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がんばれがんばれ言うな。
とか
これ以上どうやってがんばれって言うの?
って声を最近よくききます。
本当にそうですよね。
もう十分がんばったのに、これ以上どうしろって?
って思いますよね。


ネット上で、こんな日記を見つけました。
皆さんもうご存知かもしれないんですが、匿名の日記なので出所は不明です。
言ってしまえば事の真偽も定かではありません。
でも、こんな気持ちもあるんじゃないか、と思いました。
人の苦しみは、その人以外の人には決して等しく感じる事ができるものではありません。
推し量ることはできても、100%同じ痛みを感じることは不可能です。
これを読んで、今回被災した方々の苦しみや痛み、哀しみとは比べるべくもありませんが、過去に私なりに味わった苦しみや哀しみについて考えました。
今でも思い出すと息が止まりそうになるぐらいだった、その時の苦しみや痛みについて思いを馳せると、確かにこういう思いもきっとどこかに存在しているんだろうと強く思いました。

でも、私たちにできることはこれしかないのかなって、迷いながらもやっぱり『がんばって。どうかがんばって』という言葉しか出てきません。

ただ、自分が苦しかった時、死んでしまうかもしれんと思う程悲しかった時に味わった、あの例えようも無い喪失感と孤独感。
それを思い出すと、私を励まそうとしてくれたその哀しみと孤独の外にいる人達は、なんと無神経で幸せそうなことか、とさらに苦しみしか感じられなかったことが蘇ってきます。
支援の活動すら彼らを苦しめることになるんだろうか。
善意や支援という名前の元に、もしかしたら更なる新たな苦しみを産み出しているのかもしれないと思うと、胸がしめつけられるようです。
なぜ、こんなことが起ってしまったのか。
本当に、本当に、天の采配というにはあまりにもむごすぎます。



■頑張れとか復興とかって、多分、今言うことじゃない■

頑張ろう、頑張ろうって言うけど、

家が流されたんだよ?

と、福島の兄に電話したら、言われました。

おまえ、ちゃんと分かってるの?

超つらいとき、「とりあえず帰りたい、もう帰りたい」っていう、

あの帰る家がね、全部流されたんだよ。

俺、もう、家ないの。

明日も頑張ろう!って決意するような場所がね、ないわけ。

今日も疲れた―!ってドア開けてホッとするような所がね、

全員、一瞬にして、心の準備もなく、いきなり11日から消えたわけ。

おまえ、家ないのに頑張れる?

服も漫画も、化粧道具も、アルバムも、大事にしてたもんも、全部いっきに無い。

よし、頑張ろう!って思える?

すげぇ言われてるんだけど、CMとかで、頑張れ頑張れとか。

ちょっと気を許すと、「一緒に頑張ろう!1人じゃない!」とか言うわけ。

いや、おまえら家あるじゃん?そのCM撮ったら家帰ってるじゃんって。

仕事もあるじゃんって。

おれ、船、なくなったんだぞって。

多分、漁師はもうできないと思ってる。

もう、なーーーんもない。

どう考えたら、今、頑張れるんだよ。

ちょっとでも頑張れる何かが、今、俺たちにあるのか?

「いや、今はこっちで頑張るから、おまえらは1年ハワイでゆっくりしてきな」

とか言われたい。

「おまえらが帰ってくるまでに片づけとくから。家も建てとくから」

とか言われたい。そしたら、俺だって頑張るよ。

毎晩、うなされるし、夜いつまでも眠れない。

流された人を何人も見た。

顔見知りも流された。

その頭にある映像を何回も思い出す。

そのたび、津波がこうくるって分かってたら、あの人を助けられたかも、とか。

時間が戻せたら、隣のおばあちゃんちに寄ってあげたかった、とか。

1人でも助けて英雄みたくなったら、まだやる気が起きたかな、とか。

俺、1人で逃げてきたわけ。

誰も助けなかった。おばちゃんとか、何人も追い抜いて逃げた。重そうなもの持ってる人とかもいたのに。

もう100万回くらい、100通りくらい後悔している。

4日目にやっと町に行っていいと言われて、

どっから手をつけていいかわからないどころか、

いっそもう何もしたくなくなるような町だった場所を見て、

ここを復興だなんて、微塵も思えない。今も。

蓋をしたい。見たくない。

町を見ると、死にたくなる。

自分の人生は、もう終わったなって思うよ。

こっからは、もう、どう頑張っても金持ちにもなれないだろうし、

家だって、もう、二度と持てる気がしない。

何も希望なんかないよ。

そんな俺たちがさ、避難所で、CMでアイドルや俳優を見てさ、

「一緒だよ、1人じゃない」とか言われるたびに、

ああ、あの世界は自分たちとは、もう全然違ってしまったんだと思う。

家がある人の言葉だなーと。安定してるなーと。

そんなCMとかして充実もしてんだろうなーと。

家が流されてなくてさ、帰る場所があって、仕事があって、

地に足が付いてる人が、すげぇ神妙な顔で、お洒落な服で、こっち見て何か言ってるな、と。

おまえに言われたくないと。ほんとに。何も言わないでほしい。

大丈夫なわけがない。

おまえらに大丈夫だよ、とか言われても、大丈夫なわけがない。

どう見たら、この状況が大丈夫になるのか、胸倉つかんで聞いてやりたい。

でも、怒る元気もない。やる気もない。

ボランティアや取材のやつらも来て、色々写真とか撮って、

「実際みると、テレビとかとは全然違いますね」とか言ってて、

数日たったら「元気出して頑張って!」とか言って、

自分たちの家に帰っていく。

正直、復興なんてクソ喰らえだと思うよ。





「何か、できることある?」

何を言っていいかわかんなくなって、兄に泣きながら聞いたら、

「正直、不幸になってくれたら嬉しい」

と言われた。

「俺たちを幸せになんてふざけたこと思わないで、

 俺たちの分、そっちもみんな不幸になってくれたらなー」

と言われた。

「俺たちを想って歌とか作られても今は不愉快だから、

 東京も全部流されて、それでも「頑張ろう」って言われたら、

 頑張るよ。その人の歌なら聴く。

 知らないやつに、馬鹿みたいに「頑張って」とか「大丈夫」とか言われると、

 今は正直、消えてほしくなるよ。

 募金は嬉しいよ。で、ボランティアじゃなくて、ビジネスで、仕事として、

 町を復興に来てくれた方が、こっちも気兼ねなく色々頼めて気が楽。

 正直、ボランティアに「ありがとう」とか言うのも苦痛。」

と。』