「鬼やらい」!

 

 

 

ふわふわ年初めての新月・・春節も過ぎ

凍てついた、水気に満ちた香が・・

 

ええ・・乾燥した冬の大気が続く中、

ある日突然、山の方から漂ってくる

大気に含まれた雪解けの水の

冴え冴えとした香りを嗅ぐと・・・

私の心はえも言えぬ嬉しさで

いっぱいになってしまうのですが、

 

そんな大気が西の方から運ばれてくるのは

いつもの年なら2月の終わり頃・・。

 

なのに今年は1ヶ月も早く

浮き浮きする水の香りの大気を感じ

庭にはふきのとうが盛り盛り育っています。

 

本日は節分。明日は立春

一年のうちの新しい節に入る日。

時の過ぎるのが早いです。

 

 

 

節分の行事といえば「豆まき」や「恵方巻き

なのでしょうが、平安時代 宮中では

追儺」という儀式が行われていました。

 

本日は節分の行事「追儺」について

 

 

源 博雅 卿に聞いてみましょう。

 

・・・・・

 

 

・・・・・・。

 

ええと・・応えが返ってこないので・・

 

追儺」(ついな)というのは、

鬼やらい」とか「(な)やらい」とも呼ばれており、

節分の日の「の気・・や「疫鬼」を祓う

大陸から伝わった立春前(つごもり)の儀式ですが、

 

漫画「陰陽師」第3巻の『鬼やらい』の中で

安倍晴明が、詳しく博雅卿に説明していますので

場面をピックアップしてご紹介致しますね。

 

 

 

平安時代「追儺」は宮中の王卿と斎部(いんべ)、

中務省の官人等、総出で行う大行事でした。

 

 

 

 

 

毎年、大寒を過ぎると春を迎える準備が始まり

内裏を囲むの十二の宮門に土でできた牛・・

土牛(どぎゅう)と桃の枝を持った童子

土牛童子」が置かれました。

牛は、それぞれの宮門の開く方角に合わせて、

北は、東は南は、西は、中央は

と、五色に染められていました。

 

 

紫宸殿の前庭で、陰陽師が鬼に供物を捧げ

祭文」を読み上げ、「追儺」の儀式が始まります。

 

 

 

祭文」の次は「反閇」(へんばい)という、

呪術的な足運びで、大地に星を踏むようにして歩きます。

 

      反閇する晴明、後ろに方相氏(博雅くん)

 

南庭の儀式の後、鬼を追って内裏内を回るのは、

この人、鬼を駆逐する役目の方相氏」(ほうそうし)

追儺」の主役。

大舎人の中の身体の長大な者(身長190cm程)

が、選ばれたようです。

 

 

方相氏が手にしたを三度打ち付け

鬼やらいと叫んで、振子(わらわべ)という役目の

松明を持った子供二十名と、

内舎人(うどねり)、大舎人(おおとねり)

公卿たちを引き連れて内裏内を隈なく回ります。

 

 

 

 

 

 

この時、公卿たちは振り鼓という小さな太鼓を・・

鬼をどんな影にも隠れさせず祓うためでしょう・・。

バラバラ と、鳴らしながら後に続きます。

 

 

                  転けた公卿が右手に持つのが振り鼓

 

 

追儺」の儀式は夜行われるのですが、

内裏内の燭台も総出で庭という庭に明かりが灯され、

確か千本ほど・・と大量の燭台が明々と灯されたようです。

ちょっと火が危ないけど、燭台の揺れる炎も美しく、

方相氏と振子に引き連れられた公卿たちの姿・・

さぞや圧巻だったのではないでしょうか。

(ので、一応連載当時描けるだけ描いてみました)

 

 

 


 

 

さて 現在、平安時代と同じ「追儺」が

復元されて行われているのは、京都 平安神宮」。

吉田神社」の「追儺」も由緒古く、とても有名ですね。

まさに本日、その追儺式が行われています。

 

 

連載当時取材した平安神宮での

追儺」の写真(1990年代撮影)を

ちょこっと・・。

 

祭文を詠む陰陽師

 

黒木(皮が剥かれて無い木)の案に載せられた供物

 

反閇する陰陽師 後ろに方相氏

 

桃の杖を振る斎部

 

振子を従えて回る方相氏

水気の黒い衣をまとい、火気の朱の裳をつけ、

木気の青い襟、金気の白い帯

土気の黄金の四つ目の仮面。

メインはと水気の黒と、と火気の朱色。

方相氏の装いは玄衣朱裳と呼ばれていました。

(仮面を外しても、博雅の顔ではありません)

 

本日は暖かいですが、

取材したこの日は、晴れのち雪、

京都の底冷えのする節分でした。

 

 

さて、せっかくなので「鬼やらい」繋がりでもう一点、

怨霊の・・彼女のことを付け加えますね。

 

作品『鬼やらい』は連載開始後初めて描いた

原作にない、漫画「陰陽師」オリジナルの小品ですが、

追儺」と「祐姫」や「鉄輪」を絡めて、

陰陽五行の理りから迎春行事「追儺」を

オープンに描けた会心の章でした。

 

平安時代当時の年中行事儀式は、

自然と人が一つになるため・・

自然からの力を身に帯びてより良くなるための

・・祈り・・が、

基本にあって、とても興味深く

一つ一つ細かく描き続けてもいいと思うほど、

魅力に満ちているものでした・・。

 

 

さて藤原南家の姫君 祐姫

更衣として入内し

村上天皇の第一皇子広平親王を産みますが、

 

その後入内した、藤原師輔の娘 中宮 安子

第二皇子憲平親王東宮(皇太子)となったため

安子と憲平親王を呪ったことで

「大鏡」や「栄花物語」の中などで

祐姫の怨霊」として

藤原北家にとても恐れたことで有名です。

 

物語の中では愛すべき怨霊で、

晴明がが留守の間真葛と双六したり

自分の心に素直な姫君です。

 

 

 

 

祐姫の父民部の卿元方も、名の通った有名な怨霊です。

 

ちなみに東宮の乳母左近も実在した女房(源正子)。

 

 

そして安倍高子。この方は乳母の左近の推挙で

東宮の御巫(みかんなぎ)となった実在した女官。

本来、神祇官が御巫を推挙するところを

慣例を破っての人事で特筆されていますので、

特殊だったのかなと、漫画「陰陽師」中、何度か

重要なシーンに登場しています。

 

 

 

東宮 憲平親王を見舞う 中宮 安子

 

祐姫も、藤原南家の姫君でしたが、

 

 

 

藤原北家の師輔の勢力には

敵わなかったのですね。

 

 

 

「大鏡」や「栄花物語」の中では、

早くに第一皇子広平親王がこの世を去り、

続いて祐姫も亡くなって怨霊になったように

記されていますが、実は、祐姫は生きていました

 

村上天皇が崩御した康保四年(967年)

七月に出家したことが書き残されています。

(ちなみに広平親王が亡くなったのは天禄二年(971年))

 

なので、生きている祐姫を

晴明が探し出す物語を、3巻を執筆している時点では

予定していました・・・。

 

なので、伏線が張ってあった・・!

  

が・・

天徳内裏歌合」を描いた、

7巻の「菅公 女房歌合わせを賭けて囲碁に敵らむ」

8巻の「安倍晴明 天の川に行きて雨を祈ること」

が描かれるにつれ、物語の流れは

別の方向に流れて行きましたので、

原稿にはなりませんでした ! 

 

 

祐姫の近くには民部の卿元方の孫

祐姫の甥にあたる「丹後頭 藤原保昌」が、

武勇で著名であり、「大江山酒呑童子」伝説では

源頼光らとともに大江山鬼退治に出かけています。

 

現実では、和泉式部のご主人でもあります。

 

「陰陽師」続編、「陰陽師 玉手匣」の中に

登場していますね。

 

 

 

 

 

 

同じく甥で  保昌の弟、

藤原保輔」はやはり武人として強かったのですが、

武略に秀でた血も涙も無い、大盗賊でした。

 

武勇の人と言えど、片や鬼退治、片や大盗賊

姫といえど、片や国母、片や怨霊・・・と、

 

運、不運、立身の良し悪しは・・背中合わせ・・

なのですね。だからこそ、魅かれるところです。

 

 

さて今一度

 

追儺」に戻ります。

 

平安時代、「追儺」は十二月の晦の夜に行われていました。

 

現在は節分は二月ですが、

十二支で言いますと、

一月は「」の月。二月は「」の月です。

生命の流れの一括り、息を吐いて、吸う、

その一瞬の息継ぎ、隙間に「丑寅」があたります。

 

そして、

 

」と「」の間、「の月から春は始まります

 

なので、現在でも、一年の節の分かれ目立春の前の晦

」をまいて「」(おん)の気を祓う「豆まき」は

春を迎えるための大切な儀式なのですね。

 

 

 

 

 

 

令和二年の今年、私は年女。

 

新型のウイルスやインフルエンザ、感冒など

世の中、流行病の振るう時節

 

疫鬼を祓い 福を呼び込む福豆

 

 

春節に大宮氷川神社で求めましたので、

 

謹んで 「豆まき」 いたします !

 

 

ふく は うち !   ふく は うち !

 

「陰」の気 、「疫鬼」

 

はや、 去りたまえ !

 

 

立つ春の  健やかなりますことを・・

 

 

 

 

そして・・

 

鬼の中の鬼、酒呑童子を見守った

成相寺の観音 世野姫は 唱えます

 

 

 

 

さあ

 

出ておいで !

愛しい 鬼たちよ !

 

 

底の底に  隠れても

 

 

もはや 隠れる影など・・

 

ないのです

 

 

 

 

 

 

 

 

                 2020年2月3日    節分に