1940年以降の潰瘍性大腸炎と薬の開発史です。特徴的だったのは、イギリスで治験が頻繁に実施されるようになったこと。
▼ イギリス
◇ 1940年代
治験:サラゾピリン®の副作用は、15%から20%と重かった。
(適量がわからず、大量に投与していたため)
◇ 1948年
治験:イギリスでは、患者124人に対する研究結果が発表された。
・軽症から中症の70%から80%の患者に効果があった。
・投与をストップすると、再燃した。
▼ アメリカ
◎ 1950年はじめ、アメリカでは、約2000人が潰瘍性大腸炎と診断され、サラゾピリン®で治療が行われた。
▼ 日本
1950年はじめ。潰瘍性大腸炎の患者は約50人。サラゾピリン®はまだ輸入されていなかった。治療薬は不明。
▼ イギリス
イギリスでやっとサラゾピリン®が使われるようになったが、医師らは効用に懐疑的だった。
治験:重症患者を対象とした研究では、投与量を減らすと、副作用が減ることがわかった。
◎ 父親はオーストラリア人、母親はオランダ人。ベルギーで誕生。イギリスでは、有数のバレリーナだった。1952年に「ローマの休日」のため渡米。
1955年にイギリスを訪れたときの撮影写真。美しい・・・
◇ 1962年 懐疑的な医師らに対し、推進派は世界初のプラセボ(偽薬)を使ったサラゾピリン®の治験を実施。1日に4000mgを使用。結果は良かったが、副作用が重かった。
このとき、内視鏡検査で重度をはかることが初めて行われた。
◇ 1962年 サラゾピリン®2000mgを1年間にわたり投与する治験実施。投与量を減らすことで副作用が減ることがわかる。
初発症したあと、サラゾピリン®が効いた80%の患者は、1年以内に再燃することがわかった。
◇ 5年間にわたりサラゾピリン®を使った治験が行われた。寛解率は、薬使用グループは54%。一方、プラセボグループは12%にとどまった。このことから、潰瘍性大腸炎の薬は、副作用が問題になる場合以外は、「継続して投与するべき」だということがわかった。
▼ 治験が何度も実施された背景
治験には経費がかかります。にもかかわらず何度も実施されてきた。5年間の治験は、さらに経費がかかる。
繰り返し実施したのは、患者数が急増している、でも治療方法がわからない、このまま放っておけば、病院はこの病気の患者で満員になってしまうという危機感があったと予想されます。
▼ イギリス
◇ 1965年 1000人にひとりが、潰瘍性大腸炎と診断された。
▼ 日本
◇ 全国で潰瘍性大腸炎の患者数は約80人で、薬はまだなかった。
この時期に、患者の住んでいた地域、食べ物など、詳しい調査ができていたら、原因が確かめられたかもしれない。
◇ 1969年 三菱ウェルファーマが、サラゾピリン®の日本への輸入を開始。潰瘍性大腸炎の治療に使われ始める。患者数は推定430人ほど。リウマチの患者のほうがずっと多く、ほとんどは、こちらに使われたと推測される。
▼ イギリス
◇ 1972年から62人の患者に行われた研究では、潰瘍性大腸炎の炎症は、サラゾピリン®によって5年間までは抑えられることがわかった。
▼ 日本
◇ 1975年 潰瘍性大腸炎とクローン病が指定難病になった。患者数はそれぞれ965人と128人。
▼ スウェーデン
◎ スヴァルツ医師が亡くなったのは1986年。98歳でした。生涯、医療研究者として働いていました。感謝
▼ アメリカ
◇ 1993年。サラゾピリン®の成分のひとつメサラジンがペンタサ®として単独で使用されるようになった。それまでの57年間、メサラジンこそが潰瘍性大腸炎の治療の主役ということに、誰一人気がつかなかった。
参考サイト:
History of 5-ASA Compounds and their Use in Ulcerative
Colitis – Trailblazing Discoveries in Gastroenterology
http://www.jgld.ro/2013/4/1.pdf
The long journey of salicylates in ulcerative colitis: The past and the future
https://academic.oup.com/ecco-jcc/article/3/3/149/383306