近代日本における女性実業家の先駆け『広岡浅子』 | 不妊相談ひとすじ25年 子宝誕生1200組の秘密

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不妊相談・子宝相談一筋にこだわってきた「漢方の麗明堂」薬剤師 金丸が、
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 皆さん こんばんは! 不妊相談ひとすじ20年 宮崎市の漢方相談薬局・くすりの麗明堂、一般社団法人認定の子宝カウンセラー 薬剤師の金丸です。


 今朝は、この冬一番の冷え込みになりましたね。宮崎でも、初霜・初氷が観測されたそうです。いよいよ冬本番・・・あったかくしてお過ごしくださいね。


 NHKの連続テレビ小説『あさがきた』のヒロインのモデルとなった広岡浅子さんは、近代日本における女性実業家の先駆けである彼女として関連書籍が数多く発行されるなど、世の中の注目度が高まっています。


『九転十起』の生涯


 江戸時代、大阪有数の豪商であった加島屋(ドラマでは加野屋)は、明治維新の動乱により経営の危機に直面します。その危機を救ったのが、17歳で加島屋の次男・広岡信五郎に嫁いだ広岡浅子でした。


 彼女は、加島屋を、炭鉱・保険など、近代的な企業グループへと変える中心的な役割を果たすとともに、日本女子大学校(現在の日本女子大学)の設立にも尽力しました。


 浅子は、『九転十起』を座右の銘としていました。『七転び八起き』よりも二度多く、人の何倍もの努力をする。転んでもくじけず、何かをつかんでまた起き上がる。浅子の力強い生きざまを表す言葉です。


【広岡浅子 1849-1919】


 【エピソード】
洋装にピストルを忍ばせ炭鉱に入る.
浅子が炭鉱経営をした時のエピソードとして、「洋装の浅子がピストルを懐に忍ばせて炭鉱に入った」というものがあります。当時は女性が炭鉱経営をした例もなければ、珍しい洋装で自ら炭鉱に乗り込むことも、想像のつかないことでした。この浅子の驚くべき行動力は、昭和30年頃になっても「女性が炭鉱をはじめた」という逸話として、炭鉱があった鎮西村(現福岡県飯塚市)の人々に語り継がれていたということです。

 近頃は、女性の社会進出が目覚ましく、女性社長、女性校長などの女性管理職も珍しくなくなりましたが、明治維新の動乱を生き抜いた浅子さんは、まさしくその先駆けだったと思います。


 朝の連続テレビ小説も、ちょうど中ごろになりました。

私も毎日見れない時もありますが、これからも楽しみに見させていただきます。

 私が今月パソコンから24時間いつでも聞けるインターネットラジオで、 『こころも体もほっこりする温灸の話』についてお話しています。よかったらお聴き下さいね!

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