オーストラリアから、

 

 

日本にいるの母の心を思うと、涙が止まらない...。

 

 

 

 

 

昨夜、日本の母とタブレットで話をした。

 

 

妹(父)の弁護士からの離婚訴訟の供述書を貰った事...。

 

母が自分の弁護士と話をした事...。

 

 

 

そして、会話の最後の方で娘が画面に飛び込んでくると、母の顔は、くしゃくしゃの笑顔になった。

 

 

娘が

 

 

 

娘:「お祖母ちゃん、元気出してね。また来年会いに行くからね。爺と離婚したら、オーストラリアに来て、一緒に楽しもうラブラブ

 

 

 

と言うと、その笑顔のまま涙を流した。

 

 

 

 

痛いほど、母の心に共感して、

 

 

 

 

私も涙を流した。

 

 

 

 

別居18年で、84歳で、やっとモラハラ(精神的DV)父との離婚を決断した母。

 

 

父の嫁という呪縛から逃れて、やっと自由に自分の意思で行動が出来るようになれる筈なのに...。

 

 

 

 

 

自分の娘(妹)が、離婚をしたくない父の補助をして、弁護士とやり取りをしている。

 

 

自分を、父の嫁のままで離婚させないように画策している。

 

 

 

 

 

私は別れた時、自分の娘が、DV元夫のようになってしまうのが怖かった。

 

 

身体的DV、精神的DV(モラハラ)を経験した私は、怖くて、怖くて怖くて、何度も、何度も何度も、カウンセリングの度に、カウンセラーに聞いた。

 

 

 

私:「娘は、あの人の様になってしまうんでしょうか?」

 

 

 

そして、反抗期を経て、娘は愛情の溢れる人間になってくれた。

 

 

 

 

 

母は長年、父やその家族の精神的虐待に耐えて、子供達が成人するまではと結婚生活を続けて来た。

 

 

子供達は、いつかは自分の事を分かってくれると思っていたはずだ。

 

 

 

だから母が別居を決めた時は、私は喜んだ。

 

妹も、弟も、賛成だったはずだ。

 

 

 

 

 

妹も、弟も、モラハラ父に問題がある事は知っていたのだ。

 

 

「必要以上に関わらないように」

 

 

そう言って、母を父に関わらせないように言っていたのだ。

 

 

 

 

 

だから2014年に、別居していた母が実家の掃除をし始めた時は驚いた。

 

 

 

母は、「私が年一回の大掃除に帰るから掃除に行かなくても良い」と言っても、子供達に負担をかけさせたくない一心で、実家の掃除に行っていた。

 

 

(2013年に私が6年振りに実家に帰った時の実家の汚さと言ったら無かった。ごみ屋敷まっしぐらの汚さ。日本に住んでいた妹が、実家の様子を何年も見に行っていなかったのは、一目瞭然だった。だから、私は日本に年一回、実家の大掃除に帰る事にしたのだ。)

 

 

 

 

そんな風に子供を気遣ってきた母親が、84歳になって、モラハラ父の呪縛から逃れ、自由を求めて離婚訴訟を起こした。

 

 

 

途端に、妹も、弟も、離婚は絶対にしないという父親側に付いて、弁護士との交渉の補助をしている...。

 

 

 

 

なぜ?

 

 

 

 

と、母は心の中で繰り返しているはずだ。

 

 

 

 

 

弟と妹には、分からないだろう。

 

 

弟も妹も…子供はいない。

 

 

親としての子育ての大変さなんて、経験した事もない。

 

 

 

 

 

お腹を痛めて生んだ自分の子供達が成人して、その子供達から受ける仕打ちが、モラハラ夫の弁護士の補助をして、自分の離婚を阻止される事だったなんて...

 

 

母は、思いもしなかったろう。

 

 

 

 

 

モラハラを受けている方なら分かってくれるのではないだろうか?

 

 

子供を育てている貴方なら分かってくれるのではないだろうか?

 

 

 

 

母の心の痛みを。

 

 

 

 

私が、自分の娘がDV元夫のようになってしまうのが怖かった、あの頃の恐怖が、現実になってしまった事を想像するだけでも、心が痛いのに、...それが現実に起きている。

 

 

 

 

母の心を思うだけで、心が痛くて、

 

 

 

 

心が痛くて、

 

 

 

 

 

涙が止まらない...