🔸「シェア ラブ 玉手匣 ワークショップvol.8」in 京都
三日目🔸 レポート その2
🍀WS最後の締めは、京都の
“青龍”の地
京都東山の華頂山山頂の “将軍塚”でした。
“天台宗 青蓮院門跡
(しょうれんいんもんぜき)” の飛地
“将軍塚 青龍殿” 。
🍀
「青龍殿」は、
京都の由緒ある建物を移築して
平成26年に建立された 大護摩堂で、
一歩中に入ると、時間を超越した
特別な空気に包まれます。
奥に護摩壇があり、壇の前には、
精巧に製作された複製の
「青不動明王二童子像」 が
掛けられていますが、
さらにその奥殿に、
平安時代中期に描かれた
「青不動明王二童子像」の
絹本の礼拝画像が
安置されて・・・。
たくさんの祈りを受けてきた
「青不動」さま。
護摩壇の前で手を合わせると、
祈りが増幅されるような力強さがあります。
大護摩堂から繋がって
広い広い見晴らしの大舞台があり、
京都市内を一望できる・・
聖地としても、展望の名所としても、
京都の歴史からも 奥深い高台。
🍀
”平安京”がまだ造営される前、
和気清麻呂公 が 桓武天皇 を
この塚へ案内して、
三方を山に囲まれ、
川の流れにも恵まれた
山城のこの地へ
都を造営するように勧めた、とも
言い伝えられています。
🍀
”将軍塚”は、実際は古墳時代からある
円形の墳墓の一つですが、
“平安京を守るために
甲冑をつけ弓矢を身につけた
八尺の武人の立像を塚に埋めた” また、
守護神として(武装した)
“坂上田村麻呂”の墳墓伝説などから
“将軍塚”と呼ばれるようになったとか。
🍀
“将軍塚”の真下から、真西に四条通が伸びており
真下には八坂神社があり、
“元祇園 梛神社”の真東にもあたります。
(そういえば・・東山の麓一体は平安時代から
真葛が原と呼ばれていたので、
「陰陽師」執筆中 ”真葛が原”を探して
その辺り・・大谷祖廟近辺を
徘徊したこともありました~~ )
🍀
🍀
参加者 一同
大舞台から
”青龍殿”にお参りののち、
庭園内にある
2つ目の西の展望台へ。
来訪者の少ない、
京都市内を南北に見渡せる見晴台で、
“WS in 京都” 最後のワークとなりました。
🍀
🌸その3へ続きます🌸
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🌸“天台宗 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)”
の飛地“将軍塚 青龍殿” 。
大日堂の庭園入り口から中へ。
🌸庭園の枝垂れ桜。
3月20日は まだ蕾も硬そうでした。
🌸由緒ある建物を移築して
平成26年に建立された 大護摩堂、
青龍殿。
一歩中に入ると、時間を超越した
特別な空気に包まれます。
奥に護摩壇があり、壇の前には、
精巧に製作された複製の
「青不動明王二童子像」 が
掛けられていますが、
さらにその奥殿に、
平安時代中期に描かれた
「青不動明王二童子像」の絹本の礼拝画像が
安置されているそうです。
🌸大護摩堂と一緒に
平成26年に誕生した大舞台。
とても広くて、舞台自体圧巻です。
🌸大舞台から。
🌸京都御所と、鴨川と高野川の合流地
下鴨神社と糺の森が見えます。
🌸北に向かって開かれた、青龍殿の後ろ戸。
気になりますね。
🌸真後ろから見ると、
”龍”の名だけれど、
鳳凰が翼をおさめたような
美しい姿です。
🌸将軍塚の立て札。
🌸将軍塚の頂には石碑が見えます。
🌸西の展望台から、塚越しの眺望。
🌸西の展望台からは、
青龍殿が見下ろせます。
🌸枝垂桜が咲き出している庭園。
庭園の奥、山裾に
山科の街並みが見えます。
降臨するような雲も。
🌸昨年7月の”将軍塚”の
円墳を見下ろして。
祇園祭の頃でした。
🌸森の向こうに、平安神宮も見えます。
その右奥に吉田山も。
🌸西の展望台の一角からですが、
平安神宮の応天門と大極殿が見えます。
🌸西北には京都御所の森。
左奥に、船岡山。
“元祇園 梛神社”からは、
真北にあたります。
🌸承明門と紫宸殿の屋根が見えます。
🌸ワークを終えて、
庭園へと降りて。
🌸ワークを終えて廻る庭園は、
打ち解けて、
私たちを待ち構えていたような、
不思議な空間。
人懐こい・・というか。
何だか生き生きしている
枯山水も。
🌸春分前日の太陽の柔らかい光が、
けぶるようで。
🌸まだ、留まって、
一緒に遊んで欲しそうな様子だけれど。
名残惜しくも
将軍塚を後に・・。
🌸美しい空に迎えられた
ワークのレポートへ続きます。
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