ええっと。これも書くのすごい迷ってたネタですが

いいたいことの一つだったので

書かせて頂こうと思います。


占い師の仕事をやってると

たまぁにですけども

『先生、わたしもう死にます』

とか

『今コートの紐で首を絞めてます』

とか

すごいメッセージがきます。

御本人は切羽詰まってるんだろうなって

思うんですけども

わたし、あんまり、こういうメッセージを

送ってくる人のこと心配してないんですね。



確かに、こういうこと言ってくる人って

本当にどん底で、本当に苦しくて

誰かに助けてほしいんだろうなと思うんです。



で、彼氏とかいたら

彼氏に、彼氏や家族、友達がいなかったら

占い師に・・・って誰かに

こういうこと言うんだろうけども

わたしどっかで

「この人、自分でそのうち

勝手に元気になるよ」

って思ってしまってるんで

こういうメールをもらっても

あんまり反応しないっていうか

なんていうか、ドライな対応になってしまいます。


あ、勘違いしないでくださいね。

これ、突き放してるとかそういうことじゃないんですよ。


こういうときってね、
まずは、とにかく、いったん、

行けるとこまで

とことんまで落ちてしまえばいいって

思います。


わたしの経験上ですが


どん底にいくと


何もしたくなくなるんですよ。


誰ともしゃべりたくないし


なんにも感じたくないし


ほんと、このままふっと消えていいし

っていう状態が

わたしがいった「底」なんですけどね

そこまで行って

そこでしばらく過ごして

本当にふっと消えてしまったら

それはそれでその人の寿命なんじゃないかなって

わたしは思ってます。


でも、たいていの場合

生命力ってそんなやわじゃないんで

本当に底辺まで行ってしまって

そこで過ごしたら

勝手に生命力の方が勝つようになってるんですね。


だって、人間って

まず、「生きること」が使命その1なので

自動操縦モードで勝手に

生きようとするわけですよ。


どういうことかっていうと

底にいたはずなのに

日にちや時間がたつと

おなかがすいてくる。

トイレ行きたくなる。

誰かに話をきいてほしくなる。

ムラムラえ  っちしたくなるんです。


そう、こんなときにかよ!!!!

ってときに「快」がほしくなるんですね。


生命力ってね、究極

「快」を求める力なんですよ。



なのでね、構ってほしいとか、おなかすいたとか

ちょっとした「快」の兆候がみられれれば

もう生命力が勝手に生きる方向に

押し上げてくれるんで

それを満たすことをやってたらいつの間にか

元の気=元気になっていくんじゃないかなぁって

思います。

で、底まで行ったあとに生まれた「快」を

満たしていくと

それは全身全霊に染みわたるんです。



なので、底に落ちる前、

たとえ人に親切にしてもらっても

「焼け石に水」だと感じてしまって

なんか底なしで人に構ってほしいときって

いうのはある意味、

まだまだ底に落ちてないときっていう

バロメーターになるんじゃないかなっておもいます。



本当に本気で底に落ちたあとだったらですね

人に助けてもらったら

なんていうかな、その優しさが

五臓六腑に身に染みわたるっていうか

ものすごくうれしいことに感じるんですよ。



底に落ちた後だったら

ごはんを食べたときも

なんだか異様に美味しく感じたりするもんなんです。


わたし、本当に人生に何度か「底」に

落っこちたこともあるんですけど

毎回そうでしたね。


紛らわしいかもしれませんが

ご飯を食べる気もしない

人に相談する気もしない

ってときは、もう「底」に

到達する目前ですので

ほんと、とことんまで行ってしまったらいいと思います。



いつまでたっても

そんな気さえ湧いてこないで

そのまま死んじゃうってことも

あると思うんですけど

それはその方の寿命ですから。


それはもう、生命力が尽き果てたってことですから

それに抗うってことは

生きてる方が苦痛かもしれませんので

そのときこそは

本当に死んじゃってもいいんじゃないかなと思いますし

ほっといても勝手に体が動きを止めてしまうんじゃないかな

って思います。


わたしも本当に死ぬときは

そうなるんだろうなっておもうので

そのときがきたら

抗わずに枯れ果てたいと思ってますが



とことんまで落ちるようなことがあっても

もし、おなかがすいたり

誰かに話をきいてほしい

みたいになったときは


まだ生命力が枯れ果ててない証拠なわけですから

ある意味、

「死にたい」って人に言ってくるその瞬間は

安心してるところもあるわけです。




「死にたい」って人に言うってことは

「自分がここにいる!」

「自分の状況をわかってもらいたい!」

っていう欲求=生命力がまだまだ

ある証拠だから、人がなんとかしなくても

その人まだまだ大丈夫なんじゃないかな

ってわたしは勝手にその人の生命力を

信じちゃってます。




もちろん、「死にたい」って言って

何秒後かに、本当に秒速で

生命力が枯れ果てる人もいます。


それはいつも思うけど、生命力が

そこまで持たなかったんだろうなって思いますが

それはもう、ある意味

誰かがなんとか出来るレベルのことではないので

神様のおぼしめしってことなんじゃないかなって

思うんですね。


生命力が「快」を求めるエネルギーということはですよ

やっぱり、人間は「快」を得るために生まれてきたんです。

なので幸せにならない人なんていないし

「快」を得られない人生なんてないわけです。

「快じゃないから死にたいんです!!!」

って人は

今いる場所や、今もってる価値観、今いる人からは

得られないかもしれないけど

別の場所に移動したり、別の価値観を持ったり

別の人にお願いしなおしたりすれば

ちゃんと自分が求めている快って

得られるんじゃないかなって思うんです。

まぁ、「底」に堕ちたらね

今あるもので十分「快」を得ることができるって

気が付くこともあるし

これ、ここじゃ得られないなら

「他のとこに求めよう」って気が付くこともあります。


底におちることで

自分の持っている生命力の凄さが

わかるので、それはそれで

貴重な体験ですよね。


今絶望してる人は

とことん絶望味わっちゃってください。

その後の「快」はハンパないんで

それはそれで、ある意味、楽しい体験なんじゃないかなって

思います