ヒマポが結構振れ幅が大きい人だということに気づいたのは実は最近のことですが、思い起こせば彼と出会ってから以降、鬱だったということはともかくとして、本当に振れ幅が大きい言動に終始していたように思います。
『悪』に振れると極端に『悪』に振れ、自分でも止められない状態に陥り修正する気も起こらない。
そういう状態が運悪く私と出会った時に最高潮に達していたのかもしれません。そして、私がそれを受け入れ続けることで、彼の中でその振り子がさらに悪に振り切っていったのかもしれません。
また、彼の中で誰かにコミットするということはかなりの恐怖の対象だったことはわかるのですが、その原因が生まれ持った性格というだけではなく、育ってきた環境も大きく作用していたようにも思います。
10人もいる兄弟のほとんどが年子で、兄さんたちだけでなく姉さんたちもかなり暴力的だったらしく、4歳のころに二つ上に姉さんに胸部を飛び蹴りされて失神したとか、二番目の兄さんに両耳を思い切り引っ張って持ち上げられたとか、三番目の兄さんのシャツを黙って借りたらフルボッコにされたとか、一般的なサラリーマン家庭の二人兄妹の家で育った私には想像もつかないような環境だったようです。
そして、10人も子供がひしめきあっていると楽しいこともたくさんあったようですが、親の愛情が満遍なく行き届かないことは致し方ないことかもしれません。ましてや彼のお父さんは彼が14歳の時に亡くなっているので、お母さん一人で10人の子育てはまさしくカオスだったことでしょう。
彼は、お母さんからハグをされたことが一度もないとよく言ってました。
10代後半のころだったか高熱のせいで珍しく廊下で倒れた時にリン母がギュウウウッと抱きしめてくれたことがとても鮮明に印象に残っているぐらいですので、日本の一般家庭で育った私ならハグの記憶が薄いというのはわからなくもありませんが、アメリカ人家庭なのにお母さんがハグしないなんて。と、とてもびっくりしました。
そんなヒマポなので、愛情表現がボディタッチということが全く習慣になく、かなりアフェクショネイト(←愛情表現としてボディタッチを頻繁にするタイプ)な私が、パッとハグしようとするとビクーッと身構えて避けるのが常でした。
歩く時も手を繋ぐなんてまっぴらという感じで、私がギュウッッと手を繋いでも何かの拍子にぱしんと手を振り払われゲッとショックを受けることもしばしばありましたが、本人は手を振り払ったという自覚もないようでした。
彼にとってはボディタッチや言葉で親愛の情をシェアするという習慣がなかったので、知らないもの持っていないものは与えようがない、という状態だったようですが、当時の私はそんなこと知る由もありません。ただ単に冷たい人だな、とがっかりすることばかりでした。
チョビが病に倒れる一年ほど前のことです。
ヒマポがいつもの通りなんの前触れもなくキレはじめ、その頃は盛大に復讐と反論をしていた私と大声で怒鳴りあう喧嘩になった瞬間、いつものようにお風呂場に隠れていたはずのチョビがタタタタタタタッと駆け出してきました。
『ああしまった。また怖がらせた。ごめんチョビ。すぐにこの男を追い出さなくちゃ』
と思っていると、顔を真っ赤にして怒鳴っているヒマポの足元にスチャッと座り、ヒタと彼の顔を見上げたのです。
いつも自分の身の安全が最優先で、荒々しい感情が本当に苦手だったチョビが、
「お願い。もうやめて」
と全身でヒマポに訴えている姿は、私を守ろうとする意思とそして同時に、そうすることでヒマポが理解してくれると信じている姿でもありました。
そんなチョビの姿にヒマポの声がみるみるうちに小さくなり、最後には黙ってチョビの頭をナデ・・・ナデ・・・ナデナデ・・・。
それを見ていた私は、あまりのチョビの健気さと、相当まぬけでヘタレと思っていた我が犬がこんなに賢くてこんなに私を愛してくれて、そして頭おかしいバカハゲラッパとしか思えないヒマポのことをそんなに信頼しているのかと思うと、胸がギュウウウウウウウッと締め付けられました。
そして、チョビが信じていたヒマポの本来の姿がようやく帰ってきたのは、チョビがテッテケテーとどっか遠くのような近くのような所へ行っちゃった直後からでした。
チョビがいなくなった後ヒマポは、ちょっとあんた人の犬でそこまで泣くか?
というほど泣いて泣いて泣いて、道端で泣いて車の中で泣いて部屋の中で泣いてトイレで泣いて風呂で泣いて、泣いて泣いて泣いて泣きまくりました。
仕事場が終わると自転車で我が家に駆け込み、チョビの遺骨の入った小さな缶詰を見てまた
「あんなにあんなに美しいチョビが、こんなになって・・・・」
と、私に抱きついてワーワーと手放しで泣きました。
あまりにもあまりにもヒマポが泣くので、なぜ?と思いつつ、彼の背中に手を回して
「大丈夫大丈夫」
と慰める羽目にまでなりました。
そしてそれからです。
どうしたことでしょうヒマポさん。
歩いている時に自分から私の手を取り、ご飯を食べに連れ出し、食事を奢り、おやつを買い与え、家まで送ってくれるようになったのです。
かつてたまに手を繋いだ時の彼の手は、悪魔のような所業に反していつもとても暖かく大きく心地よく、こんなに暖かい手を持っている人がどうしてこんなに悪魔みたいになれるんだろう?と不思議に思っていたものでしたが、この時からヒマポは進んで私の手を取るようになり、その手からは、私を労わり愛おしみ慈しむ心が伝わってくるようになりました。
とはいえ、同居や結婚はまだまだはるか先のこと。
彼が私と一緒に住みたいと思うようになったのはいつ頃のことだったのか知りませんが、実は私の方がもうとっくの昔に誰とも一緒に住む気もないし結婚も一生しないと心に固く決めていたのです。
動物サイキックの女性に
「あなたは一生結婚しないし人間とは一緒に住まないけれど、犬か猫と一緒に住むようになります」
と予言され、ほれみろと思ったほどに、そう固く心に決めていました。