2年半前の一軒家実家を空っぽにする作業と比べれば、昨日の父のマンション引っ越しは天国のようなものでしたが、それでもやっぱりヘトヘト。

多分荷物量というよりも、そこにこもっている思い出や必要不必要の区別など、精神的な負担もかなり大きいのだなあ、と実感しました。

特に、『捨てる』という行為が結構辛い。

父や母の世代からすると、私はかなり捨てまくる方だと思うのですが、それでも分別作業中に

「でもこれは後から使うかも」

「まだ新品同様なのに」

「誰かにあげようかな」

「もったいないかな」

という考えが何度もよぎります。

今回は大きな家具のほとんどが父のマンションのために新しく購入したもので、タンス類はそのまま新しい住まいに移動することができましたが、家族全員で使っていたダイニングテーブルや椅子などは全て廃棄せざるを得ませんでした。

特に母が「子供達が結婚したら人数が六人になるからね」と言って買った大きな六人掛けのダイニングテーブルには家族の思い出がいっぱいつまっていて、処分するのはとても切なかったです。

でも、思い出は物ではなく、自分の心の中にあるものだからね、お母さんごめんね、と思いながら思い切って処分しました。

こういうものを全て倉庫に預けると、果てしなく倉庫の中身が増殖しつづけることになりますからね。

判断する時間が足りず、とりあえずトランクルームに納めておいた荷物類は、今回滞在中に全て吟味してさらに処分するものを増やして片付けていかなければ。

自分自身も、身の回りをシンプルにしていく努力を今からしておかないと、後々大変だなあ、と改めて思いました。

そして、最終的にはスーツケース一個ずつで、非マッカートニーと一緒にビバリーヒルズの老人ホーム入居ですかね。

非マッカートニー曰く

「それまで僕が生きていればね」

アメリカ人は日本人ほど長生きしないし、男の方が短命だから。ということらしいですけど、果たしてどうなることやら。