昨日チョビ命日イベントのエントリーにコメントをいただきました。
久しぶりにイベントの時に一生懸命作ったスライドショーを見てしんみり。
もう一年半も前のことになるのかと、びっくりしました。
大切なワンコの空くんを突然亡くされたゆかりさん。
今、とってもお辛いですね。
そのお気持ち、痛いほどわかります。
ゆかりさんの悲しいけれどスイートなコメントをいただいて、私も久しぶりにあの時の、悲しくて寂しくて辛くて死にそうなんだけど、ものすごく透き通ったような不思議な気持ちを思い出しました。
寒くて寒くて肌に突き刺さるぐらい寒いのに、空気が透明で綺麗で、心の中まで透き通っていくような、辛いんだか美しいんだかよくわからない、そんな感じです。
チョビに捨てられ、去年はリン母にまでとっととどこかに行かれてしまって、ああ生きるということは、失いながら前に進んでいくことなのだなあとつくづく思いました。
今の辛い辛い気持ちがいつかは良きものに変わっていくのだろうか、そんな日が本当に来るのだろうか、と信じられない気持ちになる瞬間が人生には何度も何度も訪れます。
実際のところ、リン母が突然姿を消してしまって以来、全力で泣くことができないまま今日まで過ごして来てしまい、この胸の奥底に沈み込んでしまった悲しみが、いつか私の中で消化されて細胞の一つ一つと混ざり合っていくような、チョビを失った時のような気持ちになれるのだろうか?と疑問に思うこともあります。
ついこの間も、隣に寝ている母を感じて、お母さんお母さん、と泣きながら呼び続けると、母が「ごめんねえ」と頭を撫でてくれる夢を見て、おいおい泣きながら目が覚めました。
それは、チョビが突然倒れ、抱きしめながら「ごめんごめんねチョビごめん」とワーワー泣く夢を見て目が覚めた時に似ていて、起きてからしばらく何が現実で何が夢なのかわからず、しばらくの間ぼーっとしていました。
でも。
どんなに辛いことも悲しいことも、永遠に続くということは絶対にないと信じています。
悲しみも苦しみも孤独も憎しみも、そして喜びも幸せも、全てが生きていく日々の中の小さな粒のようなもので、手のひらで温めてくるくると撫でているうちに溶け合って混ざり合い、体の一部になって浸透していくような、そんな感覚です。
だから、ゆかりさん、そしてきっと今この瞬間にも、この地球上にたくさんいらっしゃるに違いない、とてつもない悲しみや苦しみを味わっているみなさん。
今のその瞬間こそが、失ってしまった人やものや時間が大切だったからこその痛みや苦しみであり、大切な贈り物なのだと思ってどうか乗り越えてください。
私も。
はい。
頑張ります。
アパート。
アパート。
アパート。