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 気が付いたら、人生の半分以上オーストラリアに住んでる事になっていた、シングルマザー歴23年、リメディアルセラピスト、桔梗のブログの部屋へようこそ。おねがい

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友人の家から見えるサーファーズの夜景。(私の家ではナイ)

 

 

 オーストラリアは秋。

 

 しかし、国土の広いオーストラリア(日本の約21倍)は南北の距離が約3200kmもあるので、その気候差はめちゃくちゃ激しい。

 例えば今日、ゴールドコーストの予想最高気温は25℃(最低気温17℃)なのだが、南のタスマニア州は予想最高気温14℃(最低気温3℃)、一日の気候変動が激しいメルボルンは予想最高気温17℃(最低気温4℃)と、気温差なんと13℃。しかし、南の方は明日から天気が下り坂で、来週はタスマニア州は最低気温0℃の朝が続く。(ひえ~🥶)

 対してこのゴールドコーストは、乾季に向かって行くので晴天が続く。真冬の平均最低気温が10℃で、最高気温は20℃を超える。南の州に住む方々が、冬のホリデー先にQLD州を選ぶのはこの理由からだ。ゴールドコーストに別荘を持っている方々も多い。

 

 

 さてそんなゴールドコースト(QLD州)は、気候の良いリタイア地としてとても人気がある。当然ではあるけれど、年を追うごとに住人の年齢は高くなる。

 ここ数年、私の母が亡くなる前から、友人達やお客様からも老後の問題の話を聞くことが多くなった。

 気候の良いゴールドコーストに住んではいるものの、家族が側に住んでいない、もしくは、家族はいるのだけれど全く交流が無くて年老いた親の面倒も全く見ない、なんていうケースも多々ある。

 そんな話を聞いても、私は一方的に「その人の子供達は薄情!」だとは言えない。なぜなら、私はその家族の現在の関係に至るまでの軌跡を知らないからである。

 

 例えば、80代半ばで亡くなった方ではあるが、その方のお子さんは海外に住んでいた。ほぼ交流がなく、その方が入院した時や施設に入る手続きなども親切な友人がやっていたのだけれど、その方は1日に10回以上もその友人に電話を入れるなどして、友人はかなり大変だった。その方が亡くなった後、全ての手続きもその友人が済ませたのだけれど、その友人が居なかったらあの方はいったいどうなっていたのだろう? その亡くなった方と私も話を交わしたことがある。若い頃はかなりナルシストで、自分中心に物事が回らないと気が済まない性格だったのかなぁと思ったこともあった。

 

 「I want to be like I used to be.(また以前のよう(な身体)に戻りたいんだ)

 

 と、そう言うその方に私はいつもこう返していた。

 

 「Not only you but even I can’t go back like I used to be. We all get older every single year.(あなただけではなく、私だって以前のよう(な身体)には戻れないんです。だって私達、毎年歳をとるんですから)

 

 その時のその方の顔を今でも覚えている。(もう以前のようには戻れない?嘘だろう?)とでも言いたげな顔だった。自立していた時は良かったけれど自分で出来ることが限られて来た時、家族がいるにも関わらず誰も自分を助けてくれないというのは寂しいものがある。

 最後にその方に会ったのは、亡くなる二週間ほど前のことだった。

 仕事がその方の施設のすぐ側で終わったので、ちょっと顔を出してみた。ヘルパーの方が二人でその方の世話をしていたのだが、

 

 「OOをしてくれ。……全く、皆んな俺の言う通りにしてくれないんだ。」

 

と不満を言うので、

 

 「皆さん忙しいんです。あなただけのお世話をすることは出来ないんですよ。それに人に何かして欲しいのなら、Pleaseと言わなきゃダメですよ。」

 

と言ったら、「Please?」と不思議そうに私の顔を見てつぶやいた。

 

 「そう。人にものを頼むときはPleaseを付けなきゃ失礼ですよ。ニコニコ

 

 すると、その方はケアラーに向かってこう言った。

 

 「Can you do OO for me please?(OOしてもらえませんか)

 

 「No problem. Let us help you.(いいですよ。お手伝いしますね)

 

 私は程なくしておいとますることにしたのだが、部屋を出るときにその方が弱弱しい声で私にこう言った。

 

 「Kikyo, thank you for coming.

 

 「See you next time.(また伺いますね)

 

と言って部屋を後にしたが、それが私がその方に会った最後だった。

 

 

 私の父は人に感謝をしないし、上から目線の言葉使いを直さない。一緒に外食をした時に店員さんに。「OOを下さい。」とか、「OOしてもらえませんか?(OOして頂けませんか?)」という言い方をしたことが無い。「これとこれ。」という風に上から目線でオーダーし、「お願いします。」という言葉を使ったことが無い。うっかり箸を落としたりした時も、「箸!」と店員に向かって大声で言うだけ。そんな父の態度を、私もアリスも何度も父に注意していた。

 

 「『お願いします』『ありがとう』っていう感謝は、オーストラリアでは家族同士でも言うのが常識なんよ。お父さんは感謝の言葉が無いのが問題なんよ。」

 

 

 日本でもオーストラリアでも、感謝の足りない人は一定の人数いる。そんな親を見て育った子供達が大人になると、親と同じように悪びれも無く、誰に対しても上から目線で話をするようになるのではないだろうか?

 当然であるが、そんな人は自分の家族に向かっても「OOしてよ!(OOしろよ!)」なんて言葉遣いをして、「OOしてくれないかな?。(OOして貰えないかな?)」なんてお願いをする言葉遣いはしていないだろう。

 そんな人達がそのまま年老いたらどうなるだろう?

 通ってくれる介護ヘルパーの人に対しても、命令口調であれしろこれしろと言うのではないだろうか? 

 病院に入院しても介護施設に入所しても、看護師や介護士に対して上から目線口調で話しをするのではないだろうか?

 看護師や介護士は幾ら仕事とは言え、そんな人を心から看病、介護したいと思うだろうか?

 

 恐らく今の私の父はそんなこと気にも留めていないだろう。なぜなら、叔父夫婦に対して書いた祖父母の家(父と叔父の実家)を処分するつもりだという内容の父の手紙には、その実家を守り住んでくれていた叔父夫婦に対する感謝の言葉も、お願いの言葉も、必要ならば手助けをするよ、のような申し出も一切無かった。

 そして、その手紙の内容や父の言葉遣いに一切の疑問も持たずに、「手紙の内容を故意に偽って吹聴している。ムキーと私を責めた妹や弟。

 人に感謝をしない人々は、発達障害やパーソナリティ障害などの問題を持つケースが多い。

 子供の頃から感謝を教えなければ、大人になってからだとそれを受け入れるのが難しくなる。常に人の批判しかしない人間になってしまう。

 

 私は自分の父に、オーストラリアの孤独な高齢者の方々を重ねてしまう。

 親が介護が必要な状態になっても会いに来ない、電話さえ掛けない、自ら関わろうとしない子供達。そして、そんな子供達から見放された親は、介護が必要になってもそのヘルパーに感謝の言葉をかけることもせず、不満しか言わない……。

 人に感謝する言葉をかけられない人々は、結局、人生の終わりに孤独になってしまうのではないだろうか。

 

 私の父、親戚の高齢の方々、オーストラリアの知人の高齢の方々、私の叔父夫婦、そして昨年亡くなった私の母。

 最近、私はそんな人々を見て自分の30年後を思い浮かべる。

 

 私は30年後、どんな日々を送っているのだろう?(ていうか、ウチ生きとるんやろか?😅)

 

 

 

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