漫画原作とドラマ化のことで日本中に激震が走る悲しい出来事がありました。
ずっとずっとこのことが心にひっかかっていて、毎日色々と頭の中で考えていました。
そして、別になんの関係もないし、偉そうに何かを言える立場でもない私が発言するのもどうかなとずっと迷っていましたが、どうにもこうにも心のもやもやが晴れないので、個人的な思いではありますが、少し書かせていただきます。
漫画原作『セクシー田中さん』のドラマ化にあたっての原作者の思いとテレビ業界の思惑、そして脚本家の立場や仕事。
全てがややこしく絡み合い、今回の悲劇が起こってしまったのですが、まずもって『誰が悪い』『これが原因だ』と誰かを糾弾するために大勢の人たちが心無い言葉を個人や企業に投げつける有様に、本当に心が痛んでいます。
原作者。
脚本家。
漫画のファン。
ドラマに出た俳優たちとそのファンの皆さん。
脚本家のファンと仲間。
テレビ局の関係者。
出版社の職員、編集部の人たち。
誰もがどんな形であれ、このような悲劇が起こることを望んでいたわけもなく、ただただ目の前にある職務を全うし、応援し、より良い形に昇華させたいという気持ちで当たっていたはずだし、そうであるべきだと思います。
その『より良い形』というものが、原作者にとっては、自分の中にある世界、自分が生み出した物語とそこに住まう人たちを出来うる限りその生まれた姿のまま再現し、自分が描き伝えたかったことをそのままの言葉で世界に届けたい。というものであったのではと推測します。
そこから先の脚本家、テレビ局、制作局、などが絡んでくる世界の話は私にとって全くの未知の世界なので想像でしかありませんが、収益や忖度、利害関係、習慣等々、さまざまな事情が絡み合って、ただ純粋にいわゆる『アーティスティックな世界』のみを追求することができない事情があり、そしてそれがもしかしたら慣習化していたのでは。と、これまた推測ではありますが。
原作者の思いとは裏腹に、どんなものでもその人の中で生まれた世界を一ミリも違うことなく原作以外の形で再現するのは絶対に絶対に無理だと思います。
たとえそれが本人であったとしても、絵を描き文章を綴り歌を歌い楽器を奏でると、其の思いとは違った世界が広がることも多々あるはずです。
ましてや漫画と実写という、全く異なる媒体で再現するとなったら、それはもうどんなに各人が努力をしても、絶対に無理だと思います。
そしてそれを原作者の芦原先生も、誰よりも理解されていたと思います。
今回の問題はそこではなく、『できるだけ原作に忠実に』という原作者の思いに対して、たとえそれが100%実現可能ではないのだと関わった全員が理解していても、出来うる限り誠実に対応し言葉を尽くし話し合い伝え合うことが足りなかったということではないかと思うのです。
脚本家の方も、どのような状況であったにせよ、自分の作品に自分以外の人間が手を加えたりましてや自分に成り代わって他の人が仕事を請け負うという事態に至った時、心が傷付かなかったはずがありません。たとえそれが原作者であったとしても。
この時に原作者と脚本家が対面し、誠実に語り合う時間と機会があれば。
編集部や出版社、テレビ局など、第三者を介するのではなく、直接顔を合わせて理解をしあうチャンスがあったなら。と思わずにいられません。
たとえ原作者と脚本家や俳優が顔を合わせる機会があったとしても、お互いが完全に納得して理解しあい、幸せな気持ちで仕事を継続できたかというと、それはおそらくなかったであろうと思いますが、それでも…、と思わずにいられない。
コミックスに掲載された芦原先生のドラマ化にあたっての思いを綴られた文章を読むと、真剣に誠実にそして大変謙虚に、けれど自分が生み出した物語と世界を出来うる限り正確に望む形で世界に伝えたいという懸命なお気持ちが伝わってきました。
なぜこんなことに。
と、皆が思っています。
そして2度と。本当に2度とこのようなことが起こってはならない。
脚本家の方のSNSでの発信が発端であるとあちこちで言われ、脚本家とその周辺の脚本家の皆さんが随分と叩かれているのも目にしました。
少しでも公の場で言葉を発したり声を出す場がある人たちは、名前を顔を出してその場にいます。
そしてどんな人でも、間違ってしまったり独善的な物言いをしてしまったりすることはあり得ます。
間違ってしまったことは取り返しがつきませんが、見知らぬ人がどれほどの物を言えるのか。
間違いをあげつらい顔の見えない匿名性の高いネットの世界で集中砲火のように心無い言葉を投げつける様子にも、本当に本当に心が痛むと同時に、それを恐れて何も発言ができなくなってしまうような風潮を、とても悲しくまた腹立たしく思います。
脚本家の方や編集部の皆さん。
特に原作漫画の担当編集者の方が今どんな思いでいるかと思うと、胸が締め付けられるようです。
私のようにもう最後の書籍を出していただいてから10年以上経ってしまっている者でも、編集者さんと一緒に書籍を作り上げた時の思いは今でも鮮明に残っている宝物です。
叱咤激励するタイプ。褒めて育てるタイプ。あまり意見を言わないけれど、黙ってバスッとぶった斬るタイプ。24時間寄り添ってくれるタイプ。突き放すタイプ。
編集者さんにも色々なタイプの方がいらっしゃいますが、皆さん、自分が担当した書籍は作家と同じく我が子のように思い『良い書籍を生み出したい』という熱い愛を持って職務にあたり、書籍が世に出た時は「やった!」という気持ちで喜んでくださっているはず。
芦原先生の担当編集さんはどんな思いでいるだろう。
と思っていたところ、やっと小学館からのコメントがでました。
小学館会社としてのコメントはまあこんな感じか…という型通りのものという印象でしたが、編集部の皆さんが出された追悼のコメントは、深い深い心からの悲しみと悔恨がこもっていたと感じました。
後戻りはできないけれど、今後のせめてもの礎になるように、と心に刻まれたのだろうなとも思いました。
長々と書いたわりにはなんの提案も解決策も、また結論もない文章になってしまいましたが、どうか本当にもう2度とこのようなことが起こらないように、と強く願います。
私はバチカンの人ではないので、愛は憎しみに勝るとは言いませんが、せめて静かにこの世界を愛でて生きていたい、と思います。
一人で抱えて考え込むのが辛くて、そんなこんなをつらつらとピザ雄に伝えたところ、
「なるほど。それは君のチョビの本を映画化したいとオファーが来たけれど、ハスキーじゃなくてジャーマンシェパードでやる、と言われたようなものなんだね」
と言われました。
まあ…聞いてくれただけでも、ありがとうピザ雄…。
最後になりましたが、芦原妃名子先生のご冥福を心からお祈りいたします。
今はどうか心安らかに。