本当に変な家族なのに、暖かいお言葉をいただいて恐縮です。

 

確かそごうデパートで購入したチョメちゃんは、二種類存在しておりました。頭のフードと体全体がモケモケで覆われていておててとお顔はセルロイド。

その頭と体のモケモケがピンクとオレンジの二種類だったのですが、その二色チョメちゃんがひな壇のようになった陳列棚に50体ぐらい、ずらずらずらーっと並んでいた様をよく覚えています。

真剣にお顔を覗き込み、どの子が一番可愛いかを選んでいる私を遠くから見ていたリン母は、私が「この子にする!」とオレンジのチョメちゃんを抱き上げた時とても驚いたようです。

母曰く

「レイコちゃんは絶対にピンクにすると思ってたわ。珍しいわね」

 

元々ピンク色が好きだった私が鮮やかなオレンジのお人形を選んだことが意外だったらしいのですが、私自身も最初はピンクの子にしようと思っていたと記憶しています。

でも、お顔とのバランスでなんとなくオレンジの方が可愛らしく思えたんです。

 

チョメちゃんのボディの中身はクズスポンジのようなものだったことがのちに判明するのですが、そのことが判明したのはほんの5−6年前のことです。

家族総出で愛でまくった結果、腕の付け根や足の付け根の布が破れてしまい、お顔とフード部分も抜い合わせていた糸が切れてちょっと恐ろしいことになってきたので、思い切って『チョメちゃん修理大作戦』を決行したのです。

そりゃもう恐ろしかったのなんのって。

特に頭と顔の部分の中身を抜いた時に、セルロイドの顔がグニャンと変形し、思わず「ぎゃー!ぎゃー!タスケテーーーーー!!イイイヤアアアアアアア!!!!!」

と叫びながら必死で中身を詰め替えました。

横で手伝ってくれたリン母は、私のあまりの取り乱しようにゲラゲラ笑いっぱなし。

テーブルの反対側で新聞を読んでいたリン父も

「何を大騒ぎしとるねん」

と言いながらニヤニヤ笑っていました。

 

完全解体する技術はなかったので、中身を新しい棉に詰め替え、古いボディの上から新しいオレンジのモケモケを縫い合わせて終了。

古いお人形だったチョメちゃんは、お顔と手の部分以外はブランニューになりました。

するとリン父もリン母も大喜び。

「チョメちゃんよかったわねえ」

「チョメちゃん、可愛いなあ」

とニコニコしながらチョメちゃんの小さな手をキュっと握りしめて、本当に嬉しそうでした。

 

リン父とリン母がニューヨークに長期滞在した時は、チョメちゃんを一人ぼっちにしたくないからと、なんと紙袋に入れて飛行機に搭乗。

父がCAさんに

「これはチョメちゃんや」

とわざわざ袋から取り出して紹介したらしいです。

まあ私も毎回テッドを連れて搭乗し、一緒に寝たりテレビの前に寝かせたりしてCAさんに

「今日の癒しをありがとうございました」

とか言われるぐらいだし、親子そろって同じようなことをしてますよね。

 

チョメちゃんのお年玉はその後も増額し続け、ある日ついにリン母が

「チョメちゃんのお通帳作ろうかしら」

と言い出した時にゃ、マジか!と思いましたけどね。

まあ、猫のヨっちゃんの通帳も作ろうかと画策したこともあるぐらいの両親ですから、そういうことも思いつきかねません。

さすがに猫や架空の人物の通帳は作れなかった様子で、それは諦めてタンス預金にしたようですが、私に「取らないでよ!」と睨みを利かせていたリン母が、時々チョメちゃんの貯金封筒から小銭を抜き取って

「チョメちゃん、ちょっと貸してね」

とやっていたようです。

そして几帳面にも、チョメちゃん財布封筒の袋には

「お母さん1000円  お父さん絵の具代2000円」

と日付入りで借用書のメモまで書いてありました。

もちろんリン母の達筆で。

めっちゃ真面目な感じで。

 

そうそう。余談ですが、お年玉といえば大量の従兄弟たちが存在しているリン母方の親戚筋は、子供達が増殖し始めた時に親たちが談合をしたようで、その時に

「お互い子供達にお年玉を与えあうのはやめ」

と決定したようなのです。

理由は

「大量にいる子供達にお年玉を与えあっても、親が損するだけ」

というしごく単純で大人げないものです。

そういうこともあって私と兄が毎年もらっていたお年玉は、父方の祖父母からの30000円のみ。

それでも、小学生のころからずっと30000円もいただいていたわけですから、私の記憶ではそりゃもう超大金でしたよ。宝くじが当たったかのような感覚でした。

何を買おうか、ドキドキしました。毎年。

もちろんリン母が、レイコがくだらないものを買わないように、と目を光らせていましたけどね。

なので、チョメちゃんをデパートで買う時も

「お人形なんてすぐにいらなくなるのにやめなさい!」

って言われるかと思ったのですが、大人になる時には自分は男になっていると信じていた子供時代の私は、本当に女の子らしくないというか、まあもっと言うなら人間という感じではなく、その生産性は犬にも劣る存在だったので、そんな私がまるで女の子のようにベイビー人形を欲しがったことは、両親にとっては珍しく嬉しいことだったようです。

 

私がとても可愛がっている様子を見て、両親も兄も一緒になってチョメちゃんを溺愛し、ああそれからン十年。

リン母が入院した時に母を元気付けようと枕元にチョメちゃんを連れて行った時のことですが、主治医の先生(超美人)が

「えっ!あっ!えっ!そ、それは?おおおお人形ですか?え?誰??」

とかなりなインパクトを受けた様子でした。

そして

「ちょっと抱っこさせてもらっていいですか?」

とおっしゃったので、『やっぱりチョメちゃんって誰が見ても可愛いんだわ』と内心思いながら、はいどうぞ、と手渡すと

「うっわーーーーーー・・・・・なんか・・・・・ものすごい・・・・年季が入ってるというか・・・・・ま、まるで戦争の焼け跡から見つかったみたいな・・・・」

と、今思うとちょっとあんた失礼だなオイみたいな感想を思わずもらしていました。

さらにその夜、ICUで一夜を過ごさねばならない母の枕元にチョメちゃんを座らせようとする私を見て

「ちょっと、それはもう、あの、夜勤の看護婦が死ぬほどビビるから・・・・」

と止められましたわ先生失礼だなオイ。

 

<長いじゃん。まだ終わらないじゃん。この話は一体どこに向かっているのか・・・でも一応続く?>

 

↑チョメちゃんのお洋服はほとんどgapベイビーで購入しています。