去る9月17日、作曲家の小田裕一郎さんがニュージャージーのご自宅で急逝されました。

小田さんは、松田聖子の青い珊瑚礁やサーカスのアメリカンフィーリング、田原俊彦の恋=Do!、杏里のキャッツアイ等々、そのほかにも数え切れないぐらいのヒット曲を生み出し続けた有名な作曲家さんです。

ご自身もシンガーでありミュージシャンでありアーティストであり、そしておとなりのおじさんぽさとお向かいの子供のような無邪気さを併せ持った摩訶不思議で素晴らしくチャーミングな男性でもありました。

 

小田さんと初めてお会いしたのは、昔のブログを紐解いてみるとなんと11年前。2007年11月に催された日系交流会で小田さんが特別ゲストとしてステージに上がられ、その後知人を通して紹介されたのがきっかけでした。

黒いフェドラハットに黒いシャツ、黒いパンツといういでたちの小田先生は、 ノってくるとギターを立てて持つ演奏スタイルがすごくかっこよかった。

素晴らしいお声とギターのライブ演奏にしびれましたが、どんなにすごい人かということをあまり理解せず、初対面の時の印象はその服装のせいで『喪黒福造』とブログにまで書く失礼さでしたが、二度目にお会いした時に、「誠に申し訳ございません!!」とお詫びすると「いやいいのいいのああいうのが」とニッコニコしてくださいました。

それ以来、本当にたまにでしたが、小田先生ご夫妻を交えてお食事からカラオケ、という集まりに何度かお招きいただき、ご一緒させていただいていました。

最初は絶対に「今日は僕は審査員だから歌わないよ」と言うけれど、しまいにゃ絶対小田先生の独演会になるカラオケは本当に楽しかった。

惜しみなく素晴らしい歌を披露してくださる小田先生は、参加者が歌い終わると必ず批評をしてくださり、みんなドキドキ。私が歌った中で、歌い終わった瞬間に無言でウンウンと頷いて一番褒めていただけたのは、あれは確か「天城越え」。そう、ド演歌でした。それからそれから、アメリカンフィーリングを歌ったら、なんとデュエットしてくださり、内心『ウッギャー!』と思いながら歌ったことも二度ばかり。

三度目にお会いした時は、まるで仙人のような風貌になっていて(いやでもカッコよかった)「先生、仙人みたいですね」と思わず言ったら「そうーなんだよ!」と我が意を得たり!という表情でまたまたニッコニコ。

私の失礼三昧なぞ全く意に介さず、たまに出るくだらないダジャレとガス爆発で死にかけた話以外は、いつも音楽に対する熱い想いを滔々と語ってくださいました。

結局あれが最後になってしまったカラオケ会では、

「あのね。やっぱりロックだよロック。ロックしないといけないよ」

と言われ、じゃあこれを歌います、と頼まれたわけでもないのにビートルズのI saw her standing thereを歌ったら、歌唱中、途中のヒュー!という裏声の部分を先生が歌ってくださる大サービスぶり。そして終了後は「できるじゃないロック!!これだよこれ!!」と肩を叩いてお褒めくださいました。

私の隣に座られ

「僕はね。音楽ファンなんだよ。とにかく音楽ファンなの。音楽が好きで好きでしょうがないんだよ。音楽バカ」

と少なくとも4回は繰り返してらした小田先生。

周囲の私たちが口をあんぐりと開いているうちに嵐のように駆け抜け、そしてなんか知らん間にパーっといなくなっちゃったけど、すごいな、先生が書かれたたくさんの音楽はきっと人類最後の日まで残るんだわ。

モーツァルトやベートーベンを聴いて、そのあまりの人間離れした天才ぶりに「何なんですかこの人たちは」っていつも思うけど、小田先生も「何なんですかこの人は」という天才だった。

初対面の時から、まるでずっと前から知り合いだった(けど名前は覚えていない)相手のように接してくださった小田先生が、もうすでに懐かしくてたまりません。

きっと今頃は天国で名だたるミュージシャンたちを見つけては

「ちょっとセッションしようよ」

と声をかけまくっているに違いありません。

お葬式の間中、お坊さんのミニ木魚がツボにはまってしまい、椅子から落ちそうなぐらい笑い転げたのはちょっとアレだったけど、小田先生ならきっと一緒に笑い転げていたと思います(であってほしい)。

今度カラオケにいったら、青い珊瑚礁とアメリカンフィーリングを歌おうかなあ。それから天城越えも。

そうだ。

お葬式にすごいお花が届いていました。献花の時、みんな遠慮してお花を抜き取らなかったから、一番に抜き取って先生に捧げてみました。

では先生。今ひとときのさようなら。また、お会いしましょう。

 

↑世界のリュウイチサカモトからのお花。さすが違うわー。