昨夜?というか今朝ですかね。

ついつい大統領就任式を見てしまいました。ライブで。

宣誓するために階段を降りていくあの人を見ながら、転んで階段から落ちればいい、とかちょっと思ったのは私だけではないはず。

 

あのいつものトランプ節を宣誓式でのスピーチでも聞かされる羽目になるとは。

つくづく思いましたよ。

あーやっぱりイヤ。

そもそも、出て来た瞬間に拳を振り上げたのってどうよ?

もうちょっと品格のある態度はできんものか?
スピーチの内容はとても分かり易かったですが、終始前政権や既存政治体制の批判と非難と、自分がいかに素晴らしい国家を作ることができる存在か、的な調子に満ちていて、「あなたたちこそが国であり政治であるべきです」的ないいカッコっぽいセリフを吐いても全く響いてこないばかりか、聞いていてあまり愉快なものではありませんでした。

 

「忘れ去られ、無視された存在のあなたたち。

もう二度と私たちはあなたたちを置き去りにはしません」

なんて大衆の心をつかむつもりで言ってたみたいだけど、いやちょっと待ちなさい。

そもそももうみんな忘れてるかもしれませんけどね。

一番無視されて一番忘れ去られた大衆は、もう一人の候補に投票した過半数の米国民なんじゃ?

 

とか、あれこれ考えるとムカッとくることばかり。

 

それでも、ちょっと立ち止まって考えてみたんですよ。

なぜに私はこんなにもこの人が米国大統領であることが受け入れられないのか。

そして一つの結論が出ました。

 

敬愛の情を持てない存在感がだめなんです。

米国大統領は、国家のリーダーであり国家の父であり、米国民の敬慕の対象であるべき存在なのですが、それがどうもブッシュ(子)あたりでおかしな感じになり、オバマで盛り返した(特に退任直前辺りから)その敬意と愛を感じる存在感が、あの人の登場で一気に降下。地獄の底まで落ちました。

米国大統領はただ国を強くして、お金を稼げば良いわけではないのですよ。

国民を愛し慈しみ守り、そして国民からも等しく敬慕の念を持たれる存在であるべきなのです。

今でも思い出すレーガン大統領のスピーチ。

「わが愛する米国民の皆さんmy fellow American Citizen」

という出だしだけで涙が出るほどの愛国心と国民への愛を感じます。

そういうもの一切を、Tさんから、そしてTさんに対して感じられません。

 

あーあ。
あーあ。
もー、リン父が毎晩リン母のお仏壇の前で
「あーあ」
ってため息ついてますけど、私も一緒になって
「あーあ」
ですわ。