発達障害の定義は、誰が決めた?

医師が勝手に決めたものではないのか

 

 

 

 

(記事より)

 

ADHD の「子どもへの投薬」の問題は、

おそらく主要国全体に広がっていることだと思います。

 

 

最近スウェーデンのメディアで

 

(記事)スウェーデンで、注意欠陥多動性障害(ADHD)の子どもの数が

    「爆発的に増加」
 BDW 2024年5月26日

 

 

> 10歳から 17歳の男児に処方される ADHD 治療薬は

  過去 15年間で 800%増加しており…

 

一般的に、ADHD として処方される薬は、

覚せい剤と同様の物質と作用機序を持つ成分」だからです。

 

 

 

(中略)

 

 

リタリンというのは、

現在、ADHD の子どもたちに処方されることの多いコンサータという薬と同じ

メチルフェニデートという精神刺激薬の薬です。

 

平たくいえば、覚せい剤とどんな差があるのか説明できない

というようなものでもあります。

 

リタリンもコンサータも、

「麻薬及び向精神薬取締法」の第一種向精神薬で、

処方医薬品の「劇薬」に指定されているものです。

麻薬ですね。

 

ADHD の診断基準は非常に怪しいものですが、

薬を投与されている子どもの中には

「それがまったく必要ない」人たちが多数いるはずです。

 

しかし、これらの薬(つまり覚せい剤)に蝕まれた脳機能などへの影響は

長く残るのだとも思います。

 

そもそも、注意欠陥・多動症とか呼ばれますけれど、

「注意欠陥じゃない子どもなどいるのか」とか、

「多動じゃない子どもなどいるのか」という話もあります。

もちろん程度の問題ではあるのでしょうけれど。

 

 

 

ーーーーーー転載ここまでーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

何年も前の話ですが、

学校関係者の方と関わりを持つ機会がありました。

 

当然、私が学生(児童)だった頃とは色々事情が異なるのは

予想していましたが、

 

【発達障害】

 

という概念をあまりに簡単に扱いすぎているのでは・・・

 

『あぁ、あの子病気だから』

と、ある教諭の口から言葉が出た時は、

違和感を感じました。

 

その子のことを私は知っていました。

確かに「落ち着きがなく、他の生徒たちと一緒に行動できない」

という特性を持っていましたが、

話した感じは素直で、ちょっとヤンチャな男の子、

という印象で、

「ただ集団に合わせることが出来ない子を病気扱いしている」

ように感じました。

 

 

 

走っている子供のイラスト(男の子)

 

 

私にとっては、

「一人の可愛い男の子」だったから、

かも知れませんが、

 

大層な病名をつけ、

『ビョウキだから』と呼ぶような仕組みの方が、

病んでいるのでは・・・

と感じたものです。

 

 

事実、その学校は職員の精神疾患も多く、

その度に「◯◯病」とご丁寧に病院から命名されるのでした。

 

 

こんな仕組みの中にいたら、病んでしまいます。

 

健康な職員の方も、

「私にはADHDの気があるようで・・・」

などと話していて、

危ない世界だな・・

こんな場所で子供たちが過ごすのは過酷だな、

と感じたものです。

 

 

 

校舎のイラスト

 

 

 

学校に限らず、

社会から「おおらかな、融通がきく要素」が

どんどん失われていきます。

 

 

LGBTの問題だって、

【マインドが肉体の性別と違うから】

と言って、若すぎるうちに手術をしてしまったら、

取り返しがつきません。

 

「中身はサムライのような」女性、

「柔らかく、優しくてはんなりした男性」も、

その人の持ち味であり、

『心が性にふさわしくないから、手術して合わせる』

という発想は、極論だと私は感じます。

 

 

 

 

 

 

もうそろそろ、

「コロナ禍はおかしかった、社会が狂っていた」

と気付き、「人間らしい暮らしを取り戻したい」、

実生活の面でも、精神面でも・・・

限界のように感じる人が増えても、

おかしくない頃です。

 

そのような「健康な感覚の発露」、

例え抑え込まれても、

へこたれず誤った仕組みを壊すような「生命エネルギー」が、

あちこちで吹き出してくる時代を迎えるのではないでしょうか。

 

病は氣から、と言いますが、体が丈夫であるか否かの資質とは

半分位は「氣」からきていると、ますます実感するこの頃です。

 

 

 

 

 

 

寝つきが良くなり、すっきりした朝を迎える☀️