わたしは18歳ぐらいから

 

40手前までの約20年間

 

日記というほどでもない

 

感情を書きなぐっただけの

 

メモ的なものを書き残しておく癖が

 

ありまして

 

(今はブログや

悪口ノートや夢ノートが代用になっているので

その手のものは書いておりません)

 

だいぶ処分したのですが

 

まれに手元に残っているものもあり

 

それをたまにちらっと読むと

 

本気で

 

自分の過去をばっさり削除したくなります。

 

 

 

たとえば18歳から20歳までの

 

日記のある記述。

 

 

 

灰色の現実に少しでも彩りが欲しくて

バイト途中でぶっちぎれて電車でエメラルド色の海に来ました」 

 

エメラルド色の海というのは

糸島の海岸だと思われますが

彩りとかそんなんどうでもいいんで

バイト途中でぶっちぎれて

電車に乗ったりしてはいけませんっ!!!笑い泣き

 

・・・っていうか、このバイト先

よくクビにならなかったなぁあせるあせるあせる

 

 

それだけでなく

 

こんな記述も・・・・。

 

 

 

「・・・明るい未来なんて考えられない。

今を刹那に生きるだけだからバイトはさぼった。

 

ええええええええええっ?!?!?!???滝汗

バイトさぼったってあんた、

そ、そんな理由で~~~っ?!?!滝汗滝汗滝汗

 

わたしだったら

こんなバカ娘、自分の娘だった日には

絶対に許しません!!!ムキー

 

 

天神親不孝通りにあった

 

このお店、もうなくなってしまいましたが

 

当時確か34歳とおっしゃっていた

 

店長さん『神』ですわ!!!天使天使

 

 

こんなバカ娘をクビにすることなく

 

3年間使っていただいて・・・・

 

本当、申し訳なさ過ぎて、顔向けできません!!笑い泣き

 

 

 

とにかく

 

この時期書いてる事って

 

つっこみどころ満載で

 

まだまだ、ここには掲載できないほど

 

「たわけたこと」がいっぱい

 

書いてあって

 

わたしの大バカ娘っぷりが

 

随所にみられるのですが

 

 

あの頃のわたしの脳内は

 

「現実=イヤなこと」

「仕事=イヤなこと」

 

だったようで、毎日毎日

 

繰り返し、似たり寄ったりのことが

 

書いてありました。

 

 

 

まぁ、オトナになった今も

 

世間様からすると、まともではない感覚で

 

生きていると思われますが

 

 

少なくとも

 

「今を刹那に生きている」

 

なんてくそみたいな理由で

 

バイトをさぼったりはいたしません笑い泣き

 

 

しかし

 

動機はまったく違いますが

 

今でもやってることは同じかもしれません。

 

 

 

ただ、今のわたしは

 

「灰色の現実から抜け出すため」

 

でもなく

 

「明るい未来がみえないのなら

刹那に生きる」

 

というへっぽこ歌謡曲の歌詞のような

 

動機でもなく

 

単純に

 

体や心が疲れたときに休みます。

 

 

 

・・・・え????たいして変わってないように

 

見えますか???びっくり

 

 

いやいや、これはですね

 

本当の意味で自分を大切にしているのか

 

そうでないかの違いがちゃんとあるのです。

 

 

 

わたしがバカ娘だった18歳当時は

 

「イヤなことから逃げるだけ」

 

だったのですが

 

 

オトナになったわたしは

 

「イヤなことのなかで

一体、何がイヤなのか

ちゃんと向き合い、できる限り

快適にできるように工夫する」

 

ことができるようになったとおもいます。

 

 

18歳の頃の

 

わたしは自分が何がイヤなのか

 

見ようとしていなかったんです。

 

 

 

なので、その場しのぎで

 

ただイヤなことから逃げるしか

 

方法を知らなかったのです。

 

 

 

わたしがなぜあんなにも現実が灰色に

 

みえたのか、未来を明るく感じなかったのか

 

今なら理解できます。

 

それは、単純に

 

『人の決めた時間に通勤し

 

人の決めたルールで仕事するのが

 

苦痛でたまらなかったから』

 

です。

 

 

 

当時、わたしは飲食店で接客をしていました。

 

接客自体はまぁまぁ好きでした。

 

なのでいったんバイトに入ってしまえば

 

苦痛は和らいでいましたし

 

ウェイトレスの仕事をしていて

 

よそのお店に

 

引き抜きされたこともあるぐらい

 

真剣にやれば

 

ちゃんとできる子だったのですけども

 

 

どうしても通勤や職場のルールが苦手で

 

毎回それで苦しくなっていました。

 

 

 

店を抜け出しエメラルド色の海に

 

逃亡したときは

 

わたしが良かれと思ってお客様にしたことを

 

「ルールにない!」と

 

現場のチーフに叱られたときだったと

 

記憶しています。

 

 

 

自分の創意工夫が活かされない場所は

 

わたしにとっては苦痛の場所でしかなかったのだと

 

思います。

 

 

当時は若いうえに

 

視野が狭かったため

 

仕事というものはおおむね

 

こんなものだとおもってましたし

 

同世代の友人たちも

 

「社会人ってこんなもんだろ」

 

と淡々と仕事をしているようにみえたので

 

自分が思い描く理想の仕事なんて

 

この世の中には存在しないんだ。

 

お給料は我慢料なんだ

 

そんな環境で文句も言わず

 

さぼったりもせず

 

ちゃんとお勤めできる友人たちは

 

我慢強くて

 

オトナなんだと信じて疑ってませんでした。

 

それからもわたしは

 

社会人としてオトナとして

 

ふるまおうとしては失敗し、どこかに逃亡し

 

また打ちひしがれて別のところで仕事をする

 

といったことを繰り返していました。

 

 

バイト含むとわたしの転職回数は

 

ゆうに30回は超えているとおもいます笑い泣き

 

最初のうちは

 

自分が何がイヤなのかを

 

向き合わずに

 

ただ逃げる目的で

 

転職を繰り返していましたが

 

だんだん、自分なりに

 

どんなことなら楽しくて

 

どんなことが苦痛なのかはわかってきました。

 

 

そしてわたしが仕事をするうえで

 

一番苦痛だった

 

人の決めたルールや時間に

 

従わなくて済む

 

自営業やフリーランスの世界に

 

飛び込みました。

 

何が言いたいかというと

 

灰色の世界にいてもいいし

 

逃げ出してもいいんですよ。

 

でも、もし、今、そこで考える余裕があるなら

 

いったい自分は何をしたくなくて

 

そこから逃げているのか。

 

そのしたくないことを徹底的に避けるために

 

少しでもやれることはないか。

 

を考え続けてみてください。

 

 

これは転職問題だけでなく

 

家族やパートナーと一緒にいるのが

 

苦痛なときも同じように

 

「何がいやなのか」

 

「やりたくないこと、イヤなことを

 

排除するためにやれることはなにか」

 

を、一回一回よく考えてみるのです。

 

 

 

「イヤなこと」が

 

少しでも減るように、

 

少しずつやれることを増やしていくのです。

 

 

 

読者の皆様で

 

今いる現実が不本意で

 

バラ色の未来なんて夢のまた夢だと

 

感じている人は

 

きっと当時のわたしよりはオトナの視点で

 

もう少し広い視野をお持ちなはずですので

 

選択肢は無限にあるということを

 

御存知かと思います。

 

今からその視点を持って

 

自分の生活の中で

 

当たり前のように耐えている

 

イヤなことから

 

少しずつ距離を置いていけば

 

1~2年もすればバラ色の未来が

 

顔を出し始める可能性大です。

 

 

 

自分にとってイヤなことを

 

明確にできたら、そのためにやれることを

 

知る作業でしたら

 

わたしでもお手伝い可能かもしれませんおねがい

 

本日は午後9時まで

 

ゆったり待機しております♥

 

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電話占いフルゴラ

早いものでもう6月も終わりですね。

 

どなたさまも素敵な時間をお過ごしくださいね。