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気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそおねがい

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ゴールドコーストの夕焼けと月

 

 

中学校の生物の『遺伝子』の授業でメンデルの法則を学んだとき、組み合わせの違いはあれど、遺伝子は両親から半分づつ受け継がれることを知った。

その後何かのテレビ番組で、いわゆる人間の性の違いは23対の染色体のたった一対の性染色体のXとYの違いで起きると説明していたのを見た。

 

女性の性染色体は『XX』 男性は『XY』。

 

この性染色体を知ったとき、そして、男性と女性の骨格の違いを学んだときに思った。

 

(女は絶対男にはなれない……)

 

生物学的に見ると、人間は男性(雄)か女性(雌)でしか分けられないという現実だった。

 

 

男性ホルモンや女性ホルモンを打てば、女性は男性のように筋肉が付きひげも生えて来るし、男性は胸が膨らんで身体が丸みを帯びて来る。

けれど、見た目は男性になれても染色体は『XX』の女(雌)のままだし骨格も変わらない。そして、逆に男性も女性より女性らしい男性は沢山いるけれどやっぱり染色体は『XY』で骨格も男(雄)なのだ。

 

だから、例えば殺人事件などに巻き込まれて殺されて、数年後に骨になって発見されたとしたら、生前男性として生きていたとしても骨やDNA検査では女(雌)として鑑定されるし、女性として生きていたとしても男(雄)として鑑定されるのだ。

 

当時はジェンダー(gender)という言葉を知らなかったから上手く表せなかったけれど、こう思っていた。

 

(心(今で言うジェンダー)と性(Sex)は別もん)

 

Gender:ジェンダー[社会的、文化的意味付けをされた男女の差異]

出典:https://ejje.weblio.jp/content/gender

Sex:性別 [男《雄》と女《雌》の別]

出典:https://ejje.weblio.jp/content/sex

 

 

中学三年生のとき、隣のクラスに女子のような男子が二人いた。

学ランを着て、身体は男なのだけれど女言葉を巧みに使いこなして会話をする二人は、当時、テレビでおすぎとピーコというゲイの兄弟の中学生版を見ているようだった。

 

(彼らは私と逆なんかな)

 

なんて思っていた。

 

 

当時はゲイ、レズビアン、バイセクシャルの三つしかなかった。今で言うLGBTQのLGBに当たる。

「酸性」「アルカリ性」「中性」というのを習ったとき、それを「男性」「女性」「中性」に置き替えて、(自分は中性かなぁ)なんて思っていたから、今のLGBTQのQに当たるどっちつかずのジェンダーだったのかも知れない。

 

 

高校はバレー部が強かった女子高に進んだ。

そこで2年生、3年生になったとき、下級生の子に結構モテてお手紙を貰ったりもした。

何故かそれが男子にモテるよりも嬉しかったし、その女の子たちを、(か愛らしいなぁ)なんて思ったりしていたので、やっぱり私はチョット普通の女子とは違っていたのかも知れない。

がしかし、その普通の女子というのがそもそも分からない私であった。(笑)

 

 

さて高校を卒業して1年後、私は英会話の勉強をする為に東京に出た。そこで私はやはり男がやる仕事に興味を持った。

野球が好きだった私は後楽園のお土産屋でアルバイトを始めたのだけれど、丁度その土産物屋の裏にサントリービールの冷蔵庫があり、試合開始の1時間前になると次々と高校生や大学生の男子が集まって来て、ベンダーに24本の缶ビールとおつまみを乗せて売りに出て行くのだ。

そして、しばらくすると空缶を抱えて走って戻ってきて、再び24本のビールをベンダーに入れて貰い、すぐさまそれを抱えて走り出して行く。

それがめちゃめちゃカッコ良くて、シーズン中ずっと(あれやりたいなぁ)と思っていた。

 

シーズンも終わりに近づいたとき、そこの主任さんと仲良くなれて、その年の日本シリーズでサントリーウイスキーのホットウーロン茶割りの売り子でデビューすることが出来た。

サントリーが新しくウーロン茶を販売し始めたので、そのウーロン茶の宣伝も兼ねてウーロンハイを売ってみようとなったらしいのだが、ビールと比べて軽いから女の子でも出来るだろうと思ったようだ。

日本シリーズでは3人の女の子がウイスキーの売り子をしたような気がするが、結構売れたので、そのウーロンハイは翌年のシーズンから後楽園球場で売られるようになった。

 

けれど、翌年のシーズンはビールの売り子をさせて欲しいと主任さんに頼み込んで、開幕からサントリーのブルーのユニフォームに身を包んで、男子に混じって売り子を始めた。

 

これがまたメッチャ楽しかった。

 

私は、自分が女子だから買ってくれるお客さんが多いことに気付いていた。

それが男子には気に食わなかったかも知れないけれど、いじめられることは無かった。

かと言って、私は女を出してビールを売っていた訳ではない。

呼び止められて階段を上がっていったら、

 

「あれ?もしかして女の子?遠目に見たら男の子に見えたから分からなかったよ。」

 

と言われたくらいだ。

 

1984年のビール売り姿

 

そして途中から、一番売れる試合開始30分前の出だしのときに48本の缶ビールをベンダーに乗せてアルプススタンドを駆け上がることもやっていた。(ガチで息切れマックス🥵)

 

「桔梗も今日からスタートは48本な!」

 

と初めて言われた時、

 

「マジで?持てるか分からへん。」

 

と答えたが、ベンダーに入っている24本の缶の上に「ドン!」と24本乗せられた。


「お“、重っ!」

 

一度上に乗せられたら、自分一人では下ろせない重さだ(350ml(約365g)×48=17.5㎏+ベンダーとおつまみの重量)。軽くしたかったら売って来るしかない。

けれど、「女だから無理~」と言うことは絶対にしなかった。

この仕事を4月から始めて、3か月で5㎏痩せた。(筋肉はがっちり付いた)

 

 

けれど、当時の私はそれなりに悩んでいた。

 

(これは男子の仕事を奪ってる事になるのか?)

 

私は単に男子と同じように仕事をしたかっただけなのだが、女子である自分の売り上げが上がるのを苦虫を嚙み潰すような思いで見ていた男子もいたかも知れない。

 

けれど、夏の都市対抗を売り上げトップで折り返した頃から、他のビール会社(キリンとサッポロ)にも女子のビールの売り子さんが出始めた。

今はどこの球場もビールの売り子は女子だけれど、少なくとも後楽園で女子のビールの売り子を使い始めたのはこの年からだ。

主任さんの話では、他のビール会社でも「女の子であるだけで並の男の子よりビールが売れる」と気付いたのだそうだ。

それを聞いて、ちょっとホッとした自分がいた。

 

 

自分なりに自分のジェンダーと性に葛藤していた時期でもあった。

 

 

 

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