後なんの

 

職業を持たず余生を自分の

 

楽しみだけのために過ごすということも

 

その生活を想像しただけで

 

目の前が真っ暗になります。

 

 

わたしは自分が

 

ワーカーホリック気味の性質

 

であることは意識していますし

 

休んだりまったりすることも

 

ありますが

 

 

それはあくまでも

 

「仕事」というものが

 

いつでも取り掛かれる状態として

 

あるからこそ、まったりできるわけで

 

まったくそれを手放してしまう生活など

 

もうそれだったらいっそ

 

とっととお迎えに来て欲しいと思います。

 

 

ココシャネルもそうですが

 

先ごろご逝去された

 

瀬戸内寂聴先生や

 

「私死なない気がするの」

 

とお亡くなりになる直前まで

 

おっしゃっていたという

 

宇野千代先生

 

皆さん、亡くなる間際まで

 

ご自分の仕事を全うされた先輩方です。

 

 

わたしもあのように幕が引けたら

 

もう何も思い残すことはないと思います!

 

 

もちろん、まだお若い方にとっては

 

まだまだずっと先のことなので

 

そのようなことを考える必要もないと

 

思いますが

 

わたしと同世代の方は少なくとも

 

どんなふうに人生の幕を閉じたいか

 

イメージしたことはあると思いますし

 

どう幕を閉じるのかを考えていれば

 

逆に健康面に気を使ったり

 

自分のメンテナンスのやりがいも

 

出てくるのではないでしょうか。

 

 

ここでお名前を挙げた

 

諸先輩方も

 

ご自分の理想の幕引きについて

 

ときどきエッセイなどで

 

「死ぬ間際まで小説を書いていたい」

 

「死ぬ間際まで仕事をしたい」

 

といった趣旨の

 

お話をされていらっしゃるのを

 

拝読したことがあります。

 

 

そしてその理想通りの

 

引き際であの世に

 

旅立たれていらっしゃいます。

 

 

結婚も職業も

 

自分が明確に

 

こうするぞ!と決めれば

 

そのとおりのものを手に出来ると

 

わたしは思いますし

 

 

両親と死に方は選べないといいますが

 

死に方だって

 

やはり「こうありたい」といったものが

 

明確であれば叶うのだと思います。

 

 

そういえば父の生前

 

わたしが

 

「お父さんみたいな自由奔放な人は

90過ぎても厚かましく

生きるタイプに決まってる」

 

と憎まれ口をたたくと

 

「そんな長生きできるか!

そんな爺さんになってまで

生きたくないわ。わしは

70前にはさっさと死ぬ」

 

と本気で言っていましたし

 

68才で亡くなりましたので

 

本気でこういう幕引きをしたいと

 

望めばそれは叶うのだなということを

 

感じておりますよ。

 

 

わたしは亡き父のように

 

●●才までに!という

 

こだわりはないですけども

 

いつまでも人生の現役でいたい気持ちは

 

父の意思を継いだのかもしれませんね。

 

 

五十路を過ぎたら

 

どういう人生の締めくくりを

 

迎えようかと明確にして

 

そこから引き算で行動を決めておくと

 

じたばたしなくて

 

済むかもしれません。

 

お若い方にはただただ

 

「縁起が悪い」「辛気臭い」話で

 

申し訳ありませんでしたが

 

今後もこういう記事をたまに

 

書いていくと思います。

 

いずれにしても素敵な人生を

 

送るために自分がどうしたいか

 

どのようにありたいかを

 

明確にするのは大事ですよという

 

お話でした。

 

それでは皆様素敵な土曜日の午後を

 

お過ごしくださいね。