今日はチョビちゃんの11年目の命日で、父の月命日でもありました。

そして安倍さんの国葬の日でもありましたね。

心静かに墓場に行き、チョビちゃんと父と母に祈りを捧げようと思っていましたが、なんと午後から大嵐になってしまい、墓場にたどりつけませんでした。

お彼岸から何度も行こうとしているのに、なぜか天候やら従姉妹の仕事やらでキャンセルが続いています。

そういえばあのお墓って、時々妙に辿り着けないことがあります。

いとこも言ってました。

「いつも行く道なのに、なぜかたまにどうしても道に迷って結局辿り着けないことがあるのよね・・・」

 

山の途中にある墓場なので、足元が悪いと滑って転んで怪我をするかもしれないし、ご先祖さまが何らかの理由で『今日は来ない方がいいよ』と指導してくれてるのかしら。

 

まあそれにしても国葬についてはあれこれとかしましいですね。

憲法違反とかまで言い出してる人もいますけど、もうああた、そういうその、政治のことはよく知りませんけど、ただただ、一人の人の命に対して悼む心と敬意を持って、静かにできないものですかね。もう決まっちゃったんだし、もうやっちゃったんだし。

あのよくわからないメガネでブーっとした顔の政治家のおじさんなんて、もしかして自分の親とか子供とか兄弟とかが誰かに暗殺されて、それについて「弔意の押し付けだ。敬意は持てない」なんて公の場で言われても全然平気なんでしょうか。

安倍さんの功罪については色々とあったとして、そのことについて私はなーんにも知識も情報もないし、安倍さんのことは好きでも嫌いでもなかったですが、亡くなった方に対する最低限の礼儀と敬意を持つことがそんなに難しいのか?と疑問に思います。

もうほんとに、ほんとに、ほんとに、中途半端な日本人のようなアメリカ人のようななんの知識もない、ただの私の個人的見解ですけどね。

ピザ雄は

「えっ。総理大臣が暗殺されたんでしょ?ナショナルフューネラルで当たり前じゃないの?なぜそんなにコントラバーシャルになってるのかわからなーいホワーイ」

と言ってます。

そしてその答えを私にしつこく求めるので、これもまた本当にうざいです。

 

用事をしながらチラチラと国葬の様子を見ていましたが、菅さんの弔辞が素晴らしかった。

友人として、大好きな尊敬する友人を偲び悼む気持ちが過不足のない言葉で表されていて、思わず涙がほろりとこぼれました。

ああ。でもあれか。

つまり憲法違反だとかあれこれ言ってる人達は、本当に安倍さんが嫌いだったんだな。

そして一ミリも尊敬してなかったんだな。

だとしたら、まあそれは仕方ないか。

とにかく私は、菅さんの弔辞を聞けただけで心が癒されました。

ストレスが多い日々、誠実な誰かの言葉と気持ちに触れることって大切だ、と心から思いました。