父方の祖父が亡くなったのは、もう年月を数えるのも不可能なぐらい昔のことですが、当時父はバリバリの現役ビジネスマンでしたので、そのお葬式は本当に呆れ果てるほど大規模なものになってしまいました。
葬儀場から弔問客が溢れかえりお寺の外に喪服姿の男性たちが大行列をなし、近隣の人たちが
「何あれ?8933の集まり?」
と恐れをなすほどの有様でした。
献花も葬儀場に入らないほど集まり、葬儀屋の担当者が軽くキレたほど。
母は全ての手配に奔走し、文字通り目が回るほどの忙しさでした。
私といとこのキョウコちゃんは、母親たちのてんてこまいぶりをボケーっと見ていただけという使えなさでしたが、一応一人残された祖母のそばにつき、腰の曲がったばーちゃんを支えるぐらいのことはしていました。
棺に花を入れる時、腰の曲がった祖母が棺の縁に手をかけて腰を伸ばし、バシコーン!と白菊を祖父の顔周りに投げ入れながら
「あーやっぱりアカンわ!」
とデカ声で叫び、
えっなになに?
と祖母を見下ろすと
「死ぬ前はクソジジイ!と思ってたけど、死んだ顔は仏さんやと思ったらやっぱり泣けるわあ!」
と、さらなるデカ声で叫びました。
そばに立っていた私とキョウコちゃんは悶絶。腹筋崩壊です。
お互いに肘で小突き合いながら、『笑ってはいけない』の極致でした。
その祖父のお骨を巡って、我が父が亡くなる前に親戚間で議論がなされたことがありました。
日々弱っていく父を前に不謹慎ではありましたが、父が建立した竹内家のお墓に話がおよび、キョウコちゃんが
「ところでおじいちゃんのお骨ってどこにあるんやったっけ?」
と言い出したのです。
私のふわっとした記憶では、本願寺的などこか?という感じだったのですが、その時父はすでに言葉を発することがほとんどなくなってしまっていたので、父に確認することは不可能。
母が亡くなった後、一度だけその話を父としたことがあったのですが
「本願寺やろ?」
と自分の父親のお骨のことなのに、そんなに曖昧な記憶でいいのか?
という発言でした。
「お父さんは「本願寺」って言ってたけど?」
と言うと、キョウコちゃんのお母さんである叔母が
「そうよ。たしかお東さん(京都東本願寺のこと?)だったわよ!私、聞いたことあるわ!」
と言い、
そうか。じゃあお東さんなのね。どうしてそんなに遠くにお骨を入れたのかね?
とみんなで首を傾げました。
叔母さんも叔父さんも、京都まで納骨に行った記憶は無く
「多分お義兄さんとお義姉さんがやってくれたのよ」
と叔母はニッコニコ笑顔で言いました。
ということで、そうかおじいちゃんははるか京都の東本願寺で永代供養なのね。
と全員で結論づけたあの日。
それから1年ほどが過ぎたつい数日前。
昔の写真をPC上で整理していたら、何やら封筒の写真が出てきました。
これは何?と拡大してみたら、それは私が記憶している限り毎年実家に送られてきていたお線香の入った封筒でした。
あっ。
これは確かおじいちゃんのお骨が入っているお寺から送られてきているお線香のはず!
と写真を拡大してみたら
『浄土真宗本願寺派』
の大文字とともに、
「尼崎市・・・」
の住所が。
あっ。
えっ?
住所を調べてみると、当時祖父母が営んでいた緑茶屋の地元駅から徒歩3分の場所にある浄土真宗のお寺でした。
ここ!
おじいちゃん、ここに入ってる!
誰よお東さんとか言ったのは!!
本願寺派
が一人歩きし、いつしか叔父叔母父の中で「京都の本願寺」に変化してしまったに違いありません。
管理能力抜群の母が生きていれば、こんな間違いは絶対なかったのに、あー面白い!
一人でバカ受けしました。
今更おじいちゃんのお骨を持ってきて、父が建立した竹内家のお墓に入れるのは無理だろうし、それにしてもお墓を建てて祖母を納骨した時に、どうして祖父のお骨も入れなかったのかな?
この辺はもう、両親が亡くなった今、知る由もなし。
ですね。
夫婦なのに別々の場所に入ってしまったじーちゃんとばーちゃん。
まあ仕方ないか。
そろそろ私も自分のお骨をどうするか、決めて誰かに託しておかないといけないかな。
なんてことも思わず考えてしまいました。
とりあえずチョビのお骨と混ぜて葬ってもらいたいということだけは決まってるんですけどね。
誰に託せばいいの?私より確実に長く生きる人じゃないとだめですよね。
うーん。
まだ気が早いか。