今週、12月10日は父の命日です。
 
父が亡くなった8年前
 
わたしは占い師として所属していた占いの会社を
 
辞めてスピリチュアルカウンセラーとして
 
独立をしたばかり。
 
その頃、結婚していた相手が
 
お金を入れてくれない人だったので
 
一人で頑張らなくてはならない時期でした。
>今だったらそんな男、絶対追い出しますが(苦笑)
 
実は父が亡くなる1か月ほど前
 
母が、ヘルペス脳炎という病気にかかり意識不明の
 
状態が続いていたのです。
 
母の様子がおかしいと父から連絡がはいり
 
病院に連れて行ったのはわたしでした。
 
父はその頃、すでに腎不全の状態で
 
食事療法と人工透析を受けていましたから
 
身動きがとれなかったのです。
 
診察室に入って、
 
診察を始めた医師の顔色がものすごく緊迫したものに
 
変わって、大急ぎで処置が始まり
 
その傍らで、
 
聞きなれない病名と、助かる確率が
 
とても低い病気であることを同時に知らされ
 
わたしも何がショックなのかわからないまま
 
涙がとまらず、遠くにいた長男の弟や妹に知らせを入れ
 
そこから約2週間、集中治療室に通いながら
 
母の意識が戻るのを皆で祈っていました。
 
それまで腎臓疾患のある父の食事の管理は
 
すべて母が行っていたのですが
 
正直、あの頃、わたしも家族も父の世話にまで
 
手が回らないほど忙しくて
 
そのせいか父が弱ってるようにみえたので
 
強制入院してもらうことにしました。
 
結果、父と母が同時に別々の病院に入院するという形に。
 
母の意識は依然戻らず、生死の境をさまよう状態が
 
続いている中、父の容態が急変し、なんの準備もしないまま
 
亡くなってしまいました。
 
 
父の葬儀後、半月ぶりに
 
母の意識が戻ったものの、深刻な後遺症のせいで
 
もう普通の体には戻れないと宣告され
 
介護の手続きやお金についての話し合い
 
それに加えて、父のやりっぱなしにしていた
 
事業や金銭処理や整理などものすごく
 
大変な作業をやらなければならなかったのですが
 
わたしときたら、昔からそういう作業が苦手で
 
一生懸命やってるつもりなのですが
 
いつも何かしら抜けてしまって、結果的に
 
長男の弟や妹が、わたしに任せていたことまで
 
やらなくてはいけなくなったりして
 
完全に「足を引っ張る人」になってしまっていました。
 
ただでさえ大変な状態のときに
 
わたしのダメっぷりが
 
さらに長男の弟や妹の
 
ギリギリな緊張状態に拍車をかけてしまったのだと
 
思います。もう、その頃には、わたしの当時の配偶者にまで
 
いらだちの矛先がいってしまい、
 
実家にいれば妹や弟に叱られ
 
家に帰れば夫の

わたしの兄弟への悪口と愚痴を聞き
 
それでも仕事をしないと食べていけない状態だったので
 
仕事をして、結果的に、わたしは突発性難聴と腎盂炎を
 
同時発症。本当に何もできなくなってしまい
 
それを機に、約5年間、弟2人や妹と絶縁状態が続きました。
 
父のことと母のことが起こる前
 
兄弟仲は本当に普通でした。
 
むしろ仲良かったぐらいです。
 
でも緊急事態のときって、どんなに冷静な状態を
 
保とうとしても、余裕なんて持てません。
 
長男の弟と妹は比較的冷静でしたが
 
やはりピリピリしていましたし
 
わたしも下の弟も、普段ののんびりマイペースを
 
改め、ミスをしないように神経をとがらせていたので
 
本当に余裕がなかったんですね。
 
余裕がないときってやはりそれぞれの本性が出ます。
 
それぞれの本性を受け入れて
 
一人一人の性格や価値観、ペースの違いを
 
受け入れる余裕が当時、誰にもなかったんですね。
 
緊急事態だったからこそですが
 
そのとき、わたしも含め、
 
家族一丸となって乗り越えていかねば
 
ってことで、兄弟足並みそろえて
 
一緒にがんばろうと励ましあっていました。
 
 
でも、今思えば、それが裏目に出てしまった部分は
 
大きかったと思います。
 
 
足並みをそろえると言っても、
 
誰もがほかのメンバーと同じ価値観で
 
動き続けることはできないし
 
同じ環境で育ったとはいえ、今はそれぞれの立場や
 
やるべきことも違う。当然、価値観も能力も違うので
 
「一丸となる」にこだわってしまうと、遅かれ早かれ
 
誰かが息切れし、その分、誰かが犠牲になる。
 
結果、全員が不満を持ち、
 
最悪、家族の心もバラバラになってしまうんですね。
 
 
 
あのパニック時に
 
長女のわたしが、そこに気が付くことができていれば
 
よかったかもなと思います。
 
事務処理を失敗しても
 
「わたしってほんとうにダメな人間なんだわ」
 
という卑屈さも罪悪感も感じず
 
叱られても、いらだちぶつけられても
 
めげることなく、もちろん、体を壊すこともなく
 
自分のペース保ちつつ、やるべきことに集中できたかも
 
しれないなとも思いますが
 
今となっては、もう、仕方がないことだったし
 
ぶつかり合いがなければ、誰もそのことには
 
気が付かなかったのかもしれません。
 
絶縁していた5年間で
 
わたしも、わたし以外の家族も
 
ゆっくりとですが、そういったことにそれぞれが
 
気が付くことができたのかもしれません。
 
今は、誰も率先して
 
家族一丸!!っていうスローガンをかがげたりしませんし
 
「足並みそろえて」ってのはしてません。おねがい
 
 
 
要介護の母に対しても、
 
絶縁解消後、わたし、5年間何もしなかった罪悪感から
 
すごく頑張りすぎてしまい
 
月に何度か母を預かるってことを
 
自発的にやっていたのですが
 
結果的に、またもや
 
母の面倒をみてくれている
 
下の弟夫婦に迷惑をかけてしまった経緯があったので
 
今は、もう、やれることしかやってませんし
 
会える時にしか会ってません。
 
 
がんばる=罪悪感で動く。
やれないことを犠牲心でやると失敗するのが
わたしなんだってことを改めて認識しましたね。
 
 
 
なので、がんばらずにやれることをやるのが
 
一番、母やほかの家族に迷惑かけずに
 
役に立つことができるのではないかなって思ってます。
 
今家族の問題で悩んでらっしゃる方の
 
ほとんどが、そこでつまづいてる気がしますし
 
わたしとわたしの家族がそうだったように
 
ぶつかり合いを経験しないと
 
足並みをそろえることを必要以上に強要せず
 
それぞれの価値観、生活のペースを
 
乱さないように生きることこそ
 
家族円満の秘訣だということに
 
気が付けないかもしれませんが
 
今、家族の誰かと衝突してるなら
 
自分も悪くないし、家族も悪くない。
 
ただ違うだけ。ってことは
 
知っておくといいかもしれませんね。
 
自分は、そう思っていても父や母が、姉や妹、兄や弟が
 
「違い」を受け入れようとしないときは
 
その家族とは、いったん距離をおくのも手です。
 
家族は一つ。ではなく
 
ばらばらのものの集合体。
 
ばらばら=嫌いではないし
 
愛がないわけではないんです。
 
むしろ、わたしは、今が一番
 
人生の中で家族という存在が、とても大切に思えてます。
 
父と母が理想としていた
 
「春の陽だまりのような温かい家庭」
 
ってこういうことなんじゃないかなと思うぐらいです。
 
 
わたしに家族というものを与えてくれた
 
天国の父に、本当の感謝がようやくできるようになった
 
気がしますラブ