🗼8月の終わりから9月にかけて

仕事で欧州へ🗼

 

                 サント シャペル礼拝堂

 

🗼合間を縫って少しだけ観光もできました。

 

巡った聖地のいくつかを。

 

🏰ステンドグラスの美しい、

フランス最古の王宮に付随していたという

 

サント シャペルへ。

 

礼拝堂が下層と上層の2層になっていて、

王侯貴族は上層へ。下層は王宮に

仕えていた人たちの礼拝堂。

 

下層の礼拝堂もとても美しいです。

 

下の礼拝堂には、サンシャペルを建設させた

ルイ9世の像が祀ってありました。

 

上層はステンドグラスの天界が広がっていました。

ステンドグラスは最古のもの、

他は近世の修復のもののようですが、

創世記からの神話のレリーフが刻まれていて。

 

床の装飾タイルも見逃せません。

全てが美術品。

足を擦らないように、

思わず注意深く歩ってしまいます。

 

初のパリ入りでしたが、

訪れたいところがいくつかありました。

 

🏰コンコルド広場。

 

そして、時間がなくても

ここだけは訪れたかった

シテ島のポンヌフ橋の袂にある

 

🏰ヴェール・ギャラン・スクエア。

 

神秘のノートルダム大聖堂は

世界中に動揺を招いた

大きな火災の傷の修復中でしたが、

🏰サン シュルピス教会へ。

 

普通にメジャーなところ、

かなり地味なところ・・あわせて

巡ったいくつかを。

 

🏰🏰🏰🏰🏰🏰🏰

 

🏰サント シャペル
ゴシック様式の正面の姿です。

 

 

🏰下層礼拝堂には
サンシャペルを建設させた
ルイ9世の像が祀ってありました。

柱の一本一本も
エムプレムで装飾されて
美しいのです。

ステンドグラスの
素晴らしいブルーも
目を見張ります。

 

 

🏰昔・・コーリングで、
こんな天井描いたなあ・・。

シャペルの天井は
黄金の百合の紋章です・・。

 

 

🏰上層の礼拝堂
圧巻です。

 

 

🏰頭上一面が
聖書にまつわる物語が描かれた
ステンドグラスで覆われています。

🏰上層の礼拝堂
細い石の柱とステンドグラスだけの建造物。
ステンドグラスは教会が建立された
13世紀半ばのそのままのもの。

どうやって、作られたか、
どういう工房だったのかも
当時のステンドグラスの色の出し方も
今ではわかっていないそうです。

奇跡のような美しい教会です。

 

 

 

 

 

 

🏰それぞれの
柱の袂には
十二人の使徒が。

 

 

 

 

🏰かつては聖遺物が
収められていたのでしょうか。

フランス革命の時に
内陣や装飾は破壊されて
しまったそうなので、

下の方は19世紀に修復された
姿のようです。

それも目を見張る美しさです

 

 

 

 

🏰細々と、
意匠の一つ一つ、
どんなところにも・・

小さなカーヴにも、
愛が感じられて
じっと見つめてしまいます。

歪みが感じられないから、
工房のマスターが
心も身体も
すごかったんでしょうね。

 

 

🏰床のタイル。

 

 

 

🏰どのラインも、
愛 !💗

 

 

🏰バラの窓

 

 

 

 

🏰レリーフたちも
19世紀のものなのだと思いますが
とても細々と彫られていて、
神に仕える”石工”魂・・
秘義的な精神性を
感じます。

もちろん、聖書の内容なのですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

🏰コンコルド広場。

ラグビーの試合が近いため、
何かの準備のための工事で
覆われていました。

 

 

🏰普通に知られているけれど、
古代エジプトの遺跡から、
パリへと運ばれた
オベリスク。

🏰何と、ルクソール神殿の
オベリスクの片割れでした。

🏰ラムゼス2世の時代に
ルクソール神殿の塔門前に
左右一対で建てられた
オベリスクのうちの右側の一本。

ヒエログリフを解読した
シャンポリオンの功績を讃えて
1830年のエジプトから
寄贈されたそうです。

 

 

🏰ルクソール神殿の
一対のオベリスクは
漫画「陰陽師」12巻
“帝 新造内裏へ遷御す”の扉で
新造の内裏を護る
一対の光の柱として。

そして、13巻の”神婚” でも

 

 

🏰もう随分前だけれど、

制作スタッフ

皆んなで気を遣って

描いたオベリスク。

ナマに逢うと

背筋震えますね。

 

 

🏰オベリスクの先端の
四角錐のピラミディオンには
古代エジプトでは
金と銀の自然合金の”エレクトラム”が
塗られていました。

フランスへ贈られたオベリスクは、
丁寧に守られて、
エレクトラムでしょうか? が
塗られ・・

実はピラミディオンの先鋒は
フランスに着いた時から
無くなっていたそうですが、

なんと、今年の6月20日
ちょうど夏至の頃、

失われていた先端部分に
新たに作られた先鋒が
取り付けられて、3000年前の
建築当時に近い姿に修復されたそうです。

🏰なので、先端はキラキラの完璧で
夕陽に輝いていました

 

 

🏰ポン・ヌフ橋から。

 

 

🏰そしてシテ島のポンヌフ橋の袂。
アンリ4世の騎馬像の背後、
石段を降りてゆくとシテ島の西北端。

🏰ヴェール・ギャラン・スクエア。

この公園の入り口と、橋の基礎に
この地の歴史についての
プレートがあります。

 

 

🏰ジャック・ド・モレー の
終焉の地。
ジャック・ド・モレー は
テンプル騎士団の最後の総長でした。

 

 

🏰ジャック・ド・モレー。
この方にはとにかくお世話になった、・・。
そんな記憶があって、

お礼を伝えたくて。

ちょうど逆光の
差し込む時間でした。

 

 

🏰ポン・ヌフ橋の下でした。

 

 

神秘のノートルダム大聖堂は
あの大火災の傷の修復中でしたが、

🏰サン シュルピス教会へ。

 

 

 

 

 

 

🏰有名な
パリの子午線のオベリスク。

 

 

🏰ビルの上から見下ろして。

🏰パリに入ると、規則的に立ち並ぶ
さまざまなレリーフが施された
象牙色のアパルトマンに
魅了されます。

企画整備されたアパルトマン。
1800年代の中頃の都市計画で
パリの外観が作られたのだそうです。

象牙色の石は、石灰岩で
パリの地下から掘り出されて、
そのまま建物の外壁に。

パリの人たちは、
大地の女神のお腹から取り出した
石の家に、子宮の中に住みたいに
住んでいるんですね。

それで作りの一つ一つがが丁寧なのか、
歩いているだけで、
建物の一つ一つの意匠の美しさに
感動してしまう、

数日間のパリ滞在でした。

 

 

 

 

 

 

 

 Reiko Okano

 

アカウントのない方はFB Pageを