寝屋川市太秦中町の住宅地にあります太秦熱田神社。
神社の持つ雰囲気からして、元々は山の中にあったのが、住宅地として開発されて神社の周りだけが残されたのでしょうかね?
寝屋川市には太秦や仁和寺と京都にあるのと同じ地名の場所があるのですが、それぞれ京都と関係しているそうです。
境内地からは古瓦や礎石が出土しており、太秦廃寺跡という史跡でもあります。
室町時代末期にはこの地には氏神が無かったそうです。
その時に、この地で寺子屋をしていた浪人が、郷里尾張の熱田神宮について語っていたら地元住民も盛り上がり、熱田神宮から勧請したそうです。
でも、氏神が無いまま、地域がまとまって来れたなんてちょっと信じがたい…
実際はどうなのでしょうか?
御祭神は、日本武尊。
ちょっと珍しいです。
これだけでも来た甲斐あったな。
でも、境内の雰囲気は何でしょう?
ちょっと地域に馴染んでいる感じは無いのですよね。
少し取って付けたような…
やっぱり創建のお話の通りなのでしょうか?
やっぱり地域に溶け込んだ神社というのは、元々の土地の神様を祀っているような所であるとか、集落が出来上がって直ぐに勧請されて、地域と共に歩んでこないといけないのでしょう。