皆様こんにちは。

 

さて昨夜書いたこちらの記事ですが・・・


 

わたしは結構な毒舌家です。

 

しかしありがたいことに

 

わたしと話すと

 

元気が出るとおっしゃってくれる

 

お客様が多くいらっしゃいます。

 

 

わたしの中の毒舌とは何か?

 

これ、真理をときにえげつなく

 

わかりやすい言葉で伝える事です。

 

 

この才能???が禍いして

 

人から恨まれたり、知らないBBAから

 

「もやもやする!」

 

「わざわざそんな言い方で言わなくて

 

いいじゃないですか」

 

などといった迷惑メッセージをいただいて

 

しまうことも多々あるのですが

 

この世は2極で出来ていて

 

美しい物の裏には

 

必ず醜悪な存在があるものなのです。

 

わたしは裏を暴くのが得意なので

 

ついついいらんこと暴くクセがあるようで

 

これもTPOをわきまえて

 

コントロールしたいとはおもっています。

 

 

 

ちなみに毒舌とは別に

 

「慈愛」の裏には

 

「冷酷さ」が必ず存在します。

 

慈愛の人と言われているマザーテレサが

 

身内にはとても厳しく冷たかったという話は

 

有名ですよね。

 

マザーテレサのような偉大な人間では

 

ないわたしですが

 

これ、実は昔、わたしの亡き父が

 

「お前は人生相談受ける側に向いている。

人に関心がないからな」

 

という誉め言葉なのかディスりなのか

 

わからない言葉を言ってもらえたことがあります。

 

 

当初、よくその意味が

 

わからなかったのですが

 

実際に仕事を始めて

 

父が言っていた意味が徐々に

 

理解できるようになりました。

 

 

わたしはたいていのお客様のお名前

 

状況など、ほぼほぼ忘れます。

 

これ昔から人の顔と名前がなかなか

 

覚えられなかったからというのも

 

ありますが

 

一回一回その人に興味を持ち

 

一回一回感情移入していたら

 

たぶん長くこの仕事を続ける事は

 

出来なかったと思うのです。

 

わたしは鑑定の時はたぶん

 

感情移入もできているし

 

ご相談に親身になれていると思いますが

 

いったん、お話が終わったら

 

もう別の事を考えていたりします。

 

亡き父もそうでした。

 

一回一回ご相談者さまのお名前を

 

覚えておらずわたしがアシストしたりしてましたし

 

行事の後はほんの数人

 

気が許せるスタッフさんに

 

身の回りの世話を任せて

 

一人部屋にこもっていることが

 

多かったように思います。

 

 

わたし自身は

 

人に興味がないという表現が適切かどうか

 

わかりませんが

 

普段はあまり人の目とか人がどう思うとか

 

気にしたことがありません。

 

 

これは長いいじめられっ子生活で

 

身に付けたわざなのかもしれません。

 

集団でいじめられているときに

 

いじめてる人たちの悪意にいちいち

 

対応していたら

 

身が持たないですし

 

その頃から(幼稚園から中学2年生までの間)

 

人の言葉や態度をスルーするわざが

 

身に付いていたのでしょうね。

 

大人になってもこれは

 

いいのか悪いのかわかりませんが

 

このワザのおかげでラクに厚かましく

 

仕事をさせていただいている部分が

 

大いにあります。

 

 

もちろん慈愛モードのときは

 

しっかりとその思いをクライアントさまにも

 

お伝えしていますが

 

仕事が終わったあとは

 

たいてい自分の世界にいます。

 

 

しかしながら

 

これは誰でもそうですが

 

人間でいる限り

 

慈愛というエネルギーを常に出すことは

 

無理に決まっています。

 

 

誰しもがそこまで人に関心があるわけでは

 

無いと思うのです。

 

なので人に興味がない部分があることを

 

潔く認めて、自分の世界に入れる人間は

 

求められれば慈愛のエネルギーも

 

だせるのかなと思います。

 

 

 

なので慈愛の気持ちが出せないという人も

 

ご安心を。

 

自分の世界にしっかり浸ったあと

 

ときどき、まずは表面的にでも

 

それをやればいいのです。

 

「それは心がこもっていない」

 

と非難されるかもしれませんが

 

正直な話をすると

 

わたしがさして慈愛もこめず

 

軽く言った言葉が

 

お客様にとっては

 

人生を変えたひと言だったと

 

言っていただけることも多々あります。

 

(当然こちらはそんなこと言ったっけ?と

 

まるで覚えてなかったりします)

 

ですので、ある意味、慈愛も

 

「気分」で行えばいいのです。

 

自分の気分が乗ったときに

 

そういう言葉を人にかける練習をする。

 

そうするとあなたにとっては

 

練習にすぎなかったその言葉に

 

とても救われる人も

 

出てくるかもしれないのです。

 

もっというとあまり深く、真剣に考えなくても

 

愛の営みによって生まれた

 

わたしたち人間は

 

「愛」のエネルギーをいとも

 

簡単に出せるワザを誰しもがDNAレベルで

 

持ってうまれてきています。

 

(それがたとえ性●欲だけであったとしても

 

誰かとつながりたいという欲求の

 

発祥は愛のエネルギーです)

 

 

本当にあなたがいるだけで

 

家族は安心しているかもしれません。

 

あなたがいるだけで

 

職場の人は落ち着けるのかもしれません。

 

慈愛の人になろう!!!

 

などと深く考えずとも

 

自分のDNAには「人を愛せる力」

 

「安心させる力」があるのだな

 

と知っているだけでいいと思います。

 

どなたさまも気負わずに

 

自分の「愛」のパワーを

 

信じましょう。

 

自分は冷たい人間だから・・・

 

などと気にしなくてもいいのです。

 

人間というだけで

 

あなたはすでに

 

「愛」の存在なのですから。

 

 

それではどなたさまも

 

素敵な午後を。