さきほどのブログ♥

にも書いた「自分と向き合う」作業について

多くの人が、これイヤがるし、無意識に避けてるし

「正しく」向き合えてないんですよね。

正しいというのはつまり

不本意な現実を変えるための

自分との向き合い方のことですが

それは


自分の中のエグい、ずるい、あくどい、
卑怯、下劣な部分を
いじめて、裁いて、責めるだけ!!
で終わらない。

ということです。

「わたし自分と向き合ってます!なので

自分の悪いところは謙虚に受け止めております。

家族が病気ですし、夫からDVされてますし

母は毒親で

職場の上司がイジワルでパワハラですが

すべてのものに感謝してます!」

って言ってる人ほど、いじめっぱなし、裁きっぱなし

責めっぱなし、我慢させっぱなしで終わってるので

そういう人の

「自分を愛してます」「人生に感謝してます」

って言葉は白々しい感じしか伝わってきません。


目の前の現実は心象風景である

ってお話、この前も書きましたが

やっぱり正しく自分と向き合ってない人の現実は

トラブルや心配事の嵐です。

もうね、つまらないことで謙虚になったり、

感謝なんてしなくていいので

幸せになるコツはただ一つ。

とにかくストップ★自分いじめ

この一言に尽きるのです。

自分と向き合うってことはですね

たとえば自分がとんでもなくあくどいことを

考えていたとしましょう。

そして、それを誰かに指摘され

「あなたみたいなあくどい人みたことありませんっ!」

とののしられたとしましょう。

謙虚で感謝の人に見られる

間違った自分との向き合い方は

「人様のお言葉を謙虚にうけとめ
猛省し、二度とあくどい行動をとらぬよう
自分を見張る」

です。

で、これ続けてると、自分は

あくどいことしないかもしれませんが

周囲にあくどい人たちがいっぱい出てきます。

「自分は常に心身ともに健康でいなければならない!」

「自分が頑張らなければならない!」

「常にポジティブでならなければならない!!」

そんなふうに自分の弱さを認めず、蓋をしてきた人

ネガティブな気持ちをごまかすことで抑えてきた人の現実は

家族が病弱だったり、ネガティブだったり

うつだったり、周囲にそういう弱い人ばっかりで

その人たちの心配を常にしなければならない現実が

目の前に現れるのです。


正しい向き合い方は

あくどい自分を「あくどいんだ」と認める。
そして「それでもいいじゃん」とあきらめる。

です。

そもそも、

あくどいと思ってるのは自分だけで、もしくは

それは家族間や限られた人たちの間だけでの

あくどいことであって、それをあくどいと思う人がいないコミュニティーも

あるわけです。

あくどいを「卑怯」「ずるい」「下劣」「はしたない」「バカ」「ルーズ」「逆境に弱い」
「精神的に弱い」「無能」「根性がない」「体が弱い」「人に迷惑かけてばっかり」
「なんにも出来ないダメ人間」「ブス」「デブ」「ハゲ」「老い先短いおばはん」

など普段自分をけなすために使用している言葉をあてはめて

みてください。

正しい向き合い方、つまり

あくどい自分を

「そうなんだ。わたしってあくどいんだ」

と認め 「仕方ないよね。これがわたしだし」

と、すぱっとあきらめる。

あきらめるっていうのは、そうなってしまったものは

仕方ないので、そこはもういじくらないようにするってこと。

そこを解決しようとしないってことです。

何が起こるかというと

少なくとも周囲にあくどい人はいなくなります。

自分のあくどさはますます際立つだけですが

それを「あくどい」と指摘する人も周囲にいなくなります。

これが宇宙の真理、原理原則に基づいた

「不本意な現実を引き起こさないための

正しい自分との向き合い方」です。

道徳的に正しい、間違いは

あてはまらないんですね。

ちなみに道徳は国や場所、状況が変われば

善にもなるし悪にも変わるという

非常にあやふやなものです。

で、そこから先がとっても大事ですが

いったん、今の自分を認め、
あきらめることで

責めたり、いじめるのをやめれば

「やっぱり、今のままじゃイヤだ!
絶対こうなりたい!」

という気持ちがとても「健康的な形」
で出てきます。

つまり心の底から
自然な形で「変わりたい!」
と思えるようになるので
ちゃんと自分の望む状況に現実を変えていけるのです。

これをこじらせてしまって

ただ感情を抑えるだけ、ただ自分を律するだけだと

先ほど述べたような現実が目の前から消えず

悩み続ける日々が続くのです。

不本意な現実から脱出するための正しい自分との向き合い方は

①自分のダメなところ、やらかしてるところ、イヤなところ、すべて認めて、どうにかしようとするのではなく「あきらめる」もしくは
「このときはこうすることがベストだったわけで仕方なかったよね」って開き直る。

②罪悪感が湧くたび①を繰り返す。

③そのうち、それは本当に変えなくてはならないことであれば

「やっぱり変わりたい。もっと素敵な自分、
いい状態になりたい。」

という思いが焦りでなく、自然に出てきます。

この感情は
エキサイティングなものではなく、ふつふつと
静か体の奥底からわいてくる
落ち着いた感情です。

そうなったら、すかさず
素敵な自分、いい状態の自分が
やっているであろうことを
現実で実行する。

*お金を稼ぐ人になりたければ、お金を稼ぐための知恵を身に付けたり勉強したり、実際に商売を始めてみる。

*親切な人になりたかったら自分が親切だと思う行動をとればいいだけ。

*パートナーに甘える人になりたければ甘えるだけ。

③が出来ないから悩んでるんです!!って言う人はもう一回①からやり直しましょう。

できない、やれないのは
本当に本気で変わろうと思ってないだけですから本気で変わろうと思うまで、自分のあくどさやずるさや行動できなさを認めて
あきらめてくださいね。
あと、②の変わりたい!は
焦りや自分いじめが続いてるときにもでてきます。このときの感情は荒々しいものだったり
決して静かな感情ではなく衝動的です。

自分をいじめた結果湧いてきた
「変わりたい」は
少し寝かせて、本当にそうしたいのか
自分でもう一回考えてみてください。

とにかく、①で、しっかり
あきらめるんです。開き直るといってもいい。
自分の非や自分が問題だと思っている部分をいじくらない(トラウマ探したり原因さがしても意味ありません)
行動を改めようとしない。これに尽きます。


はい。これね、やっぱり難しいですよね。

人ってなぜだか、「あきらめないように」できてるんです。

でも、あきらめる。降参する。開き直る。

これやらないと、本当の自分が

どう生きたいのか?自分は本当はどうしたいのか

といった「本当の自分の望み」には気が付きません。

あきらめた結果

「あくどいとおもってたけどこれでよかったんだ」

と心の底から思えたらそれはそれで素晴らしい気づきですし

「やっぱりあくどい自分はイヤだ!誠実な人になりたいんだ!」

って気が付けば、どんな場面に於いても

誠実な人であろうと自分の意思で

コントロールできるようになるわけです。

なんどもいいますが、

あくどいことはいけないことであるってことに

いつか気が付きなさいよ!って話じゃないんですよ。


誠実であることが素晴らしいとかって言いたいんじゃないんです!


本当の自分が
望む自分であることが
幸せであり素敵なことなんです。



あ、ここまで読んどいて

「本当の自分が望む自分がわからないんです」

とかまだいう人います????

いたら、もう、家族に変な人がいようと

自分以外の人がトラブル起こして巻き込まれようと

そのまま謙虚で感謝の日々を送ってください。

それも、きっと自分がそうありたいのですから

文句言わずにそうありたい自分でいればいいんです。

もう、いい加減、自分の現実変えたい!!!

って人は、自分を裁いたり、いじめたり、我慢させたりするのをやめましょう。

ほんと、やめるだけ。あきらめるだけ。

これだけですよ