ペタしてね

ニューヨーク留学について、ご質問コメントをいただいていたのに、ポールマッカートニーの追っかけなんかにうつつをヌかしてお返事が遅くなってすみません~~。
今更ながら、お返事です。
まずは頂いたご質問コメントの概要ですが、抜粋させていただきますね。
『ニューヨークの大学に進学するにあったって、その費用はどうしたか?
卒業後どのようにして、アメリカで就職できたのか?
ビザの関係でアメリカでの就職は困難と聞きます。 私は今、日本の大学に通っていますが、留学してアメリカでの就職を夢見ています。
まだ18歳ですがアメリカでの留学や就職については真剣に考えていますが、費用や厳しさを耳にすると、無理なのかな・・・・と思ってしまいます。
リンコさんのお話を参考に出来たらなとおもいます! 』

18歳!!!
わ、若いっっっ。う、うらやましいです。
なんか……。私が産んでもおかしくないようなご年齢で……。(←ちょっとショック)
なんてまあ関係ない話しはおいておいてですね。
まずは留学費用ですよね。
それはですね。
なんかもうあんまりにも昔の話だもので、かなり記憶が曖昧になっているんですが、留学前にバイトは色々していましたし、貯金も今から考えたら『ひぇー』って思う位持ってました(って言っても大した額じゃないですけど)。で、当座の生活費のつもりで、たしか百万円を握りしめて渡米し、くだらない衝動買いで使い果たさないようにすぐに預金口座を開いてビシーっと叩き込みました。
私が通っていたNY大学は授業料が高いことで有名。たしか当時全米で二位のお高さだったように記憶しています。ただ、私は通常のUnder Graduate(四年制)やGraduate(大学院)の学生ではなく、英語コースを夏期から3コース取っただけでしたので、居候させてくれたコンちゃんのお陰もあって、貧乏でヒーヒー言いながらもなんとかくらせました。
その後パーソンズ大学に進学してから、いい年して親のスネをかじらせてもらったり、後はそれまで溜め込んでいたお金をぜーーーーーーーーーーーーーんぶきれーーーーーーーーーーーーーーーーいに使い果たしました。
その後はそりゃもう、赤貧洗うがごとし……なんて言うと色々とサポートしてくれた両親や友人達に失礼なんですけど、でもホント貧乏でした。もう来月の家賃はダメだ、絶対払えない。って何回絶望したことか。
学生時代は貯めてあったお金もあったし、コンちゃんちに居候させてもらっていたし、ホントに気楽に楽しい毎日だったんですけど、地獄は卒業してからでしたね。

通っていた美大で卒業前のインターンシップなんかもあったんですが、なんだかんだ言って結局どこにも行きませんでした。ただ怠けていただけなんですけど、興味の持てるインターンシップ先が無かった、っていうのもあります。
卒業後は本当に偶然の積み重ねで、ほとんど途切れることなく就職先……というか、フリーランスのデザイナーとしてですのでバイトみたいなものですが、働く場所はなんとか確保しつづけました。
こちらで大学を卒業すると、1年間合法的にアメリカ国内で就労できる OPT(Optional Practical Training)というものがもらえます。これは厳密に言うとビザではなく、学生ビザが有効なアメリカの大学を卒業した学生に、就職のチャンスを与えるためのものです。
これをもらってすぐに働き始めたのが、ユダヤ人が経営する日本語のフリーマガジン会社でした。
ここで1年近く働いている間にH1-Bという就労ビザを取得し、その後の就職につなげたわけです。
日本でもそうだと思いますが、アメリカでもエントリーレベルの人間の就職は本当に困難です。
『経験者求む』と言われると、学校を卒業したての人はみんな経験無しなのに、どうやって経験を積めばいいの?って思いました。足を棒にして学生時代のポートフォリオを抱えて歩き回りましたが、日本語でデスクトップデザインができるデザイナーが極端に少なかった当時でも、プロジェクトごとの仕事をもらえる確率は3割程度でした。
なんだかんだ言って私を助けてくれたのは人脈だったかなあ、って今思います。
うわー。仕事がない。どうしよう。
って思っていると、誰かが『あ。あそこの会社でアシスタントデザイナー探してたよ』と声をかけてくれたり、その職場で次の仕事を紹介してもらったり、っていう感じで繋がっていきました。

不景気の昨今。
ただでさえビザサポートや正社員採用先を見つけるのが困難な時代です。
軽々に『なんとかなるからとりあえず来たら!』なんて言えませんが、夢を大切に持ってそれに向かって進む努力をし続ける事は決して無駄にならないと思います。
途中で目標が変わっても、しんどくなったらちょっと休憩しても、それは全然構わないから、胸に抱いた夢を捨てずに今日も明日も、自分にドキドキしながら生きていたいですよね。
私の場合、明日どうなるかわからん、っていうスリル感も一種の活性剤だったかも。
ちゃらんぽらんだけどそれなりに我慢したり苦労したりずっこけたりしながら、どうにか20年間やってこられたのが今思いかえすとちょっと不思議な感じもします。
人生、つまりはそんなもんかもしれませんね。
必死のパッチで越えた壁も、振り返って見ると普通にまたげるぐらいの高さだったことに気づいたり、ちょっと横に回ってみたら案外素敵な抜け道があったり。
18歳。無限の可能性に満ちていますねー。
なんて、ちょっとおばん臭かったかしら。
でも、ホントがんばってくださいね。私も負けずにがんばりまーす。

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