このところまたトランクルーム整理に追われています。
昨日はダンボール3箱分の書類と衣類を整理しましたが、衣類はともかくとして書類が本当に大変。
特に昨日出てきた書類は、リン母が入院後リン父が一人暮らしを始めた頃の老人マンションでの記録がほとんどで、ああ切なかった。
リン父は私が思っていたよりもずっとずっとメモ魔だったようで、ちゃんとレポート用紙やノートを買って置いたのに、なぜかそこらへんの広告の裏や破りとったへんな紙に細かく美しい字でびっしりと日記のようは独白のような、覚書的なものが大量に出てきました。あとびっくりしたのは新聞の切り抜きが大量にスクラップされていたことです。
両親ともに新聞2紙を隅から隅までじっくりと読んで時事に精通していたことは知っていましたが、まさか切り抜いてスクラップまでしていたとは。
それも心に残ったところに赤線まで引いてあって、本当にびっくりしました。
リン父のメモには、入院中の母への思いや私への心配事、そしてもちろん自分自身の「一人になってしまったら」という人生への覚悟なんかが書き綴られていて、途中で涙がポロポロ。
辛くなって途中で読むのを断念しました。
その中で老人マンションのケアスタッフのみなさんが、毎日父の様子をしっかりと見て、あれこれと詳細を書き綴ってくれている報告書も出てきて、改めて感謝の気持ちと共に、介護スタッフのみなさんの介護対象への愛情や情熱をひしひしと感じました。
母が亡くなってからは特に父の様子を心配し、私がニューヨークにいる間は、居室を訪問してお掃除やお洗濯をしながら、父の母への思いに耳を傾け寄り添ってくださっている様子が綴られており、遠く離れている間の父の様子がよくわかりました。
いや、とはいえ、私も母が入院してから先、一年に日本とニューヨークを5往復したりしていましたので、父が一人になった最長期間は二ヶ月にも満たないんですけどね。
介護ケアがしっかりしている老人マンションに住んでいたとはいえ、とてもじゃないけど父を二ヶ月以上一人にするなんてちょっと想像できないぐらい、父の生活能力はゼロでしたので。
それに、両親にはとてもとても大切に育てていただいたので、私も親孝行は精一杯以上にしなければという、なんというか、『甘やかしあい家族』だったわけです。
しんみりしながら介護スタッフのレポートを読んでいると、とあるメモ書きに目が留まりました。
●「私の生きる力の源はチョメちゃんや!」とおっしゃっていました●
は?
いや。このチョメちゃんというのはですね、昔どこかで書いたことがあるかなあ?と思うのですが、私が小学生の頃お年玉で購入した赤ちゃん人形なんです。
それはそれは可愛くて可愛くて、家族総出で可愛がりまくったお人形なんですが、もう今やはっきりと完全に人格を有するチョメちゃん。
なぜチョメちゃんという名前になったのか、経緯はさっぱり覚えていませんが、母曰く「本名は郁子ちゃんよ!」でして、その郁子という名前は、母が私を産む直前まで「玲子ちゃんと郁子ちゃん、どっちがいいかしら」と迷っていた名前の不採用の方なのです。
私がニューヨークに移住してしまってからは、両親のチョメちゃんへの溺愛ぶりは加速し、毎年お年玉まで与えていた様子。
私が里帰りすると、チョメちゃんの懐には「お年玉 お父さんお母さんより」とリン母の流麗な文字で表書きされたポチ袋が入ってるわけですよ。
いくらもらったのか?
とコッソリ中身を調べると、五千円!
五千円!
50ドル!!!
毎年5千円もらい続けたチョメちゃんは、貯金箱やお財布まで所有しており、また私がこっそり中身を調べると、5万円以上入っていたことも。
「ぎゃー!チョメちゃんが5万円持ってる!」
と私が騒ぐと、リン母が
「取らないでよ!!」
と真剣に睨んでくるし。
もう全体的に変な家族ですけど、そう、私が家を出て異国に住み始めてからは特にその溺愛ぶりが加速し、年老いた両親の生活は猫のヨっちゃんとお人形のチョメちゃんを中心に回っていたのです。
↑この人です。
<異様に長くなったので明日に続く(続けるほどの話か?)>